③
※
目を開けた瞬間、僕は悟った。
「……もしかして、僕……また寝てましたか?」
「んー、寝てたっていうか……」
「気絶した、の方が正しいかもしれないな」
両腕を突っぱねるようにして、怠い身体を起こす。今日はベッドではなく、ソファに寝転がされていたようで首やら腰やらが地味に痛い。頭も、こめかみの辺りがズキズキと痛む。
ええっと、何をしていたんだったか。
「……気絶、ですか」
「手伝う、だなんて言っておきながら突然ひっくり返ったんだ。覚えていないのか? ついにボケたか?」
「あー……」
思い出した。今日は、先日の宣言通りにルシアの仕事を手伝う筈……だったのだが。何だか、急に気持ちが悪くなってしまって。気がついたら、このザマだという。
流石に、蜂の巣にされても文句が言えない状況だが。何故だか、それほどルシアの機嫌が悪くはない。特に苛立った様子もなく、向かいのソファに腰を下して雑誌に視線を落としている。彼が落ち着いている理由は……何となくわかってはいるが。
あと、何やら足元からガタガタと妙な気配を感じる。気になる。
「だが、その後ですぐに雨が降ってきてしまったからな。撤退せざるを得なかったわけだが」
「この国の雨は、霧みたいになって視界が悪くなることが多いからなー。道路も規制が入るし、鉄道とかも止まっちゃうんだって」
ニコニコと、満面の笑顔でリヴェルが言う。やはり、リヴェルが笑っているだけでルシアの情緒も安定するのだ。最も、リヴェルがご機嫌でいるのもルシアが近くに居るからであって。
リヴェルが女性であったならば、絶対に間違いが起こる――最も、厳密に言えばこの二人の血は繋がっていないのだから、そういうアレがあったとしても何も問題はないのかもしれないが――であろう関係性に苦笑が漏れてしまう。
ていうか、先程から足元でガサゴソ音を立てている何かについて説明が欲しい。
「ジェズ……大丈夫か? 急に気を失ったってルシアから聞いて、すっげー心配したんだからな!」
今まで笑っていた筈の子猫が、急に困り顔を向けてくる。料理でもしていたのだろうか、その手には果物ナイフが握られている。
銀の加工などされていない上に、大した殺傷能力も無い折り畳み式のナイフ。僕からしてみれば玩具のようだが、どうしても身体は強張ってしまう。
「あー……あはは、すみません。僕は大丈夫ですよ、リヴェルくん。それより、足元に何か居るんですけどこれ
って――」
「はあ!? どう見たって大丈夫じゃないだろ!!」
鋭い剣幕で、リヴェルが怒鳴った。不覚にも、びくりと肩が跳ねる。リヴェルがこんな風に怒りを露にするのは珍しい。否、初めて見た。彼にも怒りという感情がちゃんとあったのか。
加えて、獰猛なワータイガーの血もしっかり流れているようで。出来ることなら、その手に持つ果物ナイフを下して欲しい。ぎらつく銀色の刃に、どうしても身がすくんでしまう。
「お、落ち着いてくださいリヴェルくん」
「落ち着けるわけねーだろ! ジェズ、あれから何回倒れてると思ってるんだよ! 今日はもう外に出歩くの禁止! 絶対安静! 良いだろ、ルシア!?」
怒りの矛先が、ルシアへと向かう。彼もまた、普段は温厚な弟しか知らないのだろう。本気になれば、瞬きする間もなくリヴェルの手からナイフを弾き飛ばして無力化させることは可能だろうに。
「ま、まあ……リヴェが言うなら、仕方ないな」
完全に圧倒されたまま、ルシアがこくんと頷く。良し、とリヴェルが再び僕の方へ向き直った。
「そんなワケだから、ジェズ。元気になるまで、外出禁止だからな!」
「え……それは、ちょっと困りま――」
「返事は?」
「……はい、わかりました」
怖い。何も言い返せない。まさか、リヴェルがここまで威圧的になれるとは。普段のぼんやりとした子猫の印象が強いからか、ギャップが凄い。まさか、ルシアまで黙らせるとは思わなかった。
「……この天気では、大した成果は出せなかっただろうからな。せっかく時間が出来たんだ、大人しく寝ていろ」
そう言って、ルシアが緩慢に足を組み直して再び視線を手元に落とす。珍しく労わってくれる彼が気味悪く感じるものの、仕方がない。今日は彼等の言う通りにするとしよう。
「……で、今日は二人で何をするつもりだったんだ?」
果物ナイフを片手に、キッチンに戻ったリヴェルが声だけを飛ばしてくる。良かった、機嫌は何とか直ったらしい。
ほっと胸を撫で下ろして、僕はルシアに目を向けた。
「今日は……えっと、何をする予定だったんでしたっけ?」
「おい、急にボケるのは止めろ」
「いやいや、本当に覚えていないんですよ」
ていうか、今日の予定を聞く前に倒れたような覚えがある。それを素直に白状すれば、ルシアがあからさまに溜め息を吐いた。
「……今日は、行方不明になった吸血鬼達が監禁されている場所を突き止める予定だった」
「吸血鬼達を? 何故ですか、いや……そもそも、捕まった吸血鬼達ってまだ生きていらっしゃるんですかね?」
「成人した人間の血液量は約四リットル。吸血鬼の血液量は同程度か、それ以下。あの血液製剤の成分を考えると、最低でも上位の貴族クラスの血液が大量に必要な筈だ。一々捕らえた者の血を全て抜き取って殺すより、生命維持に最低限必要な分を残して繰り返し搾取する方がずっと効率が良い。無論、捕らわれた吸血鬼の全員が生きているとは考えられないが」
「なる程、牧場で飼われている牛さんと同じというわけですか」
僅かに汗ばむ額を、拳で拭う。あの時、ルシアが来なければ自分もそうなっていたかもしれない。今よりも具合の悪い状態で、血を抜き取られ続けるだなんて。
考えただけで、また倒れてしまいそうだ。
「出来ることなら、今日中に決着を付けてしまいたかったんだがな。まあ、焦っても仕方がない。目印を捕まえられただけでも良しとするか」
「……目印、ですか?」
「ああ。さっきから、お前の足元でバタバタ騒いでいるが。気がついていなかったのか?」
「……えっ」
言われて、ハッと気が付く。いや、目が覚めた時から気付いていたけれど。ガサガサ、バタバタと暴れている籠を手に取ってみる。
一体何処から調達したのやら。正方形型の籠は鳥籠のようだが、そこに捕らわれているのはどう見ても鳥では無かった。
「これ……蝙蝠、ですよね」
キイキイと、甲高い声で鳴く生物をじっと見つめる。真っ黒な身体に、真っ黒な翼。くりッと大きな双眸だけは赤。両手に収まるくらいな大きさの小動物は、何となく見覚えがある。
でも、一体どこで見かけたかはなかなか思い出せない。
「えっと、この蝙蝠がどうして吸血鬼の居場所の目印に……いや、ちょっと待ってください。ルシアくん……そういえば君は、さっきから一体何を読んでいらっしゃるんですか?」
ここからではよく見えないが、ルシアの手元にあるのは雑誌だ。それも彼が好むような銃火器やらサバイバル系ではなく、よくある情報誌のような。だが、ファッションやら食事やらにまるで興味を持たない彼が、暇潰しの為だけにわざわざ購入して読むだろうか。
それに、眼下で暴れ回る蝙蝠の存在。雑誌と蝙蝠、一見絶対に有り得なさそうな組み合わせだが、僕は知っている。やっと、思い出した。
「……ルシアくん、つかぬことをお聞きしますが……その雑誌、一体どこで手に入れたんですか?」
「街外れで右往左往している蝙蝠を偶然見つけてな。こんな街中では満足な餌も無いだろうと可哀想に思って、たまたま持っていた鳥籠で保護してやったんだ。この雑誌は、その蝙蝠が持っていたものだ」
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