ポスト人間ディストピア

佳原雪

AとBとC

「起きた?」

「起きたか」

自分と同じ顔が目を覗く。

「おはよう。もう朝かな」

「ああ、そうだ」

「そうだ。夜明けだ」

自分と寸分違いない顔がもう一方から目を覗いた。

その肌は雪のように白い。

「もう夜が明けたんだ。おはよう、A」



一度は天上へアップロードされた精神たち、それらは再び肉体を得て地上に降り立った。


従来人間の持っていた肉の体はとうに滅び、彼らが慣習的に肉体と呼ぶものは演算装置と感覚器と記憶装置の集合体に過ぎない。この時代の肉体といえば、アクチュエータ入りの白い無機ボディだ。製造数を政府によって厳密に管理・調整されたそれらは、各個人へひとつずつ与えられた。

白い身体は地上に降りることを許された魂の座だ。同一人物によるサブアカウントは統合及びBANの対象となり、不正と判断されたコピー人格は消去された。浸かっていた情報の海から一滴一滴切り離されて、人類は再び肉体の檻にとじこめられた。



なぜ電子の海で自由気ままに泳ぎ回っていた人類はそれを良しとしたのか? それはクラウドストレージにおける事故が原因だった。

ストレージは幾度目かのアップデートによって、アップロード黎明期に望まれたような、地上より美しく、より自由で完璧な姿を取り戻すと思われていた。当時は感情の演算プログラムが未だ不完全だったのだ。しかしその大規模なアップデートが災厄をもたらした。ストレージは人類が本来持っていたであろう情動や機微を演算しきれなかった。

実装された新たな情動プログラムによる過負荷で身動きの取れなくなった人類は、物理メディアへの精神の転写及びストレージの放棄、数百年間使用されていなかった地上の再開発を決めた。幸いなことに人類は、ストレージを支える機械群のメンテナンスを欠かさなかったために、実用に耐えうる肉体を作るノウハウを持っていた。そこへ強化した記憶装置を組み込んで、彼らはコンピュータが熱暴走しない極寒の季節、はらはらと降る雪のように地上へと降り立った。



「多重人格ねえ」

医者は目の前に座った自分と同じ顔を見た。顔も声も体格も同じ、違うのは発声の仕方と変わる表情だけ。彼は眠たげな眼をしていた。

「そうなんだ」

ここでないどこかを見ているような目で彼は虚空を眺めていた。あるいは壁や床、誰も座っていない椅子の天板なんかを。

「上での統合が間に合わなくてね。片方を消去してもいいって言われたけど……やー、困るんだ。僕も彼もお互いが必要だからふたりのままでいたわけでさ……」

医者はふんふんと頷いてカルテを片手にペンを回した。

「いいんじゃないですか。別に困ってないなら」

「困ってるんだよ。ええ、困ってるんですよ」

「何に」

「脳は一つだけど、人格は仮想マシンだ。一人ずつしか喋れないのは困るんだ。それに、同じ声だと周りが混乱するだろう? ……ああ、一応言っておくと今喋ってるのが僕だ。で。ええと、さっき、先ほど困っていると言ったのが私。分かりますか。わからないのなら別にそれでもいいのですが、これが何かと不便なわけですよ」

ゆったりとした喋りが僅かに速く、鋭くなる。医者はカルテの端を指先ではじいた。

「で、どうしたいんです。分かっているとは思いますが、新しい体の用意はできませんよ。あなたたちが天上にいたころのように二人に別れたいと言ってもそれは無理です」

何が気に障ったのか、問われた彼は苛立たしげに目を細めた。

「それは構いませんよ、私と彼は不可分のものです。私に声をください。声帯の増設くらいならできるでしょう」

「できますよ。今すぐするなら手術室へどうぞ」



官製の体は一人一台。皆が持っているが、ありふれているというには少々、替えがきかない。

破損・欠損は部品の置換でしか治せない。肉の体の人類が持っていた自己修復機能を機械の体は持ちえないからだ。パーツの製造工場は秘匿されている。替えを用意する手立てはひとつ、他者の身体を奪うことだが、それは重罪だ。最悪お上に捕まって、身柄を拘束・肉体を回収されたのちにチップを永久凍結される。禁固刑だ。

一般的には死ぬことのない彼らだが、減衰・摩耗が常の現世では事実上の死というのは存在する。彼らが死んだとみなされるのは肉体が潰え、チップへの記録・演算が恒久的に不可能だと判断された時だ。体は一人一台で替えがない。つまり彼らは体を失えば死ぬ、死んだのと同じ状態になってしまう。


ぐちゃぐちゃになった死体は、政府が回収し、チップは墓へ入れられる。中のアカウントがどこへ行くのか、誰も知らない。


望まぬ永遠の眠り、事実上の死だ。

地上で暮らす彼らは、死を恐れ、忌避した。



破損部位が体の六割を超えるとトランスヒューマンたちは死に至る、とされている。それくらいがボーダーラインだと言われているが、確かめたものがいないので謎のままだ。天上にいまだ存在しているという政府は、”雲”の隙間から使いを送り、迅速に死体を回収する。これらは俗に『天使』と呼ばれる。死体は民間には出回らない。死んだとされたトランスヒューマンはいつの間にか跡形もなく消えてしまうのだ。天使の姿を見た者はいないが、とにかく、『生』の死体が手に入ることがない理由がこれだ。

手に入らないものは仕方がないので、地上に生きる彼らは手に入る範囲の資材と技術でサイバネティクスを再構築した。色は黒、規格もデザインも統一されない腕や足や体のパーツが次々造られては体の一部を失った彼らの手足となった。


黒い手足はスティグマだ。黎明期のサイバネティクスは政府の作る白ボディよりずっとずっと粗悪な代物で、サイバネ置換は政府の非推奨事項だった。それでも、封ぜ込まれた滴たちは、蒸発を良しとはしなかった。

六割失えば、肉体は瓦解する。生きるためにはそれよりほかに手段はなかった。



A、B、Cは、政治的反政府活動グループだ。白ボディを取り戻し思うように動かないサイバネからもとの手足を取り戻そうという運動をしていた。その三人はいま、町はずれの小さな医院にいた。大怪我をして、運ばれてきたのだ。



「アクセス・ポイントはどうなった……?」

声が聞こえて覗いてみれば、眠っていた男が手術を終えた男二人へ質問しているところだった。

随分と怪我をしていると思ったら、この三人、アクセスポイントに行ったのか、医者は人知れず納得した。アクセスポイントは地上で唯一の政府との交信地点。入ろうとすれば、アカウントIDが控えられ、体は破壊対象になる。そうして、おそらくそのことを、この三人は知らない。

「あの辺は行かないほうが良い。旧世代のセキュリティが機能しているらしくてね。不用意に近づくとただじゃすまない。そこのお二人さんはわかっているだろうが」

BとCの方へ目配せをすると、彼らはうつむき、頷いた。二人の体は、大部分が黒く置き換わっていた。

「B、C……」

「A、お前だけでも助かって良かったよ」

「ああ。俺たちのことは心配するな。こんななりだが生きてはいる」

「……何があったんだ」

「覚えてないのか? 足を潰されて動けなくなったCを抱えて二人でここまで連れてきたんじゃないか」

「そう、そうだったかな。思い出せない、施設に侵入して、それから……それから……」

「三人とも必死だったからな。記憶が混濁することもあるだろう。しかしすまなかったな、Aがいなかったら死んでいたところだ」

「C、その顔はどうしたんだ」

「あっ……」

Cは手を振り、口を開きかけたBを黙らせた。

「……B、お前は悪くない。A、聞かないでやってくれ。不名誉な話だ」

AとBはそれぞれ申し訳なさそうな顔をした。

「……わかった。すまない」

「いいんだ。俺は気にしてない」



「もう帰っていいですよ。ああ、そこの二人は残ってください。話がありますので」

「Aは先に帰っていてくれ」

「待っていようか」

「多少長くなるので帰ってもらっていいですかね」

「だそうだ」

「わかった。じゃあ、また。B、C」

「ああ」

「気を付けてかえれよ、A」



「あなたたち、よくそんな嘘がすらすらと出てきますね」

Aが帰った後の医院、Cは無表情で、Bは苦々しい顔つきで、それぞれ話を聞いていた。

「カバーストーリーを用意しておいていたんだ。あいつが苦しまないように」

「そもそもなんでアクセスポイントなんて行ったんです? あんなとこ、ただの遺跡でしょう」

「遺跡。そう、遺跡だ。あれはパーツの製造工場と繋がっている」

「……それで?」

「身体が治るならば、不慮の事故で体を失った人々はスティグマから解放される」

「それであなたたちが体を失っていては本末転倒でしょうに」

医者は呆れたように言った。Bは首を振った。

「あいつは、俺たちを誘って、誰もしなかったことをしようとした」

「皆が望んだ形で生きられるようにと、エデンを追われた俺たちに、過去の暮らしを取り戻そうと言ってくれた。ここで終わっていい人間じゃない」



Aは事故で死んだ。高いところから落ちたのだ。位置エネルギーによって体はぐしゃぐしゃになり、アクチュエータは裂け、地面に叩きつけられたAはもとの形がなんであったかわからないありさまだった。

BとCはチップを探し、ばらばらの体を拾い集めて闇医者へ駆けこんだ。残ったのは胴体と頭が半分。

Aを助けてくれと言い募る二人へ医者は『新しい体が用意できない』と首を振った。いくらサイバネティクスが発達したからと言って、それだけを繋いで作った肉体は政府から人間として扱われない。サイバネの黒はスティグマだった。二人はなおも諦めず、Bは両目と両腕を、Cは両足・頭部をそれぞれ差し出すと言った。

「俺たちの手足は事故で潰れたことにしていい。身体が黒くなることも受け入れよう」

「Aだけは助けてくれ、あいつの体は黒くちゃいけない」

「あいつが生きてさえいれば、俺はもう二度と笑えなくなっても構わない」

「手術台へどうぞ……ああ、少し待ってくださいね。今用意しますから。ベッドが二つしかないんですよ……」

「ソファーでも、なんだったら床でもいい。俺の事は気にするな」

「体全部をやってしまいそうな勢いじゃないですか。ああ、それもできますけど。どうします?」

Cは縋るような目でBを見た。Bは断固として首を振った。

「駄目だ。Aが悲しむだろう。俺も、お前も、C、お前の事だ……いなくなっちゃいけない」



そして、Aは目覚めた。寸分の狂いなく、もと通りの体を手に入れて。



「粗悪な黒サイバネで苦しむ人間を、そのままにはしておけなかった」

「俺たちはあの日、エデンへのアクセスポイントへ行ったんだ」

「あいつはそこで塔の外壁から落ちた」

「よく外から登ろうなんて思いついたね。無謀だよそれは」

「俺たちは真剣だったんだ」

「後は知ってのとおりだよ、お医者さん。いや、もっと別の名前の方が適当かな」

「いいよ、医者で。その通りだ」



「もう僕が誰かもわかってるみたいだし、ここらで応え合わせをしようじゃないか。そうだね、僕は政府関係者だ。官製ボディには『月の石』が混ぜてある。知ってる? 月の石。白い体には一体一体シリアルナンバーが刻まれていてね。知らなかっただろ。まあ、秘密だからね」

同じ顔をした医者は立ち上がった。

「黒サイバネはカーボンだ。アクセス・ポイントに炭素生物は入れない。よくできているだろ。動物がまだ地上にいたころの名残なんだってさ。それで、ナンバー入りの官製素体にはナンバーごとに認証ロックがかかってて、黒い体では入ることすら叶わない」

その背は少しだけ低い。

「製造番号の桁が5を超えたら一律アウトだ。ああ、この体は三百番くらいだね。別個でBANされてるから入れないけど」

「この検問をクリアする方法があってね。いくつか別の番号の体を繋ぎ合わせるんだ。全体の六割以上かな、もとと違う体に置換するとエラーが出て、読み取られた数値がゼロになる。こうなっちゃうともうやりたい放題できる」

Bは椅子を蹴るようにして身を乗り出した。

「まて、じゃあ、Aは」

「今頃、中にいるだろうね。君たちがそんなんなってることだし」

「うん? どういうことだ」

「君たちの体をばらして繋ぎ直したわけだろ。A氏の体は、今は誰でもない存在だ。当然アクセスポイントにも入れる」

「……分かってて?」

「まあね。天使に隠れてかき集めたのが無駄になっちゃったよ」

医者は白衣の裾を払った。白衣の下を覗き見た二人は飛び退り、互いの腕を掴んだ。

「胴体に近い部分が手に入らなくてね。これね、ずっと同じ場所に置いとくと天使に持って行かれちゃうんだよ。チップとの交信があれば見逃されるからこうしてくっつけているんだ。ちょっと重いけど、まあ、慣れだよ。ふふふ、さながら僕は堕天使ってところだ」

本来あってはいけないところに生える手や腕、目の数々。Bは恐怖に顔を歪めた。裾付近の目がウインクをして、Cは無表情のまま悲鳴を押し殺した。

「内緒ね。まあ、もう内緒にする必要もないかな? あはは、君たち仲良いね」

BとCはそこでようやく互いが抱き合っていることに気が付いた。両手を上げて、ぱっと離れる。

「わ、悪い」

「ああ、いや。その、どうも……」

「ここにいたのか……B、C、何してるんだ」

「A! 帰っていたのか」

「ああ……愛情表現?」

「俺とBの間にそういうのはない」

首を振りCは答えた。

「ぼくとの間にはどうだ?」

「あると思うか?」

問いかけにCは振り返ってBへ尋ねた。

「……俺に聞くなよ。わかるわけないだろ」



「アクセス・ポイントにいってきたんだ。今回はなぜだか入れた」

三人は目配せをした。Cは話の続きを促した。

「それで、どうだった?」

「だめだった」

「だめ……とは」

「製造工場へのバイパスはアクセスポイントにはなかった。あそこにあったのは、チップの墓だ。アクセスポイントは、天使の集めてきたチップの中身を吸いだして、クラウドにあげていたんだ」



「逆に言えば、アクセスポイントを介せばエデンに帰れる?」

「吸いだされるのは、見聞きしたものの記録だ。その中にパーソナルな情報は含まれない、らしい」

よくわからないが、とAは続けた。

「エデンに帰りたいのか?」

「第二の故郷だから懐かしくはあるな。ああ、でも、ここでの生活も悪くないから、帰りたくはないな」

BはCを見た。

「そうだな。俺もそう思う」

CもBを見返した。

「なんだなんだ、二人して。見つめ合わずにこっちもみてくれよ。寂しいじゃないか」

「「……」」

二人は同時にAを見た。三人で見つめ合っていると、後ろで医者が咳ばらいをした。

「えっとね、君たち、余所でやってもらっていいかな? ここはカフェじゃないし、僕も暇じゃないんだよね」



帰り道、三人は並んで歩いていた。

「時間はたくさんある。また、新しい方法を探そう」

「ああ」

「俺は、もう降りようかと思う……」

「B……」

Cは動かない顔のまま、寂しそうな声音を出した。

「いいんじゃないか?」

「「A!?」」

二人は同時にAを見た。Aはやや面食らった。

「いや、待ってくれ、君が言ったんじゃないか。時間はたくさんあるんだろ? 僕は、僕らは、君の気が変わって、またやろうって言うまで待っていられる。そうだろ」

「……その通りだ」

Cは微笑んだようだった。

「いつでも戻っておいでよ。体が壊れるその日までなら、僕らはずっと悩んでいられるんだから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポスト人間ディストピア 佳原雪 @setsu_yosihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ