「またかよ、あいつも懲りねぇよな?」

「研究熱心なのは良いが、ありゃ病気だな」


 薄い暗闇の向こうから、ケラケラと癇に障る声が聞こえてくる。だが、それらが自分に向けられたものではないとすぐにわかった。

 ズッ、ズッっと靴底を擦るような足音。特徴的な歩き方は、この『アルジェント国立生物研究所』にぶち込まれてから一か月も経っていないが、すぐに覚えた。確か、ノエという人間の男だ。枯れ枝のように痩せ細っており、悪食が進んだ自分の舌でも美味いとは感じないだろう。

 そして、人外でも無いのに仲間の人間達からつま弾きにされている、可哀想な研究員である。


「オーロ出身のエリートだか何だか知らねぇが、十年以上も前に凍結された研究にまだしがみついてるとはな」

「しかも、あの『子猫ちゃん』にご執心と来た。馬鹿だな、あいつなんか研究どころか自分に『双子の弟』が居ることすら知らねぇってのに」

「ほら、ダンピール実験の方はメルクーリオに移されただろ? あっちから仲間外れにされたから、ムキになってるんだろうぜ」

「あーあ、ああいう風にはなりたくねぇな?」


 聴力に優れているゆえに、全部聞こえてしまった。だからと言って、自分の得になるような情報は何も無かったが。暇潰しにはなるだろうかと、耳を澄ませる。

 不意に、ノエが足を止めた。自分が閉じ込められている檻の、通路を挟んだ向こう側。そこに居る者に向かって、疲れ切った笑顔を顔面に貼り付けて声を掛ける。その手には、掌にすっぽり収まる程の大きさの機械が握られている。

 他の研究員の話によると、ノエは何かとボイスレコーダーで音声記録を録る嫌いがあるらしい。


「……やあ、具合はどうかな?」


 消灯時間を過ぎた檻に、声が響く。だが、問い掛けに返事は無い。眠ってしまったのか、それとも死んだか。

 どちらも有り得たが、どちらでも無かった。吸血鬼ゆえに、明かりが無くとも視界は良く見える。ノエの背中越しに、金色の髪を持つ青年が居る。大分痛めつけられており、声を掛けても何も返して来ないが。まだ何とか生きているようだ。


「毎日しつこくてすまないね。だが、考えて欲しい。きみは、知っている筈なんだ。思い出せる筈なのだよ。自分ではなく、別の……生き別れになってしまった弟の記憶を。何でも良い、どんなに些細なことでも構わない。私に教えてくれないか?」

「…………」


 ノエの猫撫で声に、話し掛けられたわけでもないのに肌が粟立つ。オレだったら燃やしてるな。最も、変な薬を注射された上に愛用の『指輪』を盗られた為に、悔しいが今は何も出来ないのだが。

 それ程までに嫌悪を感じるのに、青年は何も言わなかった。一瞬だけ顔を上げて、金色の瞳でノエを見上げるものの。すぐにまた俯き、沈黙を守るだけだ。


「私の理論が正しいなら、きみにも『シンクロ能力』が存在する筈なんだ。頼む、私に力を貸して欲しい。きみが協力してくれるのなら、すぐにこんな場所から出してあげよう。清潔な寝床も、暖かい食事も何でも用意してあげるから」

「…………」

「……お願いだよ、テュラン。私はどうしても、あの研究を護る為に隠蔽されてしまった『真実』を暴きたい、だから――」

「ノエ博士、いい加減にしたまえ」


 突如、割り入った低い声。厳しい口調は、この研究所の所長だ。びくりと肩を跳ねさせて、哀れなノエが声を引きつらせる。


「ひっ!?」

「貴殿の研究は既に凍結されている。そして、テュランにシンクロ能力が無いことは既に明らかだ。今までに何十回、何百回の『実験』を重ねたか知っているだろう」

「で、ですが――」

「これ以上件の研究に関わるなら、貴殿には相応の処置を取らなければならなくなる。なんなら、故郷に還って貰っても此方としては構わないんだがな」

「……!? お、お願いします! それだけは……それだけは、ご勘弁を。申し訳ありません、申し訳ありません……!」


 そう言って、ノエは何度も謝罪を繰り返しながら所長の後を追って姿を消した。非常灯の明かりだけになった空間は、再び退屈な静寂に満たされてしまう。


「……やれやれ、勿体ない。あの人間の研究に協力してやれば良かったのに。あいつが望むようなことを、適当に話してやるとかさ。そうすれば、こんなブタ箱みてぇな檻から出られたかもしれねぇぞ?」


 あまりにも退屈だから、ついつい皮肉が口を突いて出てしまう。どうせ何を言っても、青年から返事が来ないことはわかっているのだが。

 ああ、早くこんな場所から抜け出したい。そう考えていた、その時だった。


「……人間は、信用出来ない」

「は?」


 驚くことに、青年が初めて自分の声に反応したのだ。今にも消え入りそうな、弱々しい声ではあったが。耳が痛くなる程の静けさの中では、自分ならば十分に聞き取れる。


「人間は、信用出来ない。心にも無い綺麗事を吐いて信じさせておいて、平気な顔で他人を裏切るんだ」

「……ハハ、あんた……相当痛い目にあったみたいだな?」

「もう、思い出せないくらい昔のことだケドな……」


 自虐的な笑みを浮かべながら。ふと、彼が此方を見てきた。彼もまた夜目が効く人外だ。こちらの姿が見えるのだろう。

 金色の双眸と、視線が合う。


「……アンタ、吸血鬼?」

「ああ、そうだ」

「ふうん……アンタ、カッコイイな」

「おっと、このヴェルマー様の美貌に見惚れたか?」


 四百年に渡って女を魅了し続けた容姿には自信がある。ふっと微笑しながら言えば、青年が力無く笑った。


「……でも、俺が知ってる吸血鬼の方がもっとカッコイイぞ。たまに情けないところがあるケドな」

「はあ? おいおい、聞き捨てならねぇぞ。一体どこのどいつだよ、その吸血鬼ってのは!?」

「……さあ?」


 クスクスと、青年が笑う。何だよそれ! 掴みかかって問い質してやりたくなるも、間に立ちはだかる鉄格子が邪魔だった。

 鍵をぶっ壊してでも、その吸血鬼の名前を吐かしてやる! 無駄な足掻きだと知りつつ、そう息巻いて格子に掴みかかる。力づくでも南京錠を歪ませようと必死だったからか、彼がぽつりと呟いた言葉は耳に入らなかった。


「どれだけ痛めつけられようと、どんなに薬を盛られようと……絶対に教えてやらねぇよ」

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