2 レイ

船倉の冷凍庫から出した今日の夕食の材料をカートに積んで、フィルが調理場に入る。相変わらず気障なサングラスをしたレイが顎を上げ肩をそびやかして、当然のように一緒に入ろうとした時である。


「おい、部外者立ち入り禁止だぞ!」


 栄養士兼コックのラムが首の4色のトサカの羽を震わせて、甲高い声を出した。白い羽毛のような体毛で全身を覆われた、一見鳥みたいな見た目だが、生物学的には哺乳類でどちらかというとタヌキに近かった。得意料理はチキンである。

 ココラト人でトサカの色が華やかなのが特徴。個人によって、色もさまざまで、鮮やかなほど美人(美男)と言われている。ラムのトサカは目にも鮮やかな青を基調に、紫、赤、緑と色彩豊かで、美男なタヌキである。

 

「見学したって……」


 レイが高飛車に出ようとするところを、フィルが遮った。


「すみません。見学させてやってください。ラムさんの料理がすごくおいしいんで、ぜひ料理するところをみたいそうなんです」


 ラムのトサカが得意そうに大きく広がった。


「そうか。じゃあ、ちゃんと手を消毒して、そこのロッカーにある服を着て。靴も脱いで、長靴に履き替えて。マスクして。どこにも触っちゃだめだぞ」

「はい! ありがとうございます!」


 さっきの生意気そうな態度などどこへやら、レイが嬉しげに礼を言う。なるべく邪魔にならないように隅っこで、しかし、目をきらきらさせて眺めていた。

 料理が仕上がる頃にフィルが覗きに行ったら、レイは茹でたポテトをマッシャーで一生懸命潰していた。それをラムがにこにこ見ている。最初から素直に地でいけばいいのに、とフィルはため息をついた。どこでも、たいていこんな調子だった。



 目的の星系へは一週間の行程である。自然と調査員の間で、カルッソら三十~四十台グループとモルト教授ら五十~六十台グループができた。

 五十二歳の天文学者のグレースは一人でいるのが好きなようで、たいてい部屋かラウンジで眠たそうにしている。

 その中で、さすがにレイは居場所がないらしく、フィルの後を追うようについてきた。


 いつの間にかフィルは、レイのお守り役のような形になっていた。

 レイはクルーの様々な仕事が珍しいらしく、邪魔にされながらもそばで飽きずに見学している。手伝ってくれと言うと、衛生室掃除でさえも大喜びでやっていた。


 フィルの空いた時間はレイの部屋で過ごす事が多かった。自分の部屋は二人部屋なので、レイが来るのはまずかったからだ。

 フィルがアカデミーでの訓練の話などをしてやると、レイはわくわくとして聞いている。ごく普通の家庭であるフィルの家族の話もさかんに聞きたがった。

 

「アート――スチュアートって、17の弟がいるんだが、こいつが生意気でさ。自分は、兄貴と違って地に足の着いた銀行マンになるんだってさ。見た目なんかボクサーかってくらいごつくて。可愛げがないったら」

「いいなあ、弟かー。フィルに似ていないんだね?」

「アートは親父似だな。俺はお袋似なんだ。お袋の家系はみんな長身で、それは良かったんだが。どっちかというと、俺、女顔っぽくて凄みに欠けるだろ? そこだけがちょっと不満だな」

「そんなことないよ」


 レイが真っすぐな眼差しで、真面目に反論してきた。


「男らしいかっこいい顔だと思うよ。僕、好きだな。フィルの理想の顔って、ゴリラみたいな顔なの?」

「あ、ありがとな。いや、ゴリラは、ちょっとさすがに……はは」


 フィルは照れて、どぎまぎとした。


「お父さんは、やっぱり航宙士なの?」

「いや。堅気の商社マンだよ。でも、ほんとは航宙士になりたかったんだって言ってたことがある。お袋は、俺が航宙士になるのは反対なんだ。家にも滅多に帰って来れなくなるし、危険は多いしね。俺がアカデミーに行けるようになったのは、親父が応援してくれたからなんだ。家や両親のことは、アートがきっちり面倒みてくれるさ」

「弟さんと、仲がいいんだね。いいなあ」

 

 本当に羨ましそうにほんわかと言うレイを見て、フィルは何気なく訊ねた。


「レイには兄弟、いないのか?」

「うん。ねえ、中学の時、陸上競技会で優勝したんでしょ。その時の話、もう一度訊きたい」


 どんな家庭で育ったのか、レイは自分の事を語ろうとはしない。

 しかし、この人懐っこさを見る限り、彼が不幸な環境にあったようには見えない。むしろ、愛情たっぷりに育ったであろう天真爛漫さがあった。

 レイの目下の最大の心配事は、年齢偽称がバレてしまうことだけだった。



「僕ね、フィルが初めての友達なんだよ」


 ルナを出航して五日目の夜のことだった。

 ラムがこっそり作ってくれたクッキーの袋をポケットから引っ張り出して、キャビンのテーブルに置いた時、レイが突然打ち明けてきた。

 フィルはびっくりして振り返る。レイは珍しく思いつめたような表情をしていた。

 フィルには、この打ち明けた内容がとても意外に思えた。

 このレイの性格なら、沢山の友達に恵まれているような気がするのに。


「僕の周りには大人しかいなかったし、同年代の子供は、僕を敬遠してた」

「学校には行かなかったのか?」

「うん。ネットで授業を受けていたから。一人で外に出ちゃいけないって言われてたんだ」


 フィルはまじまじとレイの顔を見つめる。


 ――どなた様なんだ? 君って……?


「お父様が、そんな僕を可哀相だと思ったらしくて、同じ年の子が沢山いるところに連れてってくださった事があった。でも、SS(シークレットサービス)が怖い顔して取り巻いてるんだもの。みんな怖がって、遊んでなんかくれなかった」


 しょんぼりして過去を見つめる彼は本当に幼く見えて、フィルは胸が痛くなった。


「だから、僕は勉強するしか、することなかったんだ。お父様はいつも忙しかったし。おばあ様が生きてらした頃は、いろいろな所へも連れてっていただいたのだけれど、おばあ様が亡くなられてからは、お母様も忙しくなってしまわれて……」


 何もかも恵まれていそうに見えてても、けっこう寂しい境遇だったんだな、とフィルは同情していた。

 その恵まれた環境がおっそろしく桁違いだったなんて、その時のフィルにはもちろん知るよしもなかったが。


 レイの部屋から出たところを、生物学者のカルッソに呼び止められた。フィルより身長は低いが、横幅はだいぶある。ごつい体つきの生物学者だった。


「おい、あの若造とずいぶん仲がいいんじゃないか?」


 むうっと酒の匂いがした。縮れた黒い髪が乱れ、垂れた茶色の目が濁っている。だいぶ飲んでいるようだった。


「酔ってらっしゃるんですね。お部屋にお戻りください」

「答えろよ。お楽しみだったんだろ?」

「年が近いから、話し相手になってるだけですよ」

「あのレイって奴。十八じゃないだろ? この前、シャワーから出てくるところ、見たぜ。えらくきれいな子じゃないか。お前のなんなんだ?」


 どきりとする。


「ただのクルーと乗客ですよ。友達かもしれないですけどね。変なこと言ってないで、部屋に戻ってください。他の方にご迷惑です」


 絡んでくる酔っ払いを、力づくで船室に押し込んだ。


 危ないな。

 注意して見ててやらないと、しゃれにならない事になるかもしれない。

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