第三章 仲良し兄弟
①
「ちょっと、今回はこれだけぇ? しけてるわねー、前の吸血鬼の時はこの倍は払ったじゃない!?」
こじんまりとしたアタッシュケースに敷き詰められた、真新しいはした金の束に思わず声を荒げた。協力してやっているのはこっちなのに! どうしてこれっぽっちなのよ!
自分と相手を隔てるガラステーブルの縁を蹴ってみるも、向かい側に居る中年オヤジは済まし顔のまま。
「今回の吸血鬼の質からすれば、妥当な報酬です」
しれっと言った。あまりにも事務的で、淡々とした物言いに本気で鼻っ面を圧し折ってやりたくなる。何ということ。協力してやっているのはこっちなのに!
「……あのねえ、アタシはアンタ達の為に物凄く身体張ってんのよ? 吸血鬼ってね、どれもこれも綺麗な顔してるけど危ないヤツらなの。一歩間違えば、アタシの身体に流れるルビーみたいに綺麗な血をぜーんぶ吸って殺しちゃうような悪趣味な殺人種族なの。だから、もう少し色を付けなさいよ!」
「重々承知しておりますよ。何せ、吸血鬼の生態を調査し、人類の為に有効活用する方法を研究していくことが我々の目的ですからね。貴女にはそのお手伝いをして頂き、我々はそれに見合った報酬をお渡しする。そういうお約束だった筈ですが……そうですか、要らないと言うなら――」
「い、いらないなんて一言も言ってないじゃない!」
中年オヤジの手が伸びる前に、アタッシュケースの蓋を叩きつけるように閉めて慌てて胸元に抱える。仕方がない、今日はとりあえずこれで我慢してやろう。
しかし、腑に落ちない。
「でもねぇエドガーさん、アタシが前に持ってきたガキと、今日のババア。どちらも銀のお薬一本耐えた筈だけど? なんでこんなに価値が違うのよ!」
「以前の少年はまだ若く、少々珍しい血液型だったということもあり価値が高いと判断しました。しかし今回の女は、力はあるようでしたが残念ながら悪食傾向を確認致しましたので」
中年オヤジ、もといエドガー博士が大分寂しくなっている頭部をカリカリと指で掻く。正直なところ、個人的には人類の未来という掴みようのない夢よりも、目先の鞄やドレスの方が大事だ。ああ、このままでは有名ブランドの限定ジュエリーが売り切れてしまうではないか。
「チッ……何よ、吸血鬼が欲しいって言ったのはそっちでしょ? ちょっとくらい質が落ちていても我慢しなさいよ! アンタ達、あの大国アルジェントがバックに付いてるんでしょ!」
「そうは言われましても、何分凍結された研究を内密に、細々と続けているだけですので……しかし、それもダリアさんのお陰で何とか花を咲かせそうですよ」
それで、ですね。エドガー博士が、傍らに置いてあったファイルから何かを取り出す。テーブルの上に置かれたそれは、どうやら写真のようだ。
「……何、この小汚い子猫ちゃんは?」
「吸血鬼集めとは別に、貴女の実力を見込んでお願いしたい仕事が御座いまして。この猫……正確にはワータイガーという珍しい種なのですが」
ワータイガー。言われれば、猫というよりは虎らしい。しかし、写真の中の『子猫』はまともな食事も出来ていないのか、げっそりと痩せ細っており線も細い。
「まさか、今度はワータイガー探し?」
「というよりは、この少年を探して欲しいのです。正確には、このワータイガーの双子の兄弟……と、いうことになりますが」
そうして、エドガー博士は話を続けた。正直のところ、面倒臭い感じがしたので大部分を聞き流していたが。
要するに、写真の子猫ちゃんには双子の弟が居る。一卵性の双子なので、背の高さや体格など多少は違うかもしれないが。弟本人の写真や資料などは殆どが消失してしまっており、今では生死の確認も取れていない。
「ですが……国外に持ち出してまで、この計画を続けようとしている重役にとっては、この弟の存在は必要不可欠です。なんせ、貴重な『成功例』ですから」
「要するに、アタシ達よりも正規な方法で生まれたダンピールってわけね。でもねぇ……居場所どころか生きてるか死んでるかすら、わからないんでしょう?」
まるで砂漠に落とした指輪を探すかのような仕事に、流石に嫌気を感じてしまい。しかし、エドガーは妙に自信満々な様子で笑っている。
一体その目は何処見ているのかしら、エロじじい。仕事が終わったら絶対に風俗に行って女の子に札束を貢いでいるに違いない。
「それが、かなり信用出来る筋から情報を入手しましてね。この一か月以内に、ターゲットらしき少年がこの国に入国したとのことです。というわけで、ダリアさんには今後……吸血鬼よりもターゲットの捕獲を優先して頂きたい。多少の怪我は致し方ありませんが、生きていることが絶対条件です」
「ふーん……どーうしよっかなー?」
真っ赤なヒールを揺らしながら、煮え切らない返事を返す。どうにも乗り気にならない。なんていうか、面白くなさそうなのだ。
吸血鬼集めは元々の本業から派生したものだし、見目麗しい吸血鬼をイジメるのはとても面白い。だが、一人の少年を出来るだけ無傷で捕まえるだけだなんて。
今までと同程度の報酬では、やる気にならない。
「もちろん、報酬は弾ませて頂きます」
「へえ、どのくらい?」
「そうですね……何なら、ダリアさんの言い値でも構いませんよ」
エドガーの言葉に、思わず耳を疑った。昔から視力と聴力は良い方だが、聞き間違いかと思ったのだ。
「え、ほ……本当に?」
「流石に、天文学な数字を提示されてしまえば首を横に振るしかないのですが。そうですねぇ……本日お支払いした吸血鬼の金額にゼロを二つ足すくらいは出来るでしょう。他にも宝石ですとか、車ですとか。ダリアさんのお好きな物を言って頂いても構いません」
それは非現実的と言って良い程に、破格の条件であった。改めて、写真に映るワータイガーを見る。
ワータイガーという種族は普通、筋骨隆々でとにかく凶暴な生き物だ。この写真の子猫ちゃんはターゲット本人ではないが、双子というくらいなのだから殆ど違いは無いと考えて良いかもしれない。それならば、ターゲットはそれほど体格的には細い。
今までの吸血鬼狩りとはワケが違うものの。此方は場数を踏んでいる、力でゴリ押しすれば捕まえることくらいわけないかもしれない。
「そうそう、出来ればダリアさん。貴女には死んで欲しくはないので……確定の情報では無いのですが、これはあくまで私個人からの小ネタと言いますか」
「何よ、妙に勿体ぶるわね?」
「実は、このターゲット以外にもう一人……逃げ出したダンピールが居るんです。そちらの生存情報も不明、ですが……私の見解では恐らく、ターゲットと共に行動している可能性が高いと思われるので。残念ながら、そちらのダンピールの写真は無いのですが。生きていれば、二十代半ばくらいの成人男性に見える筈です」
エドガーが黄ばんだ歯を見せて、ニヤリと笑う。彼の話によると、ターゲットの『兄』と呼んでも差し支えない立場であるそのダンピールは人間に近い造形の為に、人間として紛れている可能性が高いとのこと。
それでも、性格は『弟』よりも好戦的。何でも、当時は本当に研究費が不足していた為に、身体の成長が早かった兄の方にはあらゆる暗殺技術を叩き込み、色々と汚い仕事をさせていたらしい。正に銃器のエキスパート。一時は無慈悲極まる殺戮劇と、持ち前の美貌から『堕天使』と称されていたらしい。
ふと、数日前のことを思い出す。
「……ねえ、もしかして……その兄の方のダンピールって、黒髪で目だけが紅だったりするの?」
「おや、よくわかりましたね? ちなみに兄の方はルシア、弟の方はリヴェルというようです」
もしや、私の心の中を呼んだのですか? エドガーが気持ちの悪い冗談で下品に笑っている。何にも面白くない上に、胸の中の憤りが再び燻り始めた。
そうか、あの黒尽くめのイケメンが……この磨き上げた玉のような肌を思う存分に傷付けてきれちゃったあの男が、ルシアだったのか!
「ねえ……ちなみに、ルシアの方は捕まえなくても良いの? 同じダンピール、なんでしょう?」
「出来ることなら、欲しいですが……ダンピールのデータもダリアさん達に頂いているもので十分ですしね。リヴェルには少々特殊な能力があるのですが、ルシアは戦闘能力が高いだけで……むしろ、非常に危険視されている為に出来れば処分したく――」
「オッケー。受けるわ、その仕事」
でも、と更なる条件を提示する。
「前金として、此方が提示する金品を用意してくれない? 何なら、報酬の方から削ってくれても構わないわ」
「それはそれは! ええ、もちろんですとも! いやー、ダリアさんに引き受けて頂けて良かったです。貴女にお任せすれば安心ですよ」
これで私の首も飛ぶことはないですね! エドガーが自己中心的な理由で喜んでいることなんて、最早気にも止められなかった。胸中では煮えたぎるような怒りと、堪え切れない程の歓喜がぐるぐると渦巻いている。
全ては、小生意気な坊やに思い知らせてやる為に。頭の中で描かれる、壮大な『復讐』への計画。あの美貌をどうやって歪めてやろうか、何なら足元に跪かせて靴を舐めさせてやっても良い。めくるめく魅力的な想像の数々に、自然と口角は痛いくらいにつり上がっていた。
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