第百十六頁 マリス・ミゼル 2
「メルヴェイユが来る…」
悪魔の少年ラサの顔は、先程ガガとの攻防戦を繰り広げた時の不敵さとは正反対なほどに青ざめ、その場にへたりこんだ。まだ子供のものであり小さなその手は、ガガの真っ赤なパーカーの裾をギュッと握っていた。
コツン、コツンと靴の音が階段を昇ってくる。
階段は下が見えない程に長かったと皆は記憶していたが、その割に音が近づくスピードは速く、距離や歩幅を無視した奇妙なテンポが更に緊張感を増した。
「おい、離せよガキ…そのメルなんとかってのはヤバいのか。何か妙な能力でも持ってんのかよ」
「逃げて、お姉ちゃん!お姉ちゃんとは相性が悪いんだ!」
その割にラサの手がパーカーを握る強さは増し、ガガは苛立ちさえ覚えた。
「質問に答えろよ。大体お前なぁ、言ってる事のわりにその手は何なんだ」
身体を捻り、ラサの手を振り払い足音のする方へ仁王立ちになった。迎撃準備をするかのように、機械の両腕をパキッと鳴らし、構えた。巨大ロボにさえ打ち勝った自分に、もはや敵は無いように思えた。だいいち、ここを何とかしなければサシの元へは辿り着けない。だから、行くしかない。
「メ、メルヴェイユの能力は怨念だ!呪いなんだ…」
ラサが堪りかねて告げた。
思った以上に素っ頓狂な種明かしに、ガガはいささか呆れさえ覚える。
「なんだ。呪いなんて、お前らの専売特許じゃないのか」
「そう思われてるかもしれないけど、ちょっと違う…僕達悪魔は元々人間の精神に潜む悪意だとか憎悪だとかをコントロールするのが役割だ。僕達自身が相手を怨んでやるような事じゃないんだ」
「おー、永井センセーが"デビルマン"で描いてた通りだな」
新旧問わず漫画も嗜むガガは呑気にかつての名作を思い浮かべた。
「違うんだ。メルヴェイユはこの世の全てを憎んでいる。四天王のスミレが幻覚で彼女を抑えていたけど、スミレは死んでしまったから」
「……………」
ガガは途中からラサの話を聞いていなかった。
それ以上に、階段を昇って目の前に現れた人物に見覚えがあったので、そっちに気を取られてしまった。
「……エスパーちゃん?」
その金髪のボブヘアーの少女を、ガガは知っていた。
目の前には、先程階段を転げ落ちたはずの椿木どるが立っていた。
両手を後ろに回して、気をつけの姿勢で佇んでいる。
「大丈夫なのかよ?安心したぜ、かなり深そうだったからな…おっさんはどうしたんた?」
ガガは安心してどるに駆け寄った。
どるは何も言わずに俯いている。心ここにあらずという雰囲気だった。
「エスパーちゃん?」
どるの顔を下側から覗きこみ、ガガはゾクリと悪寒を感じた。
瞳孔は見開き、口からはジュクジュクと涎が垂れ落ちている。
「おい。どうしちゃったん…」
「お姉ちゃん!その人から離れてッ!」
「え?」顔を上げるガガの目の前に、どるの手が後ろから突き出された。
手には一体のフランス人形。皮は剥がれ、右目玉と歯が剥き出しになった醜い顔で告げた。
「"マリス・ミゼル"……」
途端、ガガは身体中の部品という部品が分離し、やがて精神までもがドロドロに溶け、押し出されてしまうような感覚に襲われた。
「あ………うぁっ………」
「お、お姉ちゃん!その人形だ!彼女が四天王最後の一人、メルヴェイユだ!だめだ…もう逃げられない!」
すぐにでもガガに駆け寄りたいが、足腰に力が入らない。頭痛と吐き気が少年を襲い、目の前が次第にかすんでいく感覚に抗う事は出来なかった。
「く…そ……テメェ…テメェが………四天王か……人形……が……」
ガガは薬物などやった事がないが、摂取しすぎるとこういう感覚なのだろうか。
理解した。馬鹿げているが、四天王最後のひとり(?)はこの呪いのフランス人形だったのだ。
椿木どるは他人の心が読めるから、その隙間から精神をこの人形に乗っ取られてしまった。いくら呪いの人形とて一人で歩く事は出来ないから、どるを操って自分をここまで持って来させたのだ。
街田は既に下でやられている。
そして自分も。
改造人間であるガガは、医学と科学、現実と理屈を無数に重ね、繋ぎ合わせて生み出された存在だ。
その自分が、非科学の完全対角線上にいると言っても良い怨念であるとか、呪いだとかいう存在と対峙している。本来、最も同じ空間に共存してはならない真逆の概念が向かい合ってしまった。
その歪んだ空間で負けるのは、理性を保っているガガの方だ。ラサが言っている"相性が悪い"の意味がやっと分かったが、身体中から力が抜けているような痺れているような、痛みは無いがドクドクと生気を吸われ、まるで水の底に押さえつけられているような感覚がこれでもかと彼女を襲っていた。
自分はここまでだ。
ラサの忠告を聞いて逃げれば良かった。逃げてから、サシを助ける方法を練れば良かった。と後悔する事すら忘れ、静かに目を閉じた。
同じくして、ラサ少年も床に伏したまま、動かなくなってしまった。
ケケ、ケケケケケ!
ギヒヒヒヒヒヒヒ!
フハハハハヒヒヒハハハハハハアアアアーーーハハハハハ!
頭を垂れたまま、17年の人生で一度も発したことのない下品な笑い声を上げながら、ボロボロの不気味な人形を片手にぶら下げた椿木どるはその場に立ち尽くしていた。
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