「へえ、そうなんですか。……因みに、吸血鬼の間で密かに人気のある雑誌をご存知ですか? 丁度、こんな感じの蝙蝠が頑張って購読者の元まで運ぶんですよ」

「ふうん? それはそれは、ご苦労な話だな」

「きみは自分の掌サイズの小動物にまで無慈悲なんですか!?」


 籠の中の蝙蝠の片翼に残る傷。まさか、狙撃でもしたのか? これは流石にお説教か。


「あはは、違う違う。その蝙蝠、雑誌を運ぶ途中で猫か犬に襲われたみたいでさ。飛べない程の傷じゃ無かったみたいだけど、行き場所もわからない感じでふらふらしてたからルシアが捕まえて来たんだよ」


 そう言って、リヴェルが小皿を片手に戻ってくる。良かった、ナイフは置いてきたようだ。ルシアが本当に蝙蝠に暴力を働いていないかどうかは、わからないままになってしまったが。


「全く、お前は俺を何だと思っているんだ? 流石にそんな小さな生き物を撃つわけないだろう?」

「はあ、すみません。どうにも、きみが僕の知っている堕天使さんにそっくりなので」

「それは褒められているのか、それとも貶されているのか?」

「見た目だけなら絶世の美男ですよ……ルシアくんも、あの方もね」

「なあジェズー、コウモリってリンゴとか食べるかな?」


 ついつい零れた本音を誤魔化しつつ、リヴェルの方を見やる。すると彼は、籠の中で暴れ回る蝙蝠に何を思ったのか。林檎の欠片を手に躊躇なく蓋を開けてしまっていた。


「えっと、果物を主食にしている蝙蝠も確かに居ますが……ちょ、ちょっとリヴェルくん?」

「お、おいリヴェ! すぐに籠から離れろ、噛まれたらどうするんだ!」

「こんなちっちゃいのに噛まれたからって、死なないって。あは! 見て見て、二人共。コイツ超可愛い!」


 満面の笑顔で、リヴェルが蝙蝠をその手に乗せた。今まで暴れ回っていた癖に、願望が叶ったからか。それとも吸血鬼の天敵であるダンピールに恐れでも抱いたのか、蝙蝠はリヴェルの手の上で行儀良く一欠片のリンゴを齧り始めた。

 何だろう、可愛い子が小さな生き物を大事そうに愛でる、この光景の恐ろしい威力は。


「……可愛すぎるだろ」

「ええ、同意します」


 天使と小動物の組み合わせの威力に震撼しつつ。なる程、リヴェルはリンゴを切り分けていたのか。しかも、可愛らしいウサギの形にカットしてある。

 戦闘以外は凄まじく不器用なルシアの代わりに、家事全般はリヴェルが受け持っているからか何時の間にか妙な技術を身につけていたらしい。


「どうだ、リヴェ。その林檎は美味いか?」

「うん、結構甘いぞ?」

「ふふ、良かった。この辺で林檎はあまり見ないからな」

「メルクーリオは他国との貿易も盛んになってきましたからね。この国には無かった代物が増えてきたということは、豊かになってきたってことなんでしょうけど……」


 それが吸血鬼の犠牲によって成り立っているだなんて。あまり面白くは無い話だ。


「ジェズもリンゴ食う? 足りないなら、また剥くケド?」

「あ、いえ……僕は結構です」

「あれ、ジェズってリンゴ嫌いだったっけ?」

「おい老害、リヴェが剥いた林檎が食えないとでもほざく気か」

「ち、違いますよ! そういう意味では断じて無いです!!」


 懐から銃を取り出したルシアに、慌ててかぶりを振る。むしろ、リヴェルが用意してくれたものなら喜んで頂戴したいところだ。

 だが、『リンゴ』に限ってはそれが絶対に出来ない。


「えっと、その……すみません。どうしても食べられないんです、リンゴだけは」

「そうだったのか。うーん、知らなかったな。ジェズって食べられないモノあったんだ」

「気にするな。あれは悪食だからな、舌がおかしくなっていても仕方がない」

「僕は悪食じゃなくて偏食ですから!」


 ニヤニヤと意地悪な微笑を浮かべるルシアに、必死に主張しつつ。ウサギのリンゴは結局、リヴェルとルシアの二人で全部食べ終えた。

 視界から赤い実の姿が無くなり、無意識に強張っていた肩から力が抜けた。


「でさー、ルシア。さっきから読んでるその雑誌、吸血鬼専用の雑誌なんだろ? どんなことが書いてあるんだ?」


 小腹も満たされたからか、リヴェルがルシアの隣に寄って手元を覗き込んだ。ルシアはリヴェルに見えるように、雑誌を広げた。

 蝙蝠は自分の荷物を完全に諦めたのか、リンゴを平らげた後はリヴェルの頭に乗ったまま我が物顔で寛いでいる。

 可能なことなら代わって……いや、考えるのは止めよう。


「そうだな……吸血鬼御用達のリゾート地があるようだ。科学帝国オーロ、その特別区ラグランジア。暖かくて非常に過ごしやすい場所らしい」

「へー! 良いなー、リゾート地かぁ。行ってみたいな!」

「ふうん、吸血鬼がたくさん居るのか……何だか、稼げそうな匂いがするな」

「ちょっと、ルシアくん。何でも物騒な方向に考えないように。きみが言うとシャレになりません」

「ジェズはこのラグランジア? って、行ったコトあるのか?」

「え、ラグランジア……ですか? そうですね……昔、滞在していた時期があります。気候は確かに、過ごしやすいと思いますよ」


 リヴェルに訊ねられて、しばし記憶を思い返す。確かに暖かで、しかし湿度はなく気持ちが良いところだったような記憶はある。

 だが、良い思い出ばかりだとは言えない。


「ただ……昔、ラグランジアでは大規模な『吸血鬼狩り』が横行していましてね」

「き、吸血鬼狩り……?」

「あそこでは、親しかった知人をたくさん亡くしました。ですが、まだ多くの吸血鬼があの国には居る筈です。ダンピールであるきみ達には、少し居心地が悪い土地柄かもしれません」


 不死の力を打ち消すダンピールは、吸血鬼の天敵であると見なされる場合が多い。過ぎ去った時代であるとはいえ、長寿の同胞達は未だにあの景色を忘れることが出来ていない。

 ルシアが一緒に居るとはいえ、リヴェルにあの地へ行かせるのはどうにも気が乗らなかった。


「リヴェルくんがあまりに可愛らしいので、夜中に神の元へと還り損ねた吸血鬼のおばけが悪戯しに来るかもしれませんよ?」

「んー、別に幽霊とかは平気なんだケド」

「おや、残念。リヴェルくん、ホラーは平気でしたか」

「おい、老害」


 先程から繰り返されているが、老害とは酷い言い草だ。何か言い返してやりたくなるものの、ルシアが何やら目配せして。遅れて、はっと気が付く。

 そういえば、リヴェルが何処かに行きたいだなんて我が儘を言うのは珍しいことだ。それを否定するなんて、不覚だった。


「良いぞ、リヴェ。お前が行きたいところなら、どこでも連れて行ってやる。すぐに、というのは難しいかもしれないが」

「え……でも」

「あ、それなら……僕がラグランジアの様子を見てきます。それで治安が安定しているようなら、リヴェルくんをご案内しますよ」

「治安が不安定だったら、どうするんだ?」

「安定させます」

「安定させるときたか」

「せっかく長生きしているのですから、たまにはお墓参りの一つも行かなければなりませんしね。どうでしょう、リヴェルくん?」


 ルシアと僕の申し出に、それぞれの顔を見比べて。やがて、不安そうだった表情をようやく破顔させてリヴェルが言った。


「……あははっ。二人が居てくれるなら、絶対に安全だな!」


 年齢に反して、幼い笑顔。そんな弟の髪を優しく撫でるルシアの目は、いつになく暖かくて。


「やれやれ、きみ達兄弟は本当に仲が良いですね……」


 無意識に、そう零してしまう。血なんて繋がっていない、ただ同じ施設に居ただけの赤の他人同士なのに。血が繋がっている兄弟よりも、ずっと確固たる絆が存在するのだ。

 嗚呼、どうして。胸中で蠢く嫌な感情を押し込めるように、僕は静かに息を吐いた。

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