僕の言葉に、ダリアが目を大きく見開いた。名前を聞いた途端に顔面を青ざめさせ、今にも膝から崩れ落ちそうなくらいにガクガクと震え始める。

 もちろん、離してやるつもりなんか無い。


「あ、アベル……? う、うそ……そんな、どうして」

「クククッ……久し振りに見ますよ、その反応。ねえダリアさん、そんなに僕のことが怖いのですか?」


 今までの狂気は跡形もなく消え去り、代わりにこの世のものとは思えないくらいに恐怖の表情を見せ付けてくる。詳しいことには興味などないが、ダリアのような者にはよく見られる傾向だ。

 カインの血族は、『アベル』の存在を恐れている。それは魂に刻まれた恐怖であり、カインの血を引く者は『アベル』に逆らうことなど絶対に出来ない。

 だから、もう『命令』などという面倒な手続きは必要ない。


「いや……いやあぁ!? 死にたくない! お願いアベルさま! 殺さないで、何でもするからっ、殺さないで! 許して!!」

「……ねえ、ダリアさん。僕はリヴェルくんを探しているのですが、どこに居るかご存知ですか?」

「知らない!! あのガキは、アタシを鉄パイプで滅茶苦茶に殴って半殺しにした後にどこかに逃げたわよ!」

「滅茶苦茶に殴った……リヴェルくんが?」


 僕の正体を知った以上、ダリアは嘘や誤魔化しなど言えない筈。しかし、彼女の言葉は到底信じることなど出来なかった。

 あの優しいリヴェルが他人を殴る姿など想像出来ない。無事であるらしいことはわかったものの、一刻も早く見つけてあげなければ。


「まあ、良いでしょう。リヴェルくんの居場所を知らないのなら、もう貴女に用はありません」

「た、助けてくれるの? アタシを許してくれるの!?」

「……そうですね、こんな場所で会ったのも何かの縁でしょうし。お望み通り、助けて差し上げましょう。ですが、許してはあげません」


 そう言ってダリアを突き飛ばすように解放してやると、コートのポケットに手を入れて『それ』を取り出し地面に放った。銀色の薬液を内包した、華奢な作りの悪意。

 飛び出そうとしたルシアを止めるのに必死で、つい無意識にポケットに押し込んでしまった注射器を彼女の元に放る。針が途中で折れてしまっているものの、ピストンさえ押しこめば薬を注入することが出来る。


「こ、これ……まさ、か」

「僕はね、自分のことなんて心底どうでも良いんですよ。この身体がどれだけ傷付こうが、心が砕けようが、構いません」


 でも、と続ける。最早微笑する余裕は無い。既に立っていることすら出来ずに、埃っぽいコンクリートに座り込んだダリアを見下すだけ。


「リヴェルくんを……あの子を傷付けたことだけは、絶対に許しません。その薬、貴女のお気に入りでしょう? 純血の僕は二本、耐えられました。隷属でしかない貴女は、その注射器の半分程も耐えられないでしょうね」

「ご、ごめんなさい……謝る、謝るから許して! お願い、死にたくないのよぉ!!」

「……さて、僕は急いでいるので行きますね。ダリアさん、もう一度言いますが……僕は貴女を絶対に許しません」


 ダリアの濁った双眸を見据えて、僕は言葉を紡ぐ。


「もう二度と、貴女とは会いたくありません。ダリアさん、僕に従いなさい。これは、『命令』です」

「いやぁ……いやあああぁあああ!!」


 まるで喉を破らんばかりの、断末魔が響く。僕は踵を返して、その場を立ち去った。ダリアの声はそれっきり聞こえずに、もちろん会うことも無かった。


「リヴェルくん。きみは今、一体どこに居るのですか……?」


 ルシアの安否も気になるものの、リヴェルの居場所を突き止めるべく。僕は廃工場の奥へと進んだ。

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