第百十八頁 少女、へらへら小説を拾う 2
汝、へらへらしやんな、何ぞ書け。
なんて挑戦的で、よく分からない題名だろう。何ぞ書け、と言うけど、この本を書いているのはこの街田という人本人ではないのか、なのに何故さらに何か書けと命令するのか…
表紙も、人の顔なのかただの模様なのか分からない奇抜なイラストがあしらわれている。
立ち読みしてみたいと思ったが、やめておいた。代わりに、何も内容を確認せずにその本を買う事にした。最も、他の作家や著名人が推奨文を書いた帯もないし、文庫版ではないから裏表紙にあらすじもないし、店のポップなんかもないから、開かなければ内容を知りようがない。
でも、あえて中身を開かずにその本を買って読んでみたいという衝動に駆られた。特に理由は無かった。
CDやレコードなら俗にジャケ買いと言われ、こう言った衝動買いはコレクターならよくある事だが、中学生のどるにとっては初めての感覚だった。1200円。中学生にとって決して安い買い物ではない。脳裏には、無駄遣いなのではという自問自答がよぎったが、何となく直感で買った作品がひとつくらいあっても良いのでは…どうせ、話す相手もいないし。と、ほとんど体が勝手にレジに向かっていた。
部屋に戻り、早速読んでみた。
作者紹介、街田康助…色々あって作家になる。色々って何だ。何の説明もない。年齢も謎、顔写真もない。代わりに、道端で撮影したであろう野良猫の写真があてがわれていた。顔出しNGな作家なのだろうか。
少し読んでみたが、内容の意味がほとんど分からない。いきなり猿が出てきて目の前で回転したり、主人公が叩き割った壺を一片ずつ言い値で売って歩いたり、支離滅裂で、話の流れは一応あるのだが登場人物や物語の目的も、時系列さえも的を得ない。こんなもの読んだ事ないという新鮮味はあったが、意味が分かる事は出来れば前提にしたい。いったいどんな生き方をすればこんな文面が書けるのだろうか、それ以上にこれをよしとする本人や、売り物にしてしまう出版社も何を考えてるんだ、という気持ちになる。
「失敗したかな」と本を閉じた。こんな訳の分からない小説に1200円も使うなら、美味しいものでも食べれば良かった。
しかし、数分すると気になってまた開いてしまった。その気は無かったのに、手が勝手に本を拾い上げてページを開いていた。歳のいった花魁が、テレビゲーム機を川に捨てたあたりから読み始めた。
でもやっぱり分からない。閉じて、数分してまた開く。猫が一列になって悪魔崇拝の踊りを踊っていた。分からない。という事を繰り返すうち、気付けばそこそこの厚みはあるその本の半分以上を既に読んでしまっていた。
不思議だった。自分はこの街田という作者が創り出した、無茶苦茶な物語に知らない間に引き込まれていた。
奇を衒ったりといった事も感じない、この支離滅裂な文章は作者の言葉、いや、呼吸そのものだ。これを認めてしまう出版社や読者がいる。何より、これを平気で世に出してしまう街田康助という人物が存在する。
内容より何より、その事実が中学生のどるには衝撃だった。
数日後、街田康助の別の作品を店で見つけたので買ってみた。今回は1冊だけひっそりと置かれていたし、相変わらず何の説明もない。
内容は、「汝、へらへら…」よりも少しダークタッチで、グロテスクなシーンもあるものだった。なのに、グロテスクさを全然感じさせない妙な言い回しで納めてあるし、人死にが出たのにふわふわと話が進んだり、やはり作者の破天荒さが前面に押し出された作品だった。が、前に読んだものとはまた感じ方が全然違う。ただ、街田という作者の妙な自信と凄みが伝わってくる感覚は同じだった。
調べると、この作者はゆうに30以上は作品を残している。中には詩集やエッセイもあり、特にエッセイは興味深かった。
どるは自分の境遇を嘆き寂しく過ごす事を忘れ、街田康助の作品を集め、読む事に没頭した。
学校の休み時間も、「あの子に近づいちゃだめだよ」という周りの心の声すら聞こえないほど、集中して読み続けた。
特別、彼の作品がどるに何かを教えてくれたという事は無い。エッセイですら、嘘なのか本当なのか分からない話で固められていたが、なにぶん言い回しが独特で面白く、まるで親戚のちょっと変わったおじさんの、少し毒混じりの笑い話をふんふんと一方的に、かつ真剣に聞いている気分になる。
気がつけば、どるは自分の妙な能力を悲観する事を忘れていた。
「少し変わっていて、何が悪い」
街田康助の作品は、全体を通して大声でその主張を叩きつけていた。安っぽいパンクバンドの歌のような主張だが、これまで心を閉ざしていたどるには何よりもそれが励みになった。
この街田先生も、きっと自分に負けず劣らず偏屈だ。変わり者、人と違う何かを持っている人。
そしてそれを隠す事なく、最大限武器にして生きている。
街田康助の作品に救われた気がした。今まで、とても無駄な時間を過ごしていたのかもしれない。
この能力を悲しむのはやめよう。武器にする事は出来るか分からないけど、少し楽しんでみよう、と思えた。
先は見えないけど、この能力で少しずつ、前を照らしながら生きられるかもしれない。
能力を悲しむのではなく、うまく付き合うのだ。親しみを込めるために、まずは名前をつけよう。
サーチライト。
これが私の能力名だ。
奇を衒うでもなく、何か賞でも欲しいわけでもなく、息をするように等身大の世界を描く街田先生の作品は、正にサーチライトのように私の先を照らしてくれた。
高校に入って、珠美という友達も出来た。
彼女は驚くほど裏表のない性格で、いくら心を読んでも、口に出した事と同じ事しか思っていない。
正直な性格なので人とトラブルになる事もあったが、何より明るいし、友達も多い。
思い切って自分の能力について話してみたが、「凄い。そんな事もあるんだね」と、目を輝かせた。
「嘘だとか思わないの」
「逆に聞くけどそんな嘘ついて何になるの?」
また彼女は救われる気分だった。
あの小説が、作家が、私を変えてくれた。あれがなければ、思い切って珠美に声をかけたりもしなかった。
街田康助先生こそ、私の恩人なのだ。
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