第百十七頁 少女、へらへら小説を拾う

 椿木どるの、人の心を読むという能力は生まれつきだったが、親は平凡な主婦と商社勤めのサラリーマン、どこにでもいる核家族だ。遺伝によるものでも何でもなく、何か怪しげな矢で射られたとかそういった事件もない。


 発覚したのは小学校に入ったばかりの頃。

 それまでも、母親が失くして探しているイヤリングをどこからともなく持ってきたり、父親が帰ってくるなりカバンにこっそり忍ばせたぬいぐるみのお土産を早く出してとねだったり。

 幼稚園の年少にしてサンタクロースの正体が両親だと既に理解していた時も、幼稚園の先生や友達がうっかりばらしてしまったのかと思われたが、今考えれば合点がいく。


 きっかけは小学1年生の運動会の時だった。

 どるの小学校でも運動会は一ヶ月ほど前から予行演習を行う。整列の順序であるとか、種目の組み合わせであるとかをきっちりやって、当日滞りなく進行するようにしておく。小学生の低学年ともなればまだまだ統一感もなく、念入りにやらなければならない。

 どるは50メートル走にも出場したが、意外にも当時の彼女は脚が速く、学年の中でもほぼ一番の速さを見せた。走る生徒の組み合わせは演習中も本番もランダムだが、誰と当たっても大体1着か、悪くても2着をキープしていた。

 彼女が早いのか、はたまた周りが偶然遅かったのか、小1程度では身体能力にもばらつきがあるし、経験や環境で後々大きく変動する。しかし、とにかく当時のどるはそこそこ速かった。

 周りの子達も、どるちゃんは凄いとか、もっと早く走りたいだとか、純粋な気持ちで当日を迎えている事は彼女にもよく伝わっていた。

 本番当日、またランダムに振り分けられたメンバーは、予行演習の際にもどるに全く歯が立たなかった子達ばかりだった。

 ラッキーだと思った。勝てば学年でも人気者だ!という気持ちもあったが、小学生になって初めての運動会を見に来てくれる両親に喜んでもらえるというのが何よりも嬉しい事だった。


 しかし、スタートラインに立った瞬間、どるの気持ちはふっと変わってしまった。

 結局どるは2着に落ち着いてしまった。隣のレーンを走って1着を獲得した子は、少し本気を出せば余裕で勝てる相手だったのに。

「椿木さんと一緒になったから、1番にはなれないと思った。どこか具合でも悪かったの」

 1着の子は、意外そうに、少し気を遣ってどるにそう言った。

「うん、少しお腹が痛くて。ついてなかったよ」

 嘘をついた。

「でも良かったね。1番になったから、"モコちゃん"の人形、買ってもらえるね」

 そう言った途端、1着の子は青ざめた。

「どうしてそれを知ってるの」

 モコちゃんというのは当時やっていた幼児向けのアニメだ。可愛らしいキャラクターデザインとのほほんとしたストーリーが人気だったが、女の子とて小学生には少し幼稚に思えるものだった。

「え?そう言っていたでしょ」

「言ってない!小学生にもなってモコちゃんなんて恥ずかしいもん…言わないよ…どうして知ってるの」

「え、あの、スタートの時に…」

「椿木さん、こわい!気持ち悪い!」

 1着の子は泣き出してしまい、椿木さんは◯◯だ、と何かの固有名詞を叫んだ。何だったかはどる自身も思い出せないが、確か、"モコちゃん"に出てくる「超能力で相手が思ってる事をピタリと当ててしまうズル賢い悪役」の名前だった。

 生徒のみんなも、何だ何だと集まってきた。


 こわい。

 気持ち悪い。

 私はただ、あの子が言っていた事を言っただけなのに、実際はそんな事一切言っていなかったようだ。

 普段、自分が聞いている人の声のいくつかは、その人が言葉にして言った事ではなく、心の中で思っている事なのだ…と気付くのに時間はかからなかった。

 学校の子達は次第にどるから離れていった。いじめられるというよりは、気味の悪いものを見る恐怖の目で見られた。あの子に近寄ると心を読まれる。テストの点数、密かに好きな同級生、昨日寄り道をして帰ってお母さんに怒られた事…なんでもあの子にはお見通しだ。

 椿木さんに近づいちゃいけない。さとりの妖怪だ、なんて言った生徒もいた。


 親にも、先生にも相談できなかった。先生は小学生特有の「ごっこ」だと思って信じてくれないし、親は以前からの違和感が繋がったのか、生徒と同じように気味悪がった。

 どるは、夕食でさえも自分の部屋でひとりで食べるようになった。

 両親には、分かって欲しかった…でも、仕方ない。大人は、子供以上に隠し事が多い生き物だ。私がそばにいて、何もいい事はない。

 ご飯を作って持ってきてくれるだけで嬉しいかな、と思った。


 中学生になってもどるには友達が出来なかった。というよりは、作らなかった。その代わり、よく一人で街に出て、本屋やCD屋に行った。

 本やCDは人間じゃないから、自分が傷つける事もない。でも、人間が創り出したものだ。それに触れている時間が楽しかった。

 映画館はやめておいた。世には好きな映画を何度も見に行く人がいるので、もしそういう人が隣に座りでもしたら、致命的なネタばらしをくらってしまう。レンタルDVDで鑑賞する事にした。


 お店では、ベストセラーの本だとか、流行りの音楽のコーナーに行くと、周りのお客さんの声が聞こえてくる。

『彼氏が好きな本だから読んでおこう』

『今度、会社の宴会で歌わされるから覚えておかないと』

『この映画の話が出来ないと、仲間外れにされる。チェックしなきゃ』

 決まって、そんな事ばかりだった。

 驚いた。作品というのは、その人自身が好きだから触れるものだと思っていたが、誰かが好きだからとか、皆が知ってるからとか、他人が理由で鑑賞する人というのがあまりに多いのだ。

 そういえば、クラスの子も昨日見たTV番組の話で盛り上がってたっけ。「見てない」っていう子は、「ありえない」と言われて、置いてけぼりだった。翌週はちゃんと見たらしく、輪の中に戻っていた。

 大変だな…と思うがそれ以上に、自分はこんなんだから、同じ音楽や映画の話で盛り上がれる友達がいる事をむしろ羨ましく思う。

 しかし、人の心の声を沢山聞くのは疲れる。次第にどるは、店の中でも隅の方の、あまり人が寄り付かないコーナーに追いやられるようにして足を運ぶようになった。


 そのコーナーには、見た事もないようなタイトルや表紙の本やCDが多く置いてある。ワケの分からない題名の本、おどろおどろしかったり、可愛いんだけど少々気色悪い、明らかに子供向けではない変な絵本、タイトルもアーティスト名も書いてない、手作りみたいな謎のCD。

 なんだこれ…と思ったが、たまにそこに来るお客さんからは、

『これ、探してたんだよ!』

『なるほど、この作家はこういう作風に手を出したのか!』

 などと言った、とにかく自分本意、作品第一な声ばかりが聞こえてくる。

 そこに来る人達は、流行の作品のコーナーに来る人達とは少し違っていた。


 ふとした拍子に、どるの目にとあるハードカバーの小説本が目に入った。2冊ほどしか置いていないその本の背表紙にはこうあった。


「汝、へらへらしやんな、何ぞ書け / 街田康助」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る