ドアを開けて――鍵は開け放たれている。恐らく、昼間は開けっぱなしにしてあるのだろう――ジェズアルドを追った、その直後だった。


 噎せ返るような血の臭いが、肺腑に満ちて吐き気を煽る。


「なっ……!?」


 それは、異様な光景だった。窓には暗幕が張られ、無機質な照明が照らす室内。横に長く、広い空間。手前側と奥側、向かい合わせになるよう等間隔に並べられたパイプベッド。

 そこには、数十人にも上る吸血鬼が手足を縛り付けられた形で拘束されていた。顔面は蒼白で、生気がない。生きているのか、死んでいるのかさえ目視では判断出来ない。


「アハハッ、ルシアくん。きみの言う通りでしたね」

「は?」

「見てください。寝かされている吸血鬼の腕、献血の管が通されています。彼等はギリギリ死なない程度に生かされて、その血を搾取され続けているんですよ」


 一番近くにあったベッドの歩み寄ったジェズアルドがこちらを見ながら、指で指し示して見せる。確かに、老若男女問わず吸血鬼の腕には細い管が設置してある。真っ赤な液体が流れるそれは、今まさに血を抜き取っているのだろう。

 しかし、妙だ。管も、血を貯めるパックもちゃんとした医療用のそれだ。粗悪なものとは異なり、漏れたり破けたりはしていない筈なのに。

 この、胸を掻き毟りたくなる程の血の臭いは、一体どこから出ているのだろうか。


「こんなに小さな女の子にまで、容赦ないですね。まあ、この子はルシアくんよりもずっと年上のようですけど」


 眼下で眠る少女を見ながら、ジェズアルドが言った。十歳くらいの幼子に見えるが、吸血鬼ならばそれは多いにあり得ることだ。

 それよりも、不可解なことがある。


「お前……どうして、笑っていられるんだ?」

「え?」

「ここに居るのは、お前と同じ吸血鬼だぞ。同胞が惨い仕打ちを受けているというのに、何とも思わないのか?」


 この部屋に入って来た時から、ジェズアルドの様子がおかしい。俺が知る限り、彼はひょんなことで知り合った自分達を、ダンピールであると知りながらも異様なまでに可愛がるようなお人好しの筈だ。

 だから、彼がどうして自分と同じ吸血鬼の無残な姿を前に、ここまで楽しそうな笑顔を浮かべているのかがわからない。


「僕と同じ? ふふっ、ルシアくん。冗談は止めてください。ここに居る吸血鬼は――」

「……カイン、さま?」


 不意に、少女が目蓋を上げて大きな眼でこちらを見た。そして、『カイン』という名前に反応したのか、眠っていた筈の吸血鬼が次々に目を開けた。

 苦痛に濁った紅い瞳が、一様にジェズアルドを見つめる。


「ほ、本当だ……! カイン様だ……」

「真祖……ああ、そんな」

「カインさま……おねがい、します。たすけて、ください……」

「……おい、こいつらは一体何を言って――」


 問いかけて、思わず言葉を飲み込んだ。隣に居るこの男は、『カイン』などという名前ではない。もちろん、ジェズアルドという名前が偽名だと知っているし本名だって当人の口から訊いた。

 間違いなく、彼はカインではなく別人だ。だから、てっきりいつもの調子で笑い飛ばすか困ったように溜め息を吐くか、そのどちらかだと思っていた。

 だが、違った。


「…………ぁ」

「おい」

「今は、その名前……聞きたくなかったなぁ」


 ぞくりと、肌が粟立つ。いつもの胡散臭い笑みが、仄暗いそれに豹変し。緊張感の無い声が、何の前触れもなく冷酷な響きを孕む。

 こんなジェズアルドは、知らない。


「な、なんだお前達は!?」


 自分達が入ってきたドアから、見慣れない男が入ってきた。中年の、禿げかけた頭部が特徴的な男だ。名札には所長という肩書と共に『エドガー・バロー』という名前が目に入った。


「まさか、政府の回し者か!! くそっ」

「しまった、待て――」


 名前を確認することに気を取られ、銃を構えるのが遅れた。逃がすものか!! 銃を手に、エドガーを追いかけようとした、その時だった。


「止まりなさい、これは『命令』です」


 突如、ジェズアルドがエドガーに向かって『命令』した。彼は己の声を飛ばして、止まれと言っただけ。銃も撃っていなければ、持ってすらいない。だから、普通ならばそのまま逃げられた筈だ。

 だが、不思議なことに。ジェズアルドの『命令』には、唯一の例外を除いては自分でさえ逆らうことが出来ないのだ。エドガーもまた、その場で足を止めて顔面を恐怖に歪ませるだけだった。


「うぐっ!? な、なんだこれは……どうして、足が動かない……」

「ルシアくん、あの人がここの一番偉い人のようですよ?」

「あ、ああ」

「ルシア、だと……!?」

「貴方、そのまま膝を付いて両手を頭の後ろで組みなさい。抵抗しようだなんて、考えたって無駄ですよ」


 言われた通りにするしかないエドガーに、つかつかと歩み寄って。ジェズアルドがにんまり嘲笑を口角に飾りながら、逃げ損なった哀れな男を見下す。


「ま、まさか……純血の吸血鬼、か?」

「へえ、流石に詳しいですね。さて……まずは、貴方のお名前と身分を答えなさい。『命令』です」

「……エドガー・バロー。このグーディメル研究所の所長だ」

「では、エドガーさん。何故、吸血鬼をこんなに集めているのですか?」

「研究……人間が永遠の命と強靭な身体を手にする為に、吸血鬼の生態を利用した薬を開発する為だ」


 エドガーの話は、概ね想定内ではあった。だが、薬の流通経路や吸血鬼の売買など、自分一人では到底調べきれなかった情報まで得られた。

 ジェズアルドが居れば、どんな情報でもラクに引き出せる。このままクライアントの前にエドガー達を連れて行き、必要な情報を好きなだけ引き出させれば良いだろう。そう伝えれば、彼は躊躇することなく頷いた。


「ええ、構いませんよ? ふふっ、ルシアくんも何だかんだ大人になりましたね? 変に暴れずに、毎回こうして平和的に解決すれば良いのに」

「はあ……呆気なさすぎて物足りないな。おい、ちょっと的になれ」

「なるわけないでしょう!」


 少しからかってみれば、すぐに悲鳴を上げるジェズアルド。いつも通りの反応だが、やはり何だか様子がおかしい。

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