1 初めての調査隊

 フィルは左手首にはめた多機能式通話機TELのデジタル時刻を見た。あと1時間で夕食だ。その支度にもそろそろかからなければならない。五月の空のような青い目がかげる。


「くそっ」


 短く刈った蜂蜜色の髪を指でわしゃわしゃと掻き乱す。

 パーソナルタブレットパソコンP-Tbの名簿をもう一度確かめた。確認ができていない乗客はあと一人。搭乗記録では全員乗船しているはずだった。


 中距離宙域調査隊船F-G233号。ルナ・ステーションを出立して既に1時間が経っていた。調査が終了して再びステーションへ戻ってくるまで、約4週間の日程である。

 客船ではないので通路も壁もキャビンも愛想もそっけもない強化アルミ合金面のまま。重力ジェネレーターで1Gが保たれ動きに支障はない。いざとなれば、靴底の凹凸吸着盤で壁面にしっかりと立つことも可能なように、凹凸吸着平面が全周囲に等間隔で配されていた。


 ドアの金属面に、焦った表情を浮かべているフィルの精悍な顔がやや歪んで映っていた。ふん、らしくないぜ。その鏡面にふっと息を吹きかけて曇らせる。 

 キャビンの番号をもう一度確かめてインターホンのブザーを押す。やはり、返事がない。

 だが、他の場所は衛生室も含めて何度も見て回ったので、ここしかないはずだった。再度、しつこく何回もブザーを押してみたが、それでも返事がない。


 P-Tbの名簿データでは、情報統括総合学の専門で十八歳とあった。ひょっとしたら、初めての宇宙で宇宙酔いでもしているんじゃないかと心配になった。たまに、無重力とか、加速変化とか、或いは閉所恐怖症的なことで過度な反応を起こす場合がある。

 乗客の安全確認も仕事の内である。彼はマスターキイを使ってキャビンのドアを開けて入った。

 ロッカーとベッド、テーブルを兼ねる小さなデスクでもういっぱいの狭い船室である。


 乗客はベッドで寝ていた。どうやら熟睡して――いや爆睡しているらしい。

 赤い髪のきれいな少年で、とても十八歳には見えない。名簿の写真を確認したが、だいぶ印象が違う。


「レイ・フォンベルトさん。レイ・フォンベルトさん」


 名を呼んでさらに身体を揺すると、やっと目を覚ました。上半身は起こしてくれたものの、まだ眠気がとれないようで、ぼんやりとしている。


「レイ・フォンベルトさん。お加減は大丈夫ですか? 気分が悪いとか、ありませんか?」


 少年はポヤーとした顔でこっちを見ている。珍しい紫の瞳。紫水晶みたいに大きな澄んだ瞳だった。それがはっとしたように瞬いた。ようやっとはっきり目が覚めたらしい。


「あ、は、はい。フォンベルトです。大丈夫です」

「私は、フィリップ・ガードナー。この船のクルーです。今、乗客の皆様の確認をさせていただいています。レイ・フォンベルトさんですよね?」

「はい。レイです。当人です」


 フィルはレイと名乗った少年をじっと見つめた。少年は焦ったような表情で目をそらす。フィルは少し強い口調で訊いた。 


「名簿には十八歳とありますが、本当ですか?」


 少年はしばしためらっていたが、観念したようにぼそぼそと答えた。


「すみません。本当は、十六歳なんです」


 ――やっぱり……、って、まだ十六歳かよ! いくらなんでもサバ読み過ぎじゃないか?


 フィルが顔をしかめたのを見て、慌てたように言葉を重ねてきた。


「年齢は詐称しましたが、資格は本当です。ハーバードで研究室を持っています。その……無許可で応募しちゃったんですが……」


 首を縮め、おどおどと見上げて来る。


「でも、たった4週間でしょ? 僕、この調査隊に参加したかったんです!」

「何か、特別な理由でもあるんですか?」

「……その……公募が、面接なしの試験だったんで……いけるかなあ、って……」


 ――はい、いけましたね……。


 フィルは内心溜め息をついた。

 ルナ・アカデミーの実習先としてこの中距離宙域調査隊を選んだのだが、着任早々、とんだトラブル発生だった。

 でも、もう出発してしまった船は戻ることはできない。

 この実習が終わったら、どんな場合も必ず面接を欠かさないようにとレポートで進言しておこう。


「昨日、とうとう眠れなくて、ここに落ち着いたらすごく眠くなってしまって……すみません。ご迷惑かけました?」


 心配そうに見上げてくる。迷子の子猫みたいだった。心配したり、興奮したりで、眠るどころではなかったのだろう。

 気を取り直したフィルは、少年に笑いかけてやった。


「もう少ししたら、初顔合わせの夕食会があります。どうぞ遅れないようにおいでください」


 咎められなかった事に明らかにほっとした様子で、少年がフィルの制服の上着の端を握ってきた。


「レイって呼んで。僕も、フィルって呼んでいい?」


 きらきらした眼で言ってくる。


 ――うわっ。可愛い。


 本当に十六歳か? もっと小さいんじゃないのか?

 自分を年齢詐称の仲間に引き込もうとしているな、とフィルは思ったが逆らえなかった。


 ***


 調査員と船長初めクルーが全員集まって食堂のテーブルに着いた。クルーは船長・副船長含めて10人。調査員が8人。計18人のきわめて小規模の調査隊だった。ルナ・アカデミーのほうへ募集があったのは1名枠だったので、クルーの中では二十歳のフィルが最年少ということになる。

 ルナ・アカデミーは、月の周回軌道上を廻るステーション型の宇宙アカデミー。火星と金星にも同型の宇宙アカデミーがあるが、ルナは一番最初に設立された伝統ある施設だった。士官養成コースのほかに大学部門も併設されている。4年制全寮制。ステーションの立地特性を生かした航行訓練や重力訓練など、宇宙人たるに必要な資格や素養の修練修得に優れていて、多くの士官や民間航宙士、技術者を各方面に送り出している。宇宙を目指す若者達の憧れの学校だった。

 フィルはそこの三年生。士官コースなら、もちろん試験はあるが、アカデミー卒業時点で二級航宙士――一般普通航宙士――の資格を得ることができる。が、フィルの目下の野望は、さらに一級航宙士の資格をとって、この宇宙を縦横無尽に駆け巡る事。


 会席の準備を整えながら、フィルは緊張してレイを待っていた。

 予定の時間がきて、調査員の面々が食堂に入って来る。彼らの一番最後に、レイが気障っぽいサングラスを掛けて現れた。

 上背はフィルより低く、おそらく170センチメートル前後のすらっとした体形。だが、大人びたブレザーを着ていると、なるほど十八歳ぐらいに見える。

 船長の挨拶があって、一人一人簡単な挨拶をしていった。こういう場には慣れているらしく態度は堂々としたもので、


「目が光に弱いので、サングラスの着用をご勘弁ください」


 なんて、しっかり予防線を張っていた。このまま年齢詐称で行く気らしい。


 銀河新世暦13年。今、太陽系連邦は、銀河連盟の共同事業の一環として、銀河系地図の再編纂さいへんさんに協力している。

 大規模な探険隊が組まれ、遠方まで天体の調査に出かけていた。そして、新しい星系が発見されると、詳しく調査するための専門家で編成された調査隊が派遣される。


 銀河新世暦元年より42年前――地球西暦2266年に起きた災厄のために、従来の居住世界が多く失われてしまったので、それは必須の事業だった。

 死滅した世界の再生事業も進んでいるが、もとの状態の半分に戻るまでにもまだまだ長い時間がかかるからだ。


 今回のこの調査は、太陽系から8千光年ほど離れた銀河系外縁部の寂しい宙域方面で、比較的近距離だった。居住に有望そうな惑星があるという報告で組まれた。

 専門家は、生物学、地質学、天文学、化学、環境学、とさすがに多岐な面々が揃っている。で、それらを統括総合判断するのが、情報統括総合学の専門家のレイだった。


 ――あ、そうか、レイがやるのか。って、あんな少年に、本当にできるのか?


 一人焦って気を揉んでいるフィルにかまわず夕食会は和やかに終わり、翌日の十時には会議室でその情報統括総合学なる講義が行われることまで決定されていた。


 六十台から三十台ぐらいの年齢層の専門家達の間では、十八歳でも確かに異色の若さだ。それだけ若い学問ということなのだろう。確か、災厄前に、バリヌール人がアメリカのスペースアカデミーで立ち上げた新しい学問だと聞いたことがある。

 むしろ、バリヌール人でなければこなせないような印象だった。全学問に精通していなければ、統括するのは無理なのではないだろうか?

 ほんとに、レイで大丈夫なんだろうか?

 フィルはまるで自分の責任のように感じてきて、気が気でなくなっていた。


 翌日の講義に、フィルも会議室の隅っこで参加した。

 今日もレイは黒っぽい渋いブレザーでサングラスをして、大学教授のような落ち着きで講義をしている。こうしていると貫禄まであるようで、二十歳ぐらいにさえも見えた。けっこう化けるものだ。

 講義は手慣れた感じで、ハーバードで研究室を持っているというのは、本当なのかもしれない。


 講義の内容はフィルにはさっぱり解らないので、ここに参加している面々の観察を専らしていた。

 後ろから見ていると、あんがい人物が見えてくる。


 レイが孫でもおかしくないような年齢にも係わらず、熱心にノートをとっている六十三歳の地質学のモルト教授。最年長で今回の調査隊のリーダーである。

 植物学者ゴメスと環境動物学者のマキノは、同年齢の四十二歳で何か熱心に話し合っている。

 眠っているような顔の天文学者のグレースは五十二歳、あれが地顔だとあとで知った。

 あくびをしている化学者のグラスゴーが五十八歳。その横で五十六歳の昆虫学者べナルドが、レイの講義にふむふむと頷いている。

 その中で一番若い三十五歳の生物学者カルッソは、馬鹿にしたように椅子にふんぞり返っていた。

 一通り講義を終えると、レイは質問がないか尋ねた。カルッソが立ち上がった。


「各専門学を統括して判断する必要性は、わかりましたよ。で、フォンベルト博士。あなたは、各専門的な報告をどの程度まで理解できるんですか? 貴方一人で、我々と同じほどの専門知識を有しているとでも、おっしゃるんですかな?」

「もちろん、違います」


 レイはにっこりと笑った。


「私は、あなた方が示してくださる専門的な事項を多機能グラフに書き込んでいくのです。これをご覧ください」


 スクリーンに、立体的な図形のような複雑なグラフが現れた。


「これは、火星の環境多機能グラフです。かつて、おじい……いえ、バリヌールのリザヌールが火星開発の指針として示したものですが……」


 色々な専門的なデータを色別の光点グラフで説明していたが、フィルはさっきの言いかけた言葉のほうが気になった。


 ――なんて言おうとしたんだ? レイ。おじい……って、言わなかった? その先って? まさか? ね?


 レイの説明に、カルッソも唸っていた。

 これほどの才能があるんだったら、何もこんな小さな所に潜り込んだりしなくたって、どんな調査隊でも引っ張りだこだろうに。どうして年齢までごまかして、参加したかったのだろう? フィルは首を傾げた。

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