⑥
ぽんぽんと、頭を撫でてやる。恐らく、リヴェル自身も焦っているのだろう。ルシアに護られるばかりの自分を、情けなく思っているのかもしれない。彼だってダンピールである。銃の扱いでも簡単に教えれば、自分の身を護る以上のことはすぐに出来るようになるだろう。
だが、出来ることなら。リヴェルには、誰かを傷付ける術を覚えて欲しくない。それは、ルシアとの暗黙の了解である。
「……オレなんかの歌が銃より強い武器になるなんて、全然想像出来ないんだケド」
怪訝そうに、僕を見上げてくるリヴェル。ううむ、そんなに信憑性がないのだろうか。ルシアにはどんなに馬鹿にされようとも気にはならないのだが、リヴェルに信用して貰えないのは何だか寂しい。
さてさて、一体どうしたものか。割と真剣に悩んでいるも、不意に鼻腔を掠める嫌な臭いに意識が向いた。
「…………」
忙しない人々の歩みの中に紛れ込んだ、『異物』の気配。周りに居る者達は、それぞれの目的を果たすことだけに夢中なようで。すぐ前を歩く三人組の若い女の子達も、前から足早に走り去って行った中年の男も。誰にも異物に気がついた様子は見られない。
でも、間違いない。すぐ近くに、居る。
「んー? ジェズ、どうした?」
急に黙り込んだ僕を見上げて、リヴェルが首を傾げる。無駄に大きくなったルシアとは違い、彼はまだ僕よりも頭一つ分以上も低い。
気のせい、なのだろうか。力が弱ってしまっているから、防衛本能が過剰になっているだけかもしれない。
「……いえいえ、別に何でも――」
無いですよ。そう笑って誤魔化そうと思った。だが、心とは裏腹に身体が反射的に動いていた。
リヴェルの手を掴んで、強引に引っ張る。
「うおっ、何だよ……ジェズ?」
「リヴェルくん、僕から離れないでください」
それだけ言って、リヴェルを連れて人の波を横切る。賑わっている大通りから外れ、静かな横道へと逸れる。
更にそこから、手前にあったビルの影へと隠れる。
「なっ、なになに……何だよ、どうした――」
「しっ、リヴェルくん。少しお静かに」
唇の前に人差し指を立てれば、リヴェルも渋々といった様子で口を閉じた。素直な子猫を一撫でしてから、僕は改めて大通りの様子を伺う。
まさか、僕は夢でも見ているのだろうか。
「……どうして、あの毒花のお嬢さん方はあんなにピンピンしていらっしゃるのでしょうか」
大通りをぎゃんぎゃんと騒ぎながら闊歩する、派手な身なりの女とその取り巻き達。間違いない、ダリア達だ。幸いにも、此方の存在には気が付いていないようだが。
下僕の男達に、山のような買い物袋を持たせて。それでもまだ満足しないのか、ショーウインドウ越しに飾られた靴や鞄を指差して何事か喚いている。背筋を不気味な悪寒が伝う。
「……ルシアくんにあれだけ痛めつけられておきながら、たった数日で回復したとでも?」
あの日、ルシアは彼女達の命を奪うことまではしなかった。元々彼は戦闘狂かつ拷問狂ではあるが、殺戮者ではない。だから、必要のない者の命を無意味に奪ったりしない。
その代わりに、致命傷となる箇所をわざと外し後遺症を残す可能性も極めて低い部分ばかりを狙って、痛みとトラウマを目一杯に植え付ける。それが悪趣味な彼のやり方だ。ダリア達も、普通なら半年くらいは寝込んでいてもおかしくないくらいの重傷だった筈。
それなのに、何故?
「なになに、ルシアがどうしたって? ……ジェズ、あの女の人と知り合い?」
うわー、派手だなー。ひそひそ声で、好き勝手に言うリヴェル。彼女達が僕にどれだけ執着しているかはわからないが、見つかったら相当面倒なことになりそうだ。
「知り合い、と言って良いのかはわかりませんが。知っている人ではあります」
「ふーん……」
幸いにも、当人は僕達の存在に気がつくことはなく。取り巻き達と共に、すぐにその場を去って行った。だが、あの様子を見るとこの近辺が彼女の庭なのかもしれない。実に厄介だ。
さて、どうしたものか。
「……ジェズってああいう派手な女の人がタイプなのか?」
「勘弁してください。女の子ならもっと清楚な娘が良いです」
とりあえず、彼女達が向かった方に近付かなければ大丈夫だろう。当面の安全を確保出来たことに胸を撫で下ろしつつ、リヴェルの方を見やる。
すると、何やら銀色の双眸が怪訝そうに見上げてきた。
「女の子なら、って……つまり、やっぱり男でもイケる趣味なのか……」
「え、そこですか?」
ダリア達の存在を心配しているのかと思いきや、何故だか僕の趣向が気になっているようで。
「ふふっ、何ですかリヴェルくん。僕のこと、少しは怖いと思いました? それとも、もしかして……嫉妬ですか?」
「いや、その……もしかして、気が付いてない?」
「何がです……あっ!」
リヴェルの視線が、不自然に手元へ落ちる。つられて僕もそちらを見やれば、彼は言わんとしていることがやっとわかった。
パッと、掴んだままだった手を離す。
「す、すみません! わざとじゃないんですよ、ただ無意識で……その、ごめんなさい。不快でしたね」
我ながら、滑稽な程に焦っている。今更慌てたところで遅いというのに。リヴェルがじっと、自分の手を見つめているのが何よりの証拠だ。
「……ジェズの手って、ホントに冷たいよな。結構長い間握られてたのに」
不思議そうに、リヴェルが呟く。そう、僕の手は冷たいのだ。冷え性だとか、寒いからだとか。そういう理由ではない。
「あ、あはは……その、多分……一回死んでいるから、ですかね」
鏡を見なくとも、自分の笑顔が引きつっているのがわかる。あの冷たい雨の日に、全身を一本のナイフで滅多刺しにされて。それから色々あって、結局は吸血鬼となって今もまだ世界を彷徨っている。
肌を切れば血が出るし、毒を飲めば気持ち悪くなるし。それなりに生物らしい形を保つことは出来ているが。この手を蝕む、『死』の冷たさだけはどうすることも出来なかった。僕が触れれば人はもちろん、犬や猫も怖がって逃げてしまう。他人に嫌われたり、拒まれたりすることなんて別に構わない。
でも、何故か。リヴェルにだけは、この手を拒絶されたくないと思ってしまうのだ。
「……すみません。これからは、なるべくリヴェルくんには触れないように――」
「ジェズはさー、その手で触ったものが熱いとか冷たいとかは、わかるのか?」
「え? そ、それはわかりますけど」
「なら、問題ナシだな! 早く行こうよ、日が暮れちゃうからさ?」
離した筈の手が、再び掴まれて。止める暇もなく、リヴェルがグイグイと引っ張って歩き始めた。
満面の笑顔には、嫌悪の色がどこにもない。それが、僕を更に混乱させる。
「ちょ、ちょっとリヴェルくん!? わかりました、わかりましたから! 手を、離して良いですよ?」
「えー? 良いじゃん、ジェズとこうして出掛けるのなんて超久しぶりだし。ちょっとくらい甘えさせろよー!」
嗚呼、思い出した。リヴェルは幼い頃から、決してこの手を怖がったりしなかった。ルシアでも怯えていたくらいなのに、彼は寧ろ自分から懐きに来るような変わった子なのだ。
成長して、この手の冷たさの意味もわかっている筈なのに。呆れたのは、僕の方だった。
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