五章 逃亡

 ルシアとジェズアルドが、グーディメル製薬研究所とやらの所長達を捕らえてから、二日が経った。特にニュースになったり、新聞の一面を飾るようなことは無かったが。

 ルシアに仕事を頼んだ依頼人は大層ご満悦だそうで、報酬を予定よりも奮発してくれたらしい。二人はそれを受け取る為に、一時間程前に出掛けて行った。何やら少しは仲が良くなったようで何よりだ。

 まあ、自分は相変わらず留守番の身なのだが。


「つーまーんーなーいー!」


 気儘にギターを掻き鳴らしながら、愚痴を吐く。柔らかいながらも、妙に刺々しい音色に蝙蝠がキイキイとご機嫌に歌う。吸血鬼失踪事件は解決したというのに、この蝙蝠は二度と雑誌を運ぼうとはしなかった。

 ジェズアルドが言うには、捕らえられていた吸血鬼はほぼ死亡してしまったらしい。雑誌を運ぼうにも、受け取り手が居なくなったからだろう。今では完全に、ただの愛玩動物になってしまった。

 これは、面倒を見てやるしかない。ルシアは既に口説き落としてあるので、今は小さな友人の名前をゆっくりじっくりと考え中だ。


「あー……そういえば、ジェズは明日中にこの国を出るって言ってたな」


 出掛ける前に、ジェズアルドが言っていた言葉を思い出す。この国で吸血鬼は目立ち過ぎるので、明日には出国する予定だそうだ。ルシアもまた、貰うものを貰ったらここを引き払うと決めたらしい。

 何でもこの国にはアルジェントの支配下になっている為、いつ自分達の存在に気が付かれるかわからないから。自分としてもアルジェントの人間に捕まるのはゴメンだし、ルシアが決めたことに異論など無いのだが。


「……ジェズと別れるのは、寂しいな」


 ギターを弾くのを止めて、嘆息する。ジェズアルドは自分達を――ルシアは凄まじく鬱陶しがっているが――とても可愛がってくれている。だが、彼はずっと一緒に居てくれるわけじゃない。

 彼から会いに来てくれる時もあれば、今回みたいに偶然再会することもある。だが、しばらく一緒に過ごすと彼は幻のように居なくなってしまう。幼い頃はジェズアルドと別れるのが嫌で、泣き喚いていたものだが。

 否……今でも泣き喚きたいくらいに、彼と離れるのは嫌だ。


「……でも、仕方無いよな」


 ジェズアルドがどうしてずっと一緒に居てくれないのかはわからない。もしかしたら、世界のどこかに恋人が居るのかもしれないし、家族が待っているのかもしれない。考えれば考えるだけ、根拠のない可能性が頭の中でぐるぐると回るばかり。

 いっそ問い質してみようかと、何度も思ったものの。彼の口から、他に大切な者が居ると言われることを想像するだけでも泣きたくなってしまうくらいに悲しい。結局、何も訊けないまま明日も彼に別れを告げるのだろう。

 今度はいつ会えるのか、また会ってくれるのか。それを訊ねる勇気さえ、自分には無い。


「……はあ、情けないな」


 悲しみごと、肺に溜まった空気を吐き出す。脱力した指先が、弦に触れる。ぽん、と間抜けな音が一つ転がった。自分に出来ることはと言えば、ギターを鳴らすこと。

 あとは歌、か。


 ――リヴェルくん、きみの歌は特別なんです――


 ――特別?――


 ――そう。僕の『言葉』と同じように、きみの『歌』はきみだけの武器なんです。きっと、ナイフや銃なんかよりもずっと強力で、誰かを必要以上に傷付けたりしない優しい武器になる筈です。すぐに、とは言いませんが……勇気が出たら、その武器で自分なりに世界と戦う術を身につけなさい――


 数日前、ジェズアルドに言われた言葉を思い出す。彼は歌が武器になると言っていたが、どうもその意味が未だにわからない。

 ただ、そういえば。オレが歌っている時、傍に居たジェズアルドが凄く楽しそうに笑って居たのを思い出した。いつもの胡散臭い笑顔もなかなか格好良いが、あの時の微笑みは夢のように綺麗だったことを覚えている。

 年を重ねていく内に、何となく気恥ずかしくなってしまいルシアの前でさえ歌わなくなってしまったが。


「……歌ったら、ジェズは一緒に居てくれるかな」


 流石にそれは、安直な発想だと思うが。彼が気に入ってくれているのなら、挑戦してみる価値はあるかもしれない。

 とにかく、次に彼と会う時までに一曲でも歌えるように。


「よーし、そうと決まったら練習だな!」


 どうせ、時間ならばたっぷりとあるのだ。目一杯練習して、ジェズアルドを驚かせてやろう。そう気合を入れ直すと一旦ギターを置いて、立ち上がりゆっくりと背筋を伸ばす。小腹が空いたから、練習の前にお菓子でも食べよう。そう思ってふと、窓の外を見た、


 その時だった。


「……ん?」


 それ見てまず感じたのが、違和感だった。このマンションには、自分達以外の住人はほとんど居ない。駐車場に停める車も少なく、毎日のように眺めていたからナンバーだけでなく色や形まで覚えている。

 だが、今日は何だか様子がおかしい。トラックやワゴン車など、大型の車が何台も停まっている。それも、停車スペースを無視した横暴な車ばかりだ。明らかに宅配や引っ越し業者などでは無い。


「何だろう……なんか、嫌な感じ」


 不安を読み取ったのか、気儘に飛び回っていた蝙蝠が肩に乗った。注意深く車を見つめていると、今度は次々に人影が車から降りてくる。少し気になって、棚に置いてあったルシアの双眼鏡を手に取り覗いてみる。


 ――その顔ぶれを見て、戦慄した。


「人間と、人外……!?」


 驚くべきことに、車から降りてきたのは人間と人外だった。両者は敵対する様子は無いものの、全員が武器を持っている。主に銃、それも拳銃からルシアが好みそうなグレネードランチャーまである。

 どうして、一体何の為に。


「……まさ、か」


 心臓が痛いくらいに鼓動して、喉がからからに乾く。そんな筈無い、心配し過ぎだ。脳裏に過る可能性を、必死に否定する。そうしている内に、銃を手にした人影が次々に駆け出しマンションの入り口に突入し始めた。玄関はもちろん、窓も締め切っている筈なのに階下から爆音が轟いているのがわかる。

 テロリスト!? いや、だとしてもこんなマンションを狙って何になる? でも、ただの物盗りにしては物騒すぎるし。あれこれと考えて、何とか自分とは無関係だと結び付けたかった。

 だが、最早目を背ける程に決定的なものが見えてしまった。


「あ、あの女の人!?」


 目も覚めるようなピンク色に染められた髪に、ぎょろりとした双眸。真っ赤な唇には、三日月のような笑みに歪んでいる。恐らくリーダーなのであろう女には、見覚えがある。


「あの日……確か、ジェズが……」


 あの時のことはよく覚えている。ジェズアルドと久しぶりに遊んだ、あの日。詳しくは知らないが、恐らく二人は友達や恋人などという関係ではない。確実に敵対しているのだろう。

 それに……何故か女を見ているだけで、胸がざわざわする。


「ど、どうしよう」


 爆音はどんどん近付き、床が断続的に振動を繰り返すする。まだ建設されたばかりの新しいマンションは、それくらいの攻撃で崩れることはないだろうが。もしも、このままここに居て。力尽くでドアが破壊されてしまったら、自分は彼等に殺されるのだろうか。

 ルシアとジェズアルドに会えないまま、無様に殺されてしまうのだろうか。


「それは、嫌だ!」


 とにかく、逃げよう! 飛び回る蝙蝠をジャケットのポケットに押し込み、ドアの鍵を開けて様子を伺う。非常階段はすぐそこにある。そのまま一階に降りれば、外に逃げられる筈。

 だが、それは出来なかった。ワータイガーであり、ダンピールの自分は耳が良い。だから、聞こえてしまったのだ。

 襲撃者達の目的が、一体何の為にこんなことを始めたのかが。


「赤毛の子猫ちゃーん? どこだー、痛い思いをしたくなかったら大人しく出てこーい。今なら高級なマグロ缶でもてなしてやるぞー?」

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