第2話 兄

 「どうしてもダメなのか?」

 周二は苦虫を噛み潰したよう表情で、自分が目をかけてきたモデルの青年と向き合っていた。

 「はい」

 「……お前、是俊のとこ、出たんだってな」

 「はい」

 「どうすんだよ?考えてるのか、これからのこと。俺と一緒にミラノに行く、俺は向こうで専属契約して、お前はモデルの学校へ行く、ショーに出る、俺が撮る、仕事が増える、俺もお前も認められる」

 完璧じゃないか、と周二はタクミに詰め寄った。

 「俺……始めにも言いましたけど、あんまり人前に出るの好きじゃないんですよ」

 「何でだよ」

 苦笑するタクミ。周二はテーブルに身を乗り出し、どうしてだ、とさらに詰問する。

 「どうしても、です……」

 わずかに表情を曇らせ、タクミはそう言った。

 彼は、カメラマンである周二が友人宅で見出した逸材だった。当時のタクミはまだ高校に進学したばかりの少年だったが、大人びた雰囲気やすらりとした体型は全て周二の好みだった。顔立ちも整っていて、エキゾチックな魅力がある。アジア的な美形、というのが周二が理想とするモデルの顔だったので、その場ですぐに口説きにかかったのだ。タクミ……本名は涼というが、彼はとにかく固辞したのを今も周二ははっきりと覚えている。

 「やってやればいいだろ?わりのいいバイトだぞ。それで嫌ならやめればいい」

 周二の援護をしてくれたのは、涼を居候させていた部屋の主人だった。周二から見ればはとこに当たるその男も、学生時代に何度かモデルのバイトをしたことがあった。

 涼は、家主に言われ、そのアルバイトを渋々ながら承諾した。今にして思えばあの頃から、つまり最初から涼は同じ理由でごねていたことになる。人前に出たくない、そう言い続けているのは家出同然に是俊の元に転がり込んだからだろうか。二人はやがて深い仲になったらしい。その間に一体何があったか周二の知るところではなかったが、二人が別れ、共同生活を解消した今、周二は頼もしい助っ人を失った状態にあると言えた。

 目前の美青年は、相変わらず透明な、何も映さない瞳で周二を見つめている。

 頑なな拒絶。

 涼は頑固だと言っていた是俊の言葉が蘇る。周二は大きくため息をついた。

 「……それで、お前はどうする気なんだ?何をして生きてくんだ?」

 高校生の頃から知っているせいか、周二にとっての涼は弟のような甥っ子のような存在だった。たとえ袖にされようとも、勝手にしろとは言えない。

 涼はちょっとの間黙っていたが

 「来年から、学校に行こうと思ってます」

 そう躊躇いがちに言った。

 「大学か?」

 意外な言葉に周二は唸った。そういうことであれば、まあ納得してもいいが、それにしても惜しいという思いは消えない。

 「いえ。専門です」

 「何の?」

 「メイクの、勉強したくて」

 「メイク?」

 お前はされる方がいいんだ、といいかけ周二は言葉を飲んだ。ショービジネスの世界は意外に狭い。涼がもしその中に留まってくれるのであれば、またいつかは彼を引っ張り出す機会が巡ってこないとも限らない、そう希望的な観測が頭をかすめた。

 「そうか」

 全ての思いを一言にまとめ、周二は頷いた。

 「村瀬には言ったか?あいつは腕がいい。メイクの勉強したいなら相談してみたらどうだ?」

 元来人のいい周二は、芸大出身の友人の存在を思い出した。涼のメイクを村瀬が担当することは多々あったし、二人は気が合うらしいという話も聞いている。

 「もうしました。それで、推薦状も書いてもらいました」

 「何だ。早いな」

 せっかく閃いた提案だったが、涼は既に現実的に手を打っていたらしい。案外如才ない奴だなと周二は笑った。



 バイトをやめるに当たって、一番の難関と涼が目していた周二は何とか説得できた。涼は清々しいような思いで、モノクロームの写真を見つめた。冷えたコロナが、暖房のきいた店内では一際美味しく感じられる。篠吹と先週来たばかりだったが、涼も篠吹に劣らずこの店を気に入っていた。

 「やりたいことをすればい」

 メイクの勉強をしたいと言った涼に、篠吹は穏やかに微笑んだ。先週のことだ。この店で、あの写真を眺めながら涼は自分の思いを告げたのだった。

 「やりたいことがあるのはいいことだよ」

 篠吹は大きく頷き、頑張ってごらんと囁くように言った。

 それだけのことが、本当に嬉しかった。篠吹が肯定してくれるなら、何でもできるような気が涼にはしていた。出会ってから、恋人同士と呼べる関係になって、今が一番幸せな時期だというのは本能に近いところで感じ取っている。

 篠吹に愛されて、求められて、大切にされて……。篠吹を知っていくほどに、彼にふさわしい人間になりたいと強く思う。篠吹の友人とも知り合い、その思いはいっそう強くなった。

 いつまでも愛され続ける存在でありたいと、そう祈っている。

 「今日は、一人か」

 涼の、静かで幸福な時間を破壊したのは、忘れることのない懐かしい声だった。

 「久しぶりだね」

 「……」

 涼は無言で席を立った。目の前の男が発する威圧感は何年経っても変わることはないらしい。

 「どうした?無理に家に連れ戻す気はないよ。いいから、座りなさい」

 穏やかな声音の厳然とした命令。

 また、同じ場所で会った……。

 (俺を、探して……?)

 思うと、いても立ってもいられなくなった。

 店を飛び出した涼を、男は追わなかった。が、店員たちは驚いて顔を見合わせる。

 「彼の分は僕が」

 男は優雅に椅子にかけながら、よく通る声でそう告げた。

 小柄なマスターは

 「常連様ですから、直接いただきます」

 と丁寧に辞退したが、男は目を細めて微笑し

 「かまいません。うちの弟ですから」

 そう、静かな声で告げた。

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