第九十一頁 グルーヴ・ウェポン 1
「ち、力が……力が出ない…でござる」
顔が濡れたヒーローのように、サムライは弱々しい声をあげ訴えかけた。
さっきの勝負ではあれほど凛々しかったのに、運動音痴の子供のようにその場にうずくまってしまった。相変わらず血が絡まった長い髪の先が、地面にはらりと触れる。
「だ、大丈夫?桜野さん…まだ傷や火傷が治ってないんだよ。無理して歩かない方が…」
「そ、そういう訳には…サシ殿を…助けないと」
桜野踊左衛門はデフォルトがボロボロの傷だらけの血まみれなので、どこからが辛いダメージなのか大変分かりにくい。しかし彼女のこの様子、恐らく歩く事も困難な様子である。幽霊なので思考は読めなくとも、椿木どるには充分にそれが伝わっていた。自分に何ができるかは分からなかったが、あの激戦の後である。いくら気がついたとはいえ全身のダメージは計り知れないだろう。なんとか安否を気遣う事で、どるは無意識に自身をも安心させていた。
「う…うああああああーーーーッッッッ!」
「ひいっ!!」
突然、悲鳴にも似た咆哮と共に桜野は立ち上がった。もう我慢の限界という具合だ。
次の瞬間、桜野は来ている上着をものすごい勢いで脱ぎかけた。サラシに巻かれただけの胸があらわになる。
「だ、だめー!桜野さん!着て!だめだから!」
「こ、この服は何なのでござるか!動きにくい!そして…」
俯き、ボソリと抗議する。
「は、恥ずかしい…で…ござる」
サムライの覇気はどこへやら、上目遣いでモジモジと恥ずかしがる乙女の姿にどるは薄気味悪ささえ覚える事となった。
「裸の方が恥ずかしいでしょ…それ、"ジャージ"っていう服なんだよ。動きにくい事はないというか、動きやすく作られているはずなんだけど…」
桜野が今全力で拒否している服装は、どこにでもある運動部員が着てそうなジャージそのものだった。青色で、左胸のあたりに菱形の妙なマークがある。
………
桜野はクライスとの一騎打ちの後、クライスとほぼ同時に気を失った。
その際、セーラー服にそっくりな戦の装束は、彼の"火の鳥"の威力の前に燃えカスと化してしまった。幽霊のものとて服は服、燃やされれば消し炭と化してしまう。桜野はサラシと褌のみのとんでもない格好で気絶していた。
(感動の試合?だったかもしれないけど…に、逃げなきゃ)
冷静に考えて今現在、周りは悪魔だらけである。先程まではクライスというアスリートのもと大人しく応援する観客に過ぎなかったが、それが終わった今何をされるか分かったものではない。
どるに戦闘能力などこれっぽっちも無いが、できる事はやらなければいけない。でなければやられる。
真っ逆さまに落下した際の負傷もそっちのけで、どるは弱い力を振り絞り、友達を担ぎ上げてその場から一目散に退散した。
(我ながら強くなった…のかなあ)
元々色々な事を諦めて生きていたから、今の自分の変化に若干ついて行けていない節がある。でも、気付いてはいる。皮肉にも自分自身の思考を読む事は、できそうでできない。むしろ不可能と言っていい。
幽霊のくせして桜野は中々重い。華奢な見た目をしているが、鍛錬の結果たる筋肉で身体中が固められているのであろう。担いでいる二の腕も、触れてみると硬い。
闘技場を出れば、いつもの学校前の風景が広がっていた。
(ここまでくれば…)
「ぎょっ!!!」
どるが安堵したのも束の間、後ろを振り返るとそこには4〜5匹の悪魔が後をついて来ていた。
「あ、あわわわ!や、やるの!?」
人の心を読むなんて陰険な能力じゃなくて、もっとこうビームを出すとか時間を止めるとか、そういうのが良かった。
戦闘能力のないどる、半裸で気を失っている桜野。複数の悪魔。
しかもよく見れば数多くいたサポーターの中でも飛び抜けて屈強そうな、まるでイノシシのような顔をした…
(オークってやつ!ほ、ホントにいたの!?)
最悪。次こそ展開的に成人向け同人誌だ。
(くっ…こ、殺さないで!!頼むから!)
「これを」
悪魔のうちの一匹がどるの目の前に布を差し出した。
「へ?」
悪魔はどるが警戒している事に気がついたのか、布を広げてみせた。
「これ…服?ジャージじゃない!?」
「スポーツマン、ましてや勝者がそんな格好でいてはいかん。クライス様からだ。着せてあげなさい」
「いい試合だったよ」
「次は必ずクライス様が勝つがね」
悪魔達は口々に捨て台詞を吐いて、闘技場に戻ってしまった。
「…………」
どるはジャージに妙な仕掛けがないかたしかめつつ、悪魔達を見送った。
「紳士じゃん……」
悪魔の世界でも、スポーツマンとサポーターはいつでも紳士であるべし。
………
「だ、駄目でござるバリヤバイでござる!ば、ばってん、生気が…す、吸い取られるけぇ…バ、バリ…ヤバ……」
生気なんて元々ないでしょ、とどるが突っ込む暇も与えず、どこかの方言なのか訳のわからない事を叫びながら次はいそいそとパンツを脱ぎにかかる。キュッと結んだ褌の紐が白い腰のあたりにちらりと見えた。
さすが幽霊、傷と火傷はもう心配の必要がないくらいに回復している。もっとも、今は精神がやられてしまっているが。
「だから駄目だって言ってるでしょ!脱ぐな!ちゃんと着てなさーい!」
ふと、どるは顔を上げてみた。
ここが星凛町だったとしたら、あそこには本来駅があるはず。駅舎はそこまで背が高くないから、当然学校のあるあたり…ここからは見えない。
代わりに。
(何だあれ……)
どちらかというと下町の部類に足を踏み入れている星凛町にはおおよそ不釣り合いな、背の高いビルがあった。
高層ビルと言ってしまうとおそらく言い過ぎで、もしあれが、電車に乗って岸田川を渡ると行ける都心の中にあると全くもって目立たないだろう。しかし、このこじんまりとした星凛町では充分すぎるほど目立ち、同時に違和感を放っていた。
違和感と言えばこの闘技場と化した校庭もさることながら、周りの建物、それこそ民家群も何やらおかしい。毎日通っている学校の周りにある家の形はそこそこ覚えているが、こんな色だっただろうか?どぎついショッキングピンクや可愛らしいパステルカラーなど、北欧あたりのおしゃれな街並みからまるごとセンスだけを抜き取ったような佇まいをしている。
(元居た世界とは違うんだ)
改めて実感すると同時に、またビルの方に目をやった。
「………ん?」
どるはあまり視力が良いほうではない。その時も、ぼんやりと何かが見えた。
「………んんん〜〜?」
ビルの周辺だけ、空が緑色に輝いていた。美しい、エメラルドグリーン。
「何だ……あれ」
やがてそれはビルを、周囲の建物を鮮やかな緑色に染めていった。
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