「でも……確かに、物足りないですね」

「……は?」

「ねえ、ルシアくん。あちらの部屋にあった冷蔵庫内の血液……あれがあれば、大勢の吸血鬼が犠牲になった証拠になりますよね? 餌食になった吸血鬼の資料もあるでしょうし、吸血鬼本人が居なくなったとしても、何も困りませんよね?」


 不敵な微笑を浮かべながら、ジェズアルドが優雅な足取りで室内を歩く。そして、まるで品定めするかのように、衰弱した吸血鬼達の顔を一人一人観察し始めた。その間も、吸血鬼達は助けを求め続けている。

 だが、彼は絶対に彼等の拘束を解こうとはしなかった。


「ルシアくん。どうして、この部屋はこんなに血の臭いが濃いと思います? 見たところ、怪我などはしていないようですが」

「……さあな」

「それなら、エドガーさんでも良いですよ? この吸血鬼達は、何故こんなにも血の臭いを振り撒いているかわかりますか?」

「そ、それは……仮説はいくつか立っているが、まだ……解明には至っていない」


 無様に床へ座り込んだままのエドガーが、顔面を顰める。おやおや、とジェズアルドが嗤った。


「人間は勤勉な生き物の筈ですが……それでは、教えて差し上げましょう。まず、死に瀕した際に血の臭いを振り撒く現象は、とある血統の吸血鬼にのみ見られます」

「な、それは本当か!?」

「はい。先程から彼等が救いを求めている、『真祖カイン』の血を引く者達だけがこうなるのです。カインは世界に存在する純血の中でも、特に血筋を大きく広げている吸血鬼なんですよ?」


 ジェズアルド言葉の一つ一つを聞き逃すまいと、エドガーがジッと彼を見つめている。意外にも知識欲が強い人間のようだ。


「吸血鬼は老化していく内に悪食となります。趣向は吸血鬼によって異なりますが……一つだけ、彼等が共通して大好きな血があるんですよ」

「大好きな、血?」

「見せてあげますよ、彼等の無様で滑稽な姿を」


 そう言うと、ジェズアルドはおもむろに己の中指を口に咥え、鋭く尖った犬歯で噛み破った。自傷行為とも見える仕草に、思わず目を見張ってしまう。ジェズアルドはそのまま、腕を軽く上げて見せた。

 皮膚が破れた指先から、溢れ出す深紅の雫。それを見た吸血鬼達が、瞬く間に豹変した。


「……!? か、カインさまの血!!」

「真祖の血、欲しい……欲しい!!」

「お願いします、カイン様! 助けてください、貴方の高潔な血をください!!」

「……これは、何だ?」


 縛られた手足をばたつかせ、中には腕を千切ってでもジェズアルドに縋ろうと吸血鬼達が騒ぎ始める。あまりにもおぞましい光景に、エドガーが悲鳴を上げて頭を抱えて身体を震わせた。

 プライドの塊のような生き物の筈が……こんな吸血鬼は、初めて見た。


「……彼等は極度の飢餓状態が継続したことにより、相当悪食が進んでいるものと思われます。しかし、たった一つだけ……彼等の悪食を回復させる術があります。それは、自分よりも上位の吸血鬼の血を飲む、というものです」

「自分よりも上位の吸血鬼……まさかこの血の臭いは、弱った吸血鬼の血を他の吸血鬼に分け与える為に?」

「あはは! 流石ルシアくん、きみは本当に頭が良いですね? そうですよ、花と同じです。彼等の臭いは、少しでも多くの吸血鬼を生き長らえさせる為のもの。本人の意思とは関係なく、死期が迫った吸血鬼は花となり、その血を蜜として他者へ分け与えるんです。唯一、植物を育てることだけが得意だったカインらしい、悪趣味な生態でしょう?」


 喉奥で笑いながら、ジェズアルドが言った。確かに、悪趣味だ。カインは一体何を考えて、自分の『子供』とも言える者達にそんな細工を施したのだろうか。


「あーあ、そんなにこの血が欲しいですか? ククッ……残念ですが、あげません。僕の血は誰にもあげませんよ……もう二度と、ね」


 舌先で掬うように、己の血を舐めながらジェズアルドが嗤う。そうして、彼は未だに自分の血を求めて叫ぶ同胞達を眺めながら言った。


「……ルシアくん。きみとリヴェルくんを助けたのは、お二人がカインではない別の吸血鬼の血を持っているからです。もしも、きみ達の身体に入れられた血がカインのものであったなら、僕はきみ達を助けたりしなかった」

「ただのお人好しかと思っていたが……お前にも、そこまで嫌悪する存在が居たんだな。意外だったぞ」

「嫌悪……ふふっ、この胸に蟠る感情がただの嫌悪だったら、話は単純だったんですけどね」


 残念ながら、とジェズアルドが嗤う。それは、今まで見せてきた胡散臭いものでも、人を小馬鹿にしたものとも違っていた。

 まるで、己自身を嘲笑うかのような、皮肉で自虐的なものだった。


「カインの血を引く皆さん、『命令』です」


 落ち着いた声でジェズアルドが言葉を紡げば、飢えに狂っていた吸血鬼達が黙り込んだ。縋るように見つめる男、大きな瞳を潤ませる少女。

 哀れな同胞達に向かって、その中の誰よりも紅い吸血鬼は静かに、そして冷酷に言い放った。


「……安らかにお眠りなさい。永遠に、ね」

 

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