「いやー、随分太っ腹な依頼人さんでしたねぇ? まさか、人外の僕にも報酬を用意してくれるなんて」


 依頼人の事務所からの帰路。夕方になって更に人通りが多くなった大通りに車を走らせていれば、後部座席に座った――今日はリヴェルが自宅で留守番をしているので、ジェズアルドは後部座席に押し込んであった。意味も無く隣同士にはなりたくない――ジェズアルドが満足げに笑った。


「彼は三代前の大統領の孫だからな。金は腐る程あるだろうし、反政府派リーダーとして多くの資産家から援助を受けているやり手らしい。それに……この国は他国程、人外差別も酷いものではない」


 本音を言えば、吸血鬼であるジェズアルドを連れて行くことには躊躇いがあった。だが、ルシアより少し年上の依頼人はかなり心が広い人物らしく。嫌な顔一つせずに、ジェズアルドの分の報酬まで用意してくれていたのだ。

 聞いた話によると、身分もさることながら相当の人格者らしい。ああいう若者が国を引っ張る立場になれば、この国もきっと立ち直ることが出来るだろう。


「へえ、お若いのに凄いですね」

「だが、本当に良いのか? お前の分の報酬まで貰ってしまっても」

「ええ、どうぞ」


 ルームミラーに映ったジェズアルドが、何の含みも無く笑って頷いた。報酬は二人で均等に用意されていたものの、彼は自分の小切手を貰うなり俺のコートの内ポケットに押し込んだのだ。


「僕は自由で気儘な独り身ですから、そんな大金は不要です。あ、でも爆弾や変な銃に注ぎ込まないでくださいね?」

「……ちっ」

「舌打ち!? もう、どうせならリヴェルくんの為に使ってくださいよ。ああ、ほら。新しいギターを買ってあげるとか」

「ギターは今までに何度も買ってやろうとしたんだがな。俺はギターのことなんて何もわからないし、かと言ってリヴェに訊けばお前から貰ったギターが宝物だから他のは要らないと言うし」

「天使!」


 ゆるりと脚を組んで、ジェズアルドがニマニマと気味の悪い微笑を浮かべながら窓の外を眺めている。確かに、リヴェルは天使だ。我が弟以上に可愛い生き物など居ない。

 だからこそ、リヴェルの為に何でもしてやりたい。


「お前、独身……だったのか?」

「ええ!? まさかルシアくん、僕のことを既婚者だとでも思っていたんですか?」


 突然投げ付けられた問い掛けに、ジェズアルドが目を皿にして驚いた。今の驚愕でズレたのか、眼鏡を押し上げる。

 扱いには随分慣れたらしい。


「残念ながら、結婚どころかまともに誰かとお付き合いしたことすらないですよ。この身体では、女性を悦ばせることも出来ませんし」

「ふうん。だが、お前は肌が冷たいだけで口の中などの粘膜は正常だからな。見た目も良いし女は無理でも、物好きな――」

「言わせませんよ! ルシアくん、きみは一体どこでそんなことを覚えてくるんですか!?」


 いやー! 不潔!! キャンキャンと子犬のように喚くジェズアルド。個人的にも彼の性癖は特に興味もないので、その辺りは至極どうでも良いのだが。


「……リヴェルが寂しがっているぞ」

「え?」

「お前はいつも前触れもなくふらりと現れたかと思いきや、酷い時は何も言わずに居なくなるだろう? てっきり、どこかに恋人や子供でも居るのかと思ったんだが」


 リヴェル本人は何も言わないものの、ずっと一緒に居るのだからわかる。リヴェルはジェズアルドともっと一緒に居たいと思っている。だが、ジェズアルドはそうでは無いらしい。

 リヴェルを可愛がるだけ可愛がって、しばらくしたら逃げるように居なくなる。ずっとそんな調子だから、てっきり他に恋人でも居るのかと思っていたが。


「あー……なる程、そう思われていたわけですか。あはは、恋人なんて居ませんよ。もちろん家族もね。僕はずっと一人ですから。誰かが待っているわけでも、他に大切なものがあるわけでもありません。僕にとって、この世界で一番大切なのは……間違いなく、リヴェルくんです」

「……世界で一番?」


 ジェズアルドの言葉は想定外だった。やけにリヴェルに懐いているとは思っていたが、世界で一番とまで言い張るとは。

 だが、それならば尚更気になってしまう。


「それなら……何故、リヴェから逃げるんだ? セクハラさえしなければ、もう少しあいつと一緒に居させてやっても良いぞ」

「僕だって……もっとリヴェルくんと同じ時間を共に過ごしたいです」


 ぽつりと零れた思い。ミラー越しに見る彼の表情が、いつの間にか悲痛を押し隠したものに変わる。

 いつしか街並みも変化して。賑わう街中から、落ち着いた住宅や高層マンション群が並び始める。


「……この身体はご覧の通り、どれだけ時を経ようが老いることはありません。でも、きみ達はどんどん変わっていってしまう。ルシアくんには背を抜かされてしまいましたし、リヴェルくんも大人っぽくなりました。そして、いずれきみ達は僕が追い付けないところに行ってしまうんです。僕一人だけが取り残されたまま。今までに、数え切れないくらいの人に置いて行かれてしまいました」

「……吸血鬼なんだから、仕方がないだろう」

「ふふっ、そうですね。これは、僕のエゴです。でもね、どうしてでしょう……やっぱり思ってしまうんです。リヴェルくんにだけは、置いて行かれたくないって。ずっと一緒に居て欲しいって思ってしまうんです。どんな手を使ってでも、ね」


 でも、とジェズアルドが続ける。


「……リヴェルくんの命は、彼だけのものです。誰かが悪戯に奪ってはいけない。だから、僕は彼が欲しくて堪らなくなったら離れるようにしているんです。でも……それも、そろそろ難しくなってきてしまいました」

「難しい?」

「リヴェルくんが成人するまで……彼が大人になったら、もうきみ達とは会わないって決めているんです。その頃には、僕という存在は必要無くなっているでしょうし。本当はルシアくんが成人した時に、お別れするべきだったのでしょうが」

「……意外と考えているんだな、お前」


 まさか、ジェズアルドがリヴェルのことをそこまで考えているとは。てっきりコイツは、リヴェルのことを犬や猫のような愛玩動物だとでも思っているのかと思っていたが。

 吸血鬼のほとんどはプライドが高く、人間や他の人外を見下している者が多い。だが彼は、少なくとも自分達を見下すようなことはない。


「あ、ルシアくん。少しは寂しく思って頂けました? それとも、見直してくださいましたか?」


 身を乗り出して、ジェズアルドが興味津々と言った様子で紅い双眸を輝かせる。運転中じゃなかったら殴ってやるのに。

 ……いや、事故を起こしてでも殴ってやろうか。片手をハンドルから離して、拳を握り締める。だが、怒りの鉄拳を綺麗な顔面に埋め込むことは出来なかった。


「おや、あれは……火事でしょうか? でも、あの辺りは……」


 怪訝そうに眉を顰めるジェズアルドに、前方を注意深く見る。闇に染まり始めた空に、夜色とは違う黒煙が立ち昇っている。この辺りに工場は無いし、煙突なども存在しない。彼が言うように、火事だろう。

 ……嫌な予感がする。


「う、うわ!? ちょ、ちょっとルシアくん! スピード違反ですよ!?」

「うるさい、それどころではないだろう!」


 躊躇なくアクセルを踏み込めば、愛車の速度がぐんと上がった。ジェズアルドが慌てるも、そんなことに気を付けている場合ではない。

 どう考えても、あの黒煙はリヴェルが待っているマンションから昇っているのだ。前を走る車を次々に追い越して、やがて大きく開けた駐車場へと到着した。


「リヴェ……リヴェル!」

「ちょ、ちょっとルシアくん!?」


 部屋を借りる時に割り当てられた駐車スペースを無視して愛車を停めて、キーを抜くことすらせずに飛び降りる。ジェズアルドが焦った様子で咎めるが、気に掛ける余裕は今の自分にはどこにもなかった。

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