メルクーリオは、世界に存在する中で一番大きな大陸の端に存在する辺境国である。めぼしい鉱山資源や産業などはなく、少し前までは貧しい発展途上国だった。

 だが、ここ数年の間に目まぐるしい発展を遂げている。


「おー……スゲー、なんか……超賑やか! 見て見てジェズ、人間がたくさん居る!」

「……って、リヴェルくん。きみ……一週間前にはこの国に居たんですよね?」


 隣できょろきょろと辺りを見回すリヴェルに、呆れながらも問い掛ける。気分転換の散歩がてら、彼に街案内でもして貰おうと思っていたのに。

 まさかの、おのぼりさん丸出しである。


「いやー……そうなんだケドさ、引っ越してからあんまり外出歩いてないっていうか……夜にルシアと一緒に買い物に行く道くらいしか知らなくて」

「はあ……ルシアくんも相変わらずですが、リヴェルくんも良い子過ぎますね」


 えへへ、と誤魔化すように笑うリヴェルの頭をポンポンと撫でる。もっとも、彼は少々目立つので今は鍔付きの帽子を被らせている。その為、いつもの柔らかな髪の感触は無い。

 ルシアの心配もここまで来ると、第三者からすれば過保護を通り越して監禁のように見えることだろう。だが、無理もない。

 リヴェルは見る者が見れば、『金の卵を生む牝鶏』なのだ。存在が知られれば、どんな手を使ってでも彼を手に入れようとする者が必ず現れる。

 そんな複雑な事情が原因で、二人が各国を転々としているのも傍から見れば自由気儘な旅人のようだが。実質は不特定多数の敵を相手に『逃亡』を続けているからに過ぎない。


「うーん、でも……ルシアに一人で、特に昼間は目立つから出歩くなって言われてたんだケド……怒られないかな」

「一人で出歩くのは駄目って言われているんでしょう? 今は、ほら。僕が居ますから」

「ジェズは……うーん。イマイチ、頼りがい無いしなー」

「ええ、酷い……大丈夫ですって、きみ一人くらいならどんな状況になろうと護って見せますから」

「うわー、信用出来ねー……」


 怪訝そうに言って、リヴェルの視線が僕から逸れてしまう。ううむ、そんなに頼りないのだろうか。ルシアにはどんなに馬鹿にされようとも気にはならないのだが、不思議なことにリヴェルに頼って貰えないのは何だか寂しい。

 さてさて、一体どうしたものか。


「あ、ジェズ見て見て! あそこで歌ってる人が居る!」


 どうにかして見返してやろうと悩んでいると、不意にリヴェルが前方を指差した。僕にはまだガチャガチャとした喧騒しか聞こえないのだが。

 聴力に関してはリヴェルの方が圧倒的に高いので、大人しく彼を信じることにする。


「歌ってる人、ですか?」

「そうそう! ジェズ、来て。コッチ!」


 満面の笑みで、リヴェルが駆けて行ってしまう。先程までは外に出るだけでもおっかなびっくりだったくせに、好きなものが絡むとすぐに行動してしまう。

 幼子のようにコロコロと変わる表情に苦笑しながら、追いかける。護ると宣言した手前、迷子にしてしまっては格好が付かない。


「おおー! か、カッコイイ……」


 すぐにリヴェルの隣へ追いつく。そこには確かに、路上アーティストが居た。年齢は三十前後だろうか、無精髭をだらしなく伸ばした男がギターを掻き鳴らしながら歌っている。歌ってはいる、のだが。

 ……歌っているように、見えるのだけれども。


「……格好良い、ですか?」


 正直な感想は、両手で耳を塞いでしまいたい。それなりに長生きしてはいるが、僕は音楽にはそれ程詳しくはない。だが、これは『歌』と呼べる代物では無いことは確かだと思う。事実、立ち止まって聴いている者など僕達を含めても片手で足りる数だ。

 しかもその大半が聴いている、というよりは呆れている、といった表情をしている。


「えーっ、カッコイイじゃん!? 人前であんなに堂々と歌えるなんて、スッゲーよ!」


 耳障りで、音程を外しまくっている叫び声。歌詞が全く頭に入ってこないのだが、どうやらラブソングらしい。

 耳を塞ぎたくなるのを、精一杯に堪える。


「そうですか? 僕は、リヴェルくんの方が段違いでお上手だと断言しますけど」


 比べること自体が間違っているとは思うが。男が掻き鳴らしているギターは見るからに真新しいが、リヴェルが奏でる音の方が遥かに輝いている。


「え、ウソだー! オレのギターなんて、適当に弦弾いて好き勝手に遊んでるだけだぞ?」

「嘘ではありませんよ。僕は前から言っているじゃないですか、リヴェルくんには音楽の才能があるんですよって」


 三千年を軽く超える悠久の時を生きてきても、未だにこの世界というものは謎だらけだが。これだけは間違いない。リヴェルには類まれなる音楽の才能がある。

 見よう見真似で独学であるにも関わらず、優れたギターの腕前もそうだが。特筆すべきは彼の耳と声だ。ずば抜けた聴力は人外特有のもの。そして、声は吸血鬼の血を受け継いだ副産物だ。

 吸血鬼は花と同じ。己が誇る美貌で餌を誘い、捕食する。リヴェルの場合は、特に声から力を感じる。それ程強力なものではないし、彼は吸血鬼ではなくダンピールなのだ。生き血の捕食は必要ない。

 だからこそ、彼の声は音楽として世界へと送り出すべきなのだ。部屋に閉じこもっているばかりだなんて勿体無い!


「あー……だって、よくわかんねーんだよな、才能って。ルシアみたいに超強かったら、才能があるって言えるんだろうケド」

「確かに、ルシアくんは戦闘においては天才なのでしょうが……やれやれ、無自覚にも程がありますよ。そうだ、何ならあそこの彼と少し代わってみたら如何ですか?」


 思わずポン、と手を叩く。リヴェルが自分の才能に気が付いていないのは、周りから賞賛されたことがないからだ。僕やルシアがいくら彼の歌を褒めようと意味がない。見ず知らずの他人からの評価が必要なのだ。


「ええっ!? い、いや……流石に、それは……止めておこうかな」


 丁度演奏を終えて、おひねりを貰おうと周囲に愛想を振り撒く路上ミュージシャンを見やりながらリヴェルが首を横に振る。嗚呼、なんて惜しい。

 リヴェルなら、観客の方から金をつぎ込みたくなるだろうに。あのド下手なミュージシャンの鼻っ面を圧し折って、リヴェルの歌に惚れ込んだ音楽プロデューサーとかが名刺を持って大金を差し出すかもしれないのに。


「ほ、ほら! ジェズ、早く行くぞ!!」

「わ、わかりました。わかりましたよ!」


 ぐいぐいとコートの裾を引っ張られれば、流石に応じないわけにはいかず。僕は大人しくリヴェルと共にその場から離れることにした。

 結局、振り返ってもミュージシャンの姿が見えなくなるまで逃げて。ようやくリヴェルが大袈裟な溜め息を吐きながら、恨めし気に僕を見上げてくる。


「ったく、何だよジェズ! いきなり変なコト言いだすなよなー? 超焦ったんだケド!」

「良いじゃないですか。部屋で一人で歌っているよりも、聞いてくれるお客さんが居た方がリヴェルくんも楽しいでしょう?」


 昔、彼がもっと幼かった頃。リヴェルはどこかで聴いた歌を覚えて、それはそれは楽しそうに大声で歌って。僕やルシアに褒めて貰えるのを何よりも喜んでいた。

 ルシアとの旅を続ける内に成長して、いつの間にか人前では歌わなくなってしまったが。僕としては、リヴェルにもう一度あんな風に誰かの前で思いっきり歌って欲しい。


「リヴェルくん、きみの歌は特別なんです」

「特別?」

「そう。僕の『言葉』と同じように、きみの『歌』はきみだけの武器なんです。きっと、ナイフや銃なんかよりもずっと強力で、誰かを必要以上に傷付けたりしない優しい武器になる筈です。すぐに、とは言いませんが……勇気が出たら、その武器で自分なりに世界と戦う術を身につけなさい」

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