④
リヴェルが止める前に、丸い錠剤を一つ口に放り込む。そして飲み込むのではなく、奥歯で噛み砕き味や臭いを確かめる。
すぐに後悔した。
「うえええぇ……ま、まずい……」
「……まあ、薬だからなー。良薬は口に苦しって言うし」
「いや、そういう意味ではなく……これ、血ですよ」
込み上げる吐き気に、口元を抑えながら呻く。リヴェルのものとは全然違う、古くて腐ったような臭い。鉄錆を直接舐めたかのような不快な苦さ。
「それも……吸血鬼の血ですね」
間違いない、これは同胞の血だ。恐らく、それなりに高い能力を持っている吸血鬼のもの。他の薬品の味や臭いもするが、流石に僕ではわからない。
ただ、頭の中にある情報と情報が徐々に結びついていく。
「あーあ、ルシアに叱られても知らねーぞ……でも、そんなにマズイの?」
「まずいです、同胞の血程まずいものは無いです」
「へー……気になる」
リヴェルが僕の隣に寄って、ピルケースの中を見つめる。尻尾を大きくゆらゆらさせているのは、面白そうだと気になっている時の彼の癖だ。実にわかりやすい。
「ルシアに触るなって言われてたから、あんまり気にしてなかったケド……オレにも一つくれ!」
「駄目ですよ。ルシアくんに叱られるって、きみが言ったんじゃないですか」
「良いじゃん、ジェズは叱られることが確定してんだから。同罪同罪」
「却下します」
「えー……」
慌ててピルケースの蓋を閉じて、元の位置にしまう。これは明らかに身体に良いものではない。リヴェルに与えるだなんて、とんでもない。
「まあ、良いや。で、ジェズが喰った薬が吸血鬼の血で出来ているとして……一体何に使うんだ? 貧血の治療薬……とかじゃ、絶対無いよな。んー……錠剤やカプセル薬にしてるくらいなんだから、持ち運びする必要があるのか? あるいは、それなりに長期間保存する必要があるのか……」
うんうんと、リヴェルが唸る。彼もこんな風に色々なことを考えるようになったのか。思わず頭を撫でて褒めてあげようと手を伸ばしかけるも、ふと思う。
確かに、どうしてこの薬は内服薬の形をとっているのか。無意識に、自分の首や胸元を撫でる。まだ十分熱を持っている痣は、指が触れるだけでもびりびりと痛む。注射薬なら、体内に直接注入する為に即効性がある。
対して、内服薬には注射薬程の即効性が無い。加えて、口から摂取する為に消化管の吸収能力によっては効果にばらつきが出てしまう。だが、持ち運びが容易であり毎日飲み続ければ無理なく効果を積み上げられる。
つまり、吸血鬼の血を少しずつ身体に馴染ませることが出来るということだ。
「……どうした、ジェズ?」
急に黙り込んでしまったからか、リヴェルが心配そうに眼下から覗き込んでくる。紅い尻尾が揺れている。本来、ワータイガーの毛色は金色、もしくは白色である。だが、彼の髪や尻尾は鮮やかな真紅である。
その理由は、リヴェルは純粋なワータイガーではなく、吸血鬼の血も混じり合った混血種であるから。所謂、『ダンピール』と呼ばれる希少な血統なのだ。
「……いえ、何でもありませんよ」
「ホントに?」
「そっ、そういえばリヴェルくん。今日は天気が良いですね!」
ふと、窓の外を眺める。発展途上国であるメルクーリオの空は、工場群から吐き出される煙を飲み込んで少々くすんでいる。でも、雨が降る様子は当分見られない。
「そうだ。どうせなら、コートも一着頂いちゃいましょうかね。あとで弁償すれば、流石に文句を言われるくらいで済むでしょうし」
ルシアのことだ。どうせ、何着も同じような黒いロングコートを持っているのだろうとクローゼットを開く。案の定、四着程似たようなデザインの黒いコートがハンガーに掛けてあった。リヴェルに聞いて、ルシアが一番気に入っていないらしいコートを手に取る。
その拍子に、何かに裾が引っかかってしまったようで。硬くて、大きな何かが鈍い音を立てながら転がり出てきてしまった。
慌てて元通りに立てようとするが、『それ』に指先が触れる前に身体が硬直した。
「おっと、失礼……うげっ! こ、これって……」
足元に転がる鉛色には、見覚えがある。真新しい弾倉が装着されたまま、安全装置だけがかけられている奇怪な軽機関銃。
見ているだけで、じくじくと傷が泣くように痛む。
「あのー……リヴェルくん、この銃って……」
「ん? あー、コレ? 『VE176』って言う銃らしいぞ。ルシアの一番のお気に入りみたいだぞ」
リヴェルがそのへんてこりんな短機関銃、VE176の元にしゃがみ込む。そうそう、確かそういう名前だった。
正式名称はヴィーナス176。ほんの数か月前に、どこかの紛争地域で化け物じみた短機関銃が開発されたという話は聞いていたが、まさかルシアが手に入れてしまうとは。
絶対に彼が好きな系統の銃だと思っていたけれど。
「ルシアが頑張ってお金貯めて買ったんだぞ? スッゲー気に入ってるんだケド、弾代がバカにならないから暫くは出来るだけ我慢するんだって」
「百発も使っておいて、よく言いますね」
暴力的な女神様を丁重に、且つ絶対に暴発しないようにクローゼットの奥へと押し込む。そして、改めて手に取ったコートに袖を通した。
「ジェズ……もう行くのか?」
「またルシアくんに撃たれたりするのも困りますしねぇ。僕、なぜかきみのお兄さんには嫌われてしまっているようですし」
まあ、何となく嫌われている理由はわかるのだけれど。苦く笑いながら、内心で呟く。ルシアは自分自身のことには無頓着だが、一度弟のことになると人格が変わる。なんていうか、残念な感じになってしまうのだ。
「で、でも……ジェズ、まだ顔色悪いぞ? ……なんかフラフラしてるし、ケガもまだ治ってないし」
「この怪我の大部分はルシアくんのせいなのですが……その内治ると思います。薬さえ抜ければ」
「いや、その……うー……」
僕の言葉に、リヴェルがしゅんと項垂れる。成程、そういうことか。
「もしかして、リヴェルくん。僕が居ないと、寂しいんですか?」
つんつん、と柔らかなほっぺたを人差し指で突っついてみる。からかってはみたものの、彼ももう十七歳。反抗期の真っ只中。流石に子供扱いするなと怒られるだろうか、と身構える。
だが、完全に杞憂だった。銀色の瞳が、僕を見上げながら不安そうに揺れている。
「ん……ちょっと、寂しい……かも」
ぼそぼそと、呟く子猫。否、控えめに言っても天使。この子は本当にあのルシアの弟なのだろうか。こんなに可愛いのに神が目を付けていないだなんておかしい。大丈夫? この子に触れた瞬間断罪されるとかない?
いやいや、本当に、冗談抜きで。ルシアに平和的に『お願い』して、本気で自分の傍らに連れ去ってしまいたくなる。誰にも邪魔されないホテルのスイートルームとかで、彼を膝に乗っけて飽きるまで愛でていたい。ちなみに、一生飽きない自信がある。
「じぇ、ジェズ? なんか……目がキモイんだケド」
「そうですか? 気のせいですよ、気のせい。でも……リヴェルくんがそこまで言ってくれるのなら、少しだけ甘えさせて頂きましょうかね。身体もまだ本調子ではないですし……しばらくは君たちのもとでお世話になります」
「マジで!? やった!」
余程嬉しいのか、リヴェルがパッと表情を明るくさせながら小さくガッツポーズをする。嗚呼、この子は本当に可愛い。彼と共に時間を過ごせるのなら、多少撃たれるくらい安い安い。
なんて思いつつも、今の状態では一発撃たれるだけでもそれなりのダメージを負ってしまうだろう。それでは回復すらままならない。ならば、少しでもルシアの機嫌を取る必要がある。
「……ルシアくんが好きなチョコレートでも買っておきましょうかね」
ルシアはああ見えて甘味、特にチョコレートが好きなのはちゃんと覚えている。しかし良い大人になった今、自分から積極的に買うようなことは出来ずにいるようで。たまに買い与えれば少しの時間は大人しくしてくれるのだ、二時間くらい。
ついでに新しいスーツでも見繕いたい。……そうだ、どうせなら。
「リヴェルくん、これから僕とデートをしませんか?」
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