『グーディメル製薬研究所』というらしいその建物は、賑やかな工場群の中で異色の静寂さを纏っていた。人の出入りはほとんど無く、不気味な程に人の気配がしない。

 正面入り口には、警備員の服を着た中年男が二人。ガラスのドアの向こうには若い女が一人、受け付け役だろうか。

 自分ならば警備員二人を三秒、女を入れても十秒以内で無力化出来る。だが、それを同行を許した紅い吸血鬼が止めた。


「あのねぇ、ルシアくん。リヴェルくんが近くに居るんですから、出来るだけ穏便に行きましょうよ。大丈夫、ここは僕にお任せを」


 そう言って、ジェズアルドが離れてから早十分。遅い。胸がムカつき始め、手遊びで愛銃の安全装置を外したり戻したりしていると、何事も無かったかのように紅い吸血鬼は戻って来た。


「お待たせしまし……ルシアくん? 何でもう銃を手にしてるんですか?」

「あと二十秒遅かったらお前を蹴り倒してその口に銃口突っ込んで引き金を引いていた」

「怖い!」

「ちなみに、この銃の弾丸は全てシルバーブレッドだ」

「死んでしまいます!」

「それで、そこの人間達はどうしたんだ?」


 ひいっ、と情けない悲鳴を上げるジェズアルド。いつもは整えている髪は下したまま、スーツではなく黒いコートに眼鏡という見慣れない装いは未だに違和感がある。

 顔立ちのせいで似合っているのが腹立たしい。


「はい、明日の朝まで目を覚まさないよう『命令』させて頂きました。それと、研究所内を調査するのに必要なカードキーも譲って頂きましたよ」


 はい、どうぞ。そう言って、ジェズアルドが一枚のカードキーを手渡してきた。薄い青色の、特に変わったところの無いカードをコートの内ポケットにしまう。この吸血鬼の能力はこういう時に非常に有効だ。

 だが、思う。


「……お前は便利な能力を持っている癖に、どうしてあの時使わなかったんだ?」

「あの時?」

「毒花みたいな女に薬を打たれた時だ。あの時、お前なら止めさせるなり何なり出来ただろう」

「あー、そうですねぇ。それは、ルシアくんの仰る通りなんですけど……あんまり、この能力は使いたくないんですよ」


 気まずそうに笑うと、ジェズアルドが逃げるように研究所へと向かう。銃を手にしたまま後を追うと、いつの間にか警備員が二人共、仲良く背中を合わせて座り込むような形で眠り込んでいた。襲いかかってくる様子は無い。

 『言葉』だけで、こうも容易く敵を無力化出来るとは。


「使いたくない? 何故だ、便利だろう」

「確かに便利ですけど……今では魔法を使える吸血鬼も少なくなってきましたからね、あんまり目立ちたくないんですよ」

「…………は?」


 この高齢吸血鬼は一体何を言っているのだろう。美形揃いの吸血鬼の中でもずば抜けた容姿もさることながら、鮮血のように紅い瞳やら髪やら。

 目立ちたくないというのなら、能力よりも先に隠すところがあると思うが。


「え、何ですかルシアくん……その反応は」

「……これが噂に聞く認知症というやつか」

「えっ」

「まあ、良い。さっさと行くぞ」


 起きる気配の無い警備員達を後目に、足早に研究所の内部へ侵入する。受付カウンターの女は、突っ伏すような形で眠り込んでしまっている。やはり、起きる気配はない。


「表向きには、ここは薬の研究所。主には、血液製剤や栄養補助剤などの研究開発を担っているんだそうです。また、国内の孤児院や病院などと提携して治験も行っているんですって」

「つまり、ここで作られた薬の実験体は身寄りのない子供や末期の患者か。あの毒花達も、吸血鬼を搔き集める為に強化された駒なんだろうな」

「やれやれ、研究所というのはどこも似たようなものですね」


 ジェズアルドが肩を竦めながら、呆れたように笑う。そのまま受付を素通りすると、奥へと進み『スタッフ専用』と書かれたドアを押し開ける。

 後に続けば、薬品特有の匂いが鼻腔を撫でる。空調で室内温度は保たれているらしく、少し肌寒いくらいだ。


「……ルシアくん」

「どうした?」

「何か……物凄い量の血の臭いがします。あと、人間の気配も」


 ジェズアルドの言葉にハッとすると、一旦愛銃をコートの内側にしまい代わりに麻酔銃を取り出す。装弾数は二十五。殺傷性は無いが、一時的に気絶させることが出来る。人間相手には十分だ。

 次に、辺りを見回す。薄暗いスタッフ通路の先には幾つかのドア、そして突き当たりに両開きの扉がある。

 ドアの向こうはそれぞれスタッフの休憩室や会議室、資料室など。ジェズアルドが言う血の臭いの原因は、どうやら突き当たりの扉の向こう側にあるらしい。


「数はわかるか?」

「……五人、いや……四人ですね、人間は」

「人間は?」

「この血の臭いは、吸血鬼のものです。それも、かなり沢山居ます。でも、警戒するのは人間だけで良いと思います」

「……随分、詳しくわかるものだな」

「慣れていますので」


 そう言って、苦笑するジェズアルド。リヴェルが言っていたが、ダリア達に薬を使われて以降、ジェズアルドの感覚が妙に鋭くなっているらしい。

 ならば、信用出来るか。ジェズアルドに目配せをすると、足音を忍ばせながら突き当たりに向かう。窓の付いていない扉の隣には、カードリーダーの機械が設置してある。

 先程手渡されたカードキーを取り出して、差し込む。無機質な機械音と共に、扉のロックが解除される。


「よし、行くぞ」


 勢い良く扉を蹴り、中へと突入する。突然の侵入者に、近くに居た若い研究員が慌てて逃げようと別の扉へと駆ける。

 もちろん、背中を見せた獲物を逃すなどというミスは犯さない。隙だらけの背に弾丸を撃ち込めば、研究員はそのまま前のめりに倒れて動かなくなる。


「な、なんだ!?」

「大人しくしていろ」


 次に妙齢の女、それから初老の男を撃つ。全員揃いの白衣を着込み、名札を胸に付けている。責任者は居ない。ジェズアルドが四人と言っていたから、もう一人くらいは居そうだが。

 とりあえず、全員の手足を縛っておくことにしよう。


「うわあ……凄く濃い血の臭いがします」


 後からやって来たジェズアルドが、不快だと言わんばかりに美貌を顰める。確かに、自分でも感じる程に空気が血生臭い。吸血鬼である彼ならば、さらに色濃く感じているのだろう。

 倒れた三人を手早く結束バンドで拘束してから、室内を探索する。ここは倉庫、なのだろうか。巨大な冷蔵庫に、棚や金庫が並んでいる。


「……ふん、大当たりのようだな」


 試しに冷蔵庫を開けて見れば、そこには大量の輸血パックが詰め込まれていた。更に、棚にあるのは自分が入手したものと同じ錠剤。蝙蝠が訴えていたことは真実だった。

 これだけでも、かなりの収穫だ。ふと、リヴェルのことが気にかかる。事情があったとはいえ、銃も撃てない弟を一人で残してきたのはやはり気にかかる。

 敵の巣は突き止めたのだ。ここで撤退したとしても、問題はないだろう。


「……リヴェのことが気になる。薬の出所は特定したんだ、後はクライアントに任せても良いだろう。戻るぞ」

「…………」

「……おい」

「この部屋は……」


 振り向いた時には既に遅く、ジェズアルドが奥にあるドアを押し開けて中に入ってしまった。あの若作りのジジイめ。年を取ると我が強くなるというのは、こういうことか。

 舌打ちしながらも、後を追う。別にジェズアルドがどうなろうと、何をしようともこちらの害が無ければ問題はないのだが。戻った時にジェズアルドが居なければ、リヴェルに何を言われるかわからない。


「おい、何をして――」

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