5 初めての遠足
クリスタル・リング惑星に到着して8日目。ちょうど調査日程の折り返し地点で、これまでの成果整理とこれからの調査計画を練り上げていた。
会議室ではレイがグレースとモルト教授の三人でなにやら深刻そうな顔で話し合っていた。
「何かあったんですか?」
お茶をテーブルに置きながらフィルが訊くと、モルト教授がそのお茶で喉を潤してから答えてくれた。
「この惑星の年代と、植生や動物相の年代が合わないんじゃよ。もっといろいろ進化繁栄していいのだが、生物相が新し過ぎる」
「私が観測した限りでは、どうもクリスタル・リングの生成時期と一致する可能性が高いんですよ」
天文学者のグレースが補足した。PCを操作していたレイが複雑な多重グラフを回転させながら、きっぱりと言った。
「クリスタル組成の衛星が砕けた。原因は不明ですが。それに前後した時期に、この惑星は一度死滅している。少なくとも地表部分は、壊滅的な打撃を受けた。今の姿は、それから再生されたものだ。これまでの調査結果がそれを裏付けています。ただ、回帰線内の低緯度地帯は、なぜ、今も砂漠化しているのか。なぜ、再生されていないのか。これが不明です。ですが、とても重要な気がします」
「わしは、やはりこの砂漠地帯にみられるガラス質だな。天然の状態ではこれほど広範囲にみられるものではない」
モルト教授が顎をさすりさすり言った。
「ガラス質と極端に痩せた土壌。有機物の堆積がほとんどない。せいぜい数か月か一年分。まるで、定期的に火山活動でも起こっているのかのようだ。それにしては、溶岩流の痕跡もないし、火山石も灰の堆積もない。火山活動ではないよ」
「私は引き続き、クリスタルリングの観察を続けましょう。他の場所へも移動して観測してみますよ。そこから、何かわかるかもしれません」
グレースが請け合う。
「わしは北部山林の土壌調査をせねばならん。極地方の山脈も重要じゃ。あれがこの惑星の気候を大きく決定しているからなあ」
モルト教授が残念そうに言ってきた。本人はこのガラス質の発生の原因をもっと調べたいのだ。
三人はそこで、この小さな会議を終了した。
フィルも席を立とうとすると、レイが制服の上着の裾を握ってきた。
「ね、フィル。お願いがあるの」
きらきらお目々が見上げてくる。どきん、とフィルの胸が密かに高鳴った。
「明日、北の森を見に行きたい。連れてってもらえる?」
前日、外に放している動物の観察経過で異常なしが確認され、ヘルメットと気密服解除が出ていた。レイもさすがに毎日コンピューター相手に閉じ籠っているのに飽きたらしい。
船長に許可をもらいに行ったら、二つ返事でOKが出る。とにかく船長は、レイ様一番、レイ様大事なのだ。
フィルには、『絶対、怪我させるな、わがままも我慢しろっ』と、きつく念を押してくる。
船長の態度を見ていると、なんとなくこれまでレイが方々で受けてきたであろう応対が解ってくる。それで、一般公募の調査隊に、偽名で年齢をごまかしてまで参加したかったのか、と納得した。
翌日、軽飛行艇にレイが嬉しそうに乗り込んできた。両腕でランチボックスを抱えている。厨房のラムにお願いして用意してもらったらしい。
――はい、はい、遠足なんだね。
そして、学校にも行かせてもらえなかった彼は、きっとそういう遠足もピクニックも経験がなかったろうなと、思い至った。
森林地帯へと機首を向けながら、執政官の息子ともなると、どうしても誘拐とかテロとかを警戒しなきゃならないんだろうと気の毒になる。
「42度を境に、やっぱりずいぶん様子が変わるなあ」
傍らで、ふとレイが言った。
確かに、線で引いたように植生から地表の様子まで違う。地軸の傾斜だけではこうはならない。他に何か理由があるのだろう。
見晴らしの良い高台に着地して、用意したシートを広げる。
――完全にピクニックだね。
高台の高度が結構あるので、軽飛行艇で通ってきた大地が遥かな彼方まで見晴らせた。視界を防ぐ山などの高い障害物もない。背後を振り返れば、背の高い木々がこんもりと茂る森がある。
ここから見ても、木々の茂る林や周囲の豊かな緑に覆われた大地と、薄い草しか伸びていない枯れたような大地の境界が、ずっと見渡す限り続いているのがよく解る。
高台の向こうから吹き上がってくる風が顔に当たって気持ちがいい。
いそいそと、もうランチボックスを広げているレイの赤い髪も、風に吹かれてそよいでいた。
レイが自分でやりたそうだったので、フィルはシートの上で長々と寝そべって空を見上げた。地球の空よりずいぶん赤みがかっている。大気圧約201キロパスカル。大気が濃くて、重いのだ。こうして寝ていると大気の重さを胸の上にダイレクトに感じる。でも、移住する上でこのくらいなんでもないだろう。
キスされて、眼を開いた。いつの間にか眠っていたらしい。
「ランチの用意、できたよ」
上から覗き込んでくるレイがとても可愛い。
そういえば、祖父――祖母? ――のはずのバリヌール人は絶世の美貌だったと聞いたことがある。その血を受け継いだであろうレイも、素晴らしく美しい。造形の配列が完璧な顔というものを、初めて見たなと胸の中で思った。
両手を伸ばしてレイの背を捉えると、胸に抱き寄せながらキスを交わす。こんなに可愛いのに愛する気持ちを止めることなんてできない。
「レイ、見てみろよ。クリスタルだ」
抱き締めたまま、空を指差した。
「きれいだね」
背に手を回し胸に寄り添うようにして横になったまま、レイがうっとりと言った。
南の彼方に遠く、虹色のクリスタルがきらめきながらゆっくりと流れていく。ここからでもあの大きさなら、かなり巨大なものだろう。キャンプ地でも見上げているかもしれない。
レイの腕のTELが鳴った。TELのネットサーバーは『ハコフグ』が担っている。レイが音量を上げ、フィルにも声が聞こえる。昨日のグレースだった。彼にしては珍しく興奮した声だった。
「見えますか? きれいなレンズです。周囲は多面体のカットですが、下面だけ、きれいな曲面です!」
レイが立ち上がった。空を移動するクリスタルを見る。ここからでは下面を全部見ることはできないが、確かに滑らかな曲面のように見えた。
レイがクリスタルを見つめたまま緊張した声で訊いてきた。
「今、何時?」
腕の多機能TELを見る。
「ちょうど12時頃かな」
「もう直ぐ夏至だ。南中時刻は?」
「キャンプ地のか? えと、待ってくれ。データを見てみる」
レイの切迫した声で、慌てて身体を起こし脱いでいた上着からP-Tbを探す。
「12時10分。今日が真上に来る日か」
「警告しなければ! キャンプ地が危ない!」
そして、フィルに緊迫した声で叫んだ。
「直ぐに連絡して! 早く逃げろって!」
レイの剣幕に押されて、艇に駆け寄りマイクを取った。
モルト教授が出た。レイがもぎ取るようにして、マイクに叫んだ。
「早くそこから離れて! みんなを早く避難させてください! 燃え上がります!」
『な、なんだって?』
「ガラス質の原因がわかったのです! レンズです! レンズが全てを焼いたのです!」
『そうか! わかった!』
がたん! とマイクがどこかにぶつかる音がした。モルト教授が走り去る足音が聞こえる。
すぐに、遠くでモルト教授が大声で、『駆けろ! 逃げろ!』と叫んでいるのが聞こえる。駆ける複数の足音。
『船長! 戻ってください!』
騒音と叫びの中に、誰かが叫ぶ声が聞こえた。副船長かもしれない。
そして。
唐突に通信のアクセスが切れて、ざーっと雑音が流れ出した。
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