③
※
「……ちぇ。本当に置いてかれた。あーあ、つまんねー!」
二人の姿がすっかり見えなくなってしまった頃、ぶすっと不貞腐れながら思わず愚痴を吐いた。すっかり懐いてくれたらしい蝙蝠――あまりにも可愛らしいので、ペットに出来ないか後でジェズアルドに訊いてみよう――が、慰めるように頬を擽る。
「んー? あっはは、何だよ擽ったいぞ!」
くすくすと笑って抗議すれば、蝙蝠は膝に降りて小さく小首を傾げてキイ、と一つ鳴いた。蝙蝠に触るのは今回が始めてなのだが、何故だか何が言いたいのかがわかってしまう。
「え、何でダンピールと吸血鬼が一緒に居るのかって? ……やっぱり、変なのかな。でもなー、ジェズはずっと前からオレとルシアのコトを気に掛けてくれてるんだよな……何で、だろ」
思い返してみれば、ジェズアルドはどうして自分とルシアのことをそんなに気に掛けてくれているのだろう。否、違う。オレは知っている。
――きみ一人くらいなら、どんな状況になろうと護って見せますから――
「……ジェズは、どうしてオレのコトをあんなに大事に考えてくれてるんだろ」
一度気になってしまうと、どうしても気になってしまって。うんうん唸りながら考え込むも、答えなんか見つかりそうにも無い。
考えるよりも、訊いてみる方が早いな。そう開き直って窓の外を見ようとした、
その時だった。
「――――ッ!?」
車内の景色がぐにゃりと歪み、まるで車ごと物凄い力で揺さぶられているのでは無いかと思う程に感覚がおかしくなる。
視界が車内から、薄暗い檻に変わった。マズい! 無意識に手を宙に彷徨わせ、『宝物』を探す。ジェズアルドから貰った大事なギター。だが、今日はベッドの上に置いてきてしまった。
ならば、もう逃げる手段が無かった。
「あ……や、やだ……」
傍らで、小さな蝙蝠がキイキイと鳴いている。だが、もうそんな鳴き声は耳に入って来なかった。
「…………!!」
何者かに腕を掴まれ、固いベッドに押さえ付けられる。違う、これは『オレ』じゃない!! 必死に自分の言い聞かせるも、もう何もかも遅かった。
――最近この猫つまんねーよな。殴っても、蹴っても反応しねぇんだもん。昔はちょっと叩いただけで、『おねえちゃん助けて』って泣き喚いたのに――
声が、聞こえる。嘲笑しながらこちらを見下ろす、男の姿が見える。欲に濁りきった瞳に、ヤニ臭い呼気。逃げたいのに、抗いたいのに、身体が動かなかった。
傷だらけの腕が、少し持ち上げるだけでも激痛を訴える。足もまた鉛のように重く、逃げるどころか立ち上がることすら出来ない。
否、違う。『出来ない』と思っているのは、オレだけ。その身体の本当の持ち主は、最早抵抗しようなどと考えることすらしなかったのだ。
――じゃあ、また……するか? コイツ、可愛い顔してるし。前にした時は狂ったように啼いてバカみたいに……してたじゃん。あれなら、まだ嫌がるんじゃねぇの?――
もう一人の男が、ニヤニヤと嗤いながら身の毛もよだつ様な言葉を吐いている。嫌だ、助けて! どんなに叫んでも、『オレ』の意思は関係無かった。
そう、その薄暗い空間に『オレ』は存在しないのだ。ただ、見ているだけ。爆発事件があった現場を、安全な家の中のテレビで眺めているのと同じ。
それは『オレ』ではなく、もう一人の『兄』の記憶。生き別れになってしまった双子の兄、テュランが見ている景色なのだ。
――そういう気分じゃねぇし。それに、こんな状態なら何したってダメだろ。あーあ、コイツもそろそろ処分時かもな――
――それなら、出来るだけサンプルを貰っておかなきゃな。何せ、貴重なワータイガーだ――
――ははっ、そうだな。そういうわけだ、子猫ちゃん。どうせ死ぬなら、その前に目一杯アルジェントに貢献してくれよ?――
『…………見る、な』
「――――ッ!?」
テュランが掠れた声でやっとそれだけを呟いた瞬間、意識が急速に現実に引き戻される。びっしょりと汗をかいており、喉がからからに渇いている。
視界に広がるのは、見慣れた車内。まだルシアとジェズアルドは戻ってきていない。体感的には何時間も経っているように感じるが、実際は五分も経っていないのかもしれない。
朦朧とする意識。痛みを感じる程の鼓動に、荒い呼吸。深呼吸を何度も繰り返して、徐々に落ち着きを取り戻そうと試みる。
「…………はあ」
シートに背中を預けて、ぐったりと脱力する。二人が居ないのは心細いが、同時に居なくて良かったとも思う。
今のは間違いなく、テュランが見ている景色だ。彼が居るのは、いつも同じ檻。薄暗く冷たい空間で、テュランは生まれてからずっと、人間達の手によって酷い仕打ちを受けてきた。そして、それを自分もまたずっと見てきた。
だから、知ってしまった。
「……テュラン」
名前を口にするだけで、涙が出そうになる。血を分けた、兄。分身とも呼べる存在が、最早いつ死んでしまってもおかしくない状況にまで陥ってしまったのだ。
無理もない。幼い頃に信頼していた少女に裏切られ、それからテュランはずっと独りだった。与えられる苦痛に耐えるしかない毎日。助けてくれる者はおろか、話を交わす相手すら居ない。
色のない毎日に、テュランの心はすっかり疲れてしまっていた。数日前に、ジェズアルドに聞かれた際に返したが答えはあながち嘘ではない。年を追うごとに、テュランとシンクロする間隔が減っている。
それはきっと、テュランが考えることを止めてしまったからだ。彼は痛みに抗うことをせず、希望を全て捨て去り、僅かに残された思い出に縋ることさえ止めてしまった。
もしも、テュランがこのまま死んでしまったら。
「オレ……どうしたら良いんだろ」
かつて、ジェズアルドは言った。人が一人で抱えられる幸せなど限られている、と。両手で抱えられる以上の幸せを望めば、今まで手にしていたものも全部取り落としてしまう。
オレの幸せはルシアとジェズアルドだ。あの二人が居れば、他に何も要らない。そう決めたのだ。
だから……オレは、テュランを見捨てることに決めたのだ。
「……うー……気持ち悪い」
再び蝙蝠が膝に乗って、心配そうに見つめてくる。汗が気持ち悪い。車から出るなと言われたが、窓を開けるくらいならば許してくれるだろう。ドアウインドウを全開にすれば、何だか金属や薬品の苦い薬が生温い風と共に吹き込んできた。一体何の音なのか、ガンガンと何かを連続で叩くような音も聞こえる。
清々しい、とは言えないが。髪を揺らす風に、少しは気が紛れるよう。窓から顔だけを出して暫く涼んだ後、そのまま二人が戻って来るまで昼寝でもしようかと目を閉じた。
――だから、オレの姿を見つめている者の存在には、気が付くことなんて出来なかった。
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