第八十八頁 火の鳥5

 一体どうなっているのだろう。先程まで地面に這いつくばって、全身がズタズタになり力尽きるのを待つしかなかったはずが。

 おそらくあの刀に秘密がある。油断していた。彼女は幽霊なのだ。一度死んでこの世に"居ないはずなのに居る"、100パーセントイレギュラーな存在。それをまた殺そうとするという行為を自分はやっていた。

 もしかしてそれは、許される事では無かったのではないか……


 などという事をクライスが思う事は1ミリも無かった。

「何と!熱い!熱いぞこの展開!君の友人か?その人間の少女は謎だが…まさに友情…そして復活!不思議極まりないが、熱い!これは熱いッッッ!」

 魔界においても、脳筋に理屈は通じない。自らが陥れておきながら、好敵手は絶体絶命のピンチを仲間の声ひとつで切り抜け、立ち上がった。アスリートとして、ここまでドラマ性のある試合は一生に何回経験出来るだろうか?まさに絶頂。スポーツマン冥利に尽きる。この試合は史上稀に見る伝説の試合となるであろう。

 証拠に客席の悪魔達からも、今まで以上に音量の大きな歓声が上がっている。

「これこそが青春!人生だ!残念ながらまた俺のサーブ権となるが…良いものを見せてもらった礼だ!俺のとっておきを披露しよう!!」

 桜野のまさかの復活に、怯むどころか歓喜し、舞い上がるクライス。

 それはまさに文字通りだった。大阪名物の「グリコ」のポーズのように、両手をYの字に広げ、片脚を上げた状態で空高くジャンプした。

「舞い上がれ!愛しさよッ!熱さよッッ!」

 次のサーブ用のボールが空中に出現した場所は、空中のクライスの目の前だ。先程のスーパー・ソウルと同様に、おそらく彼はこの位置を把握していた。

「くらえッッッッ秘技!!"火の鳥"!!!!!」

 スポ根漫画よろしく、一段階高いトーンで技の名前を叫ぶと同時に、クライスの全身は炎に包まれた。

「…………」

 上空のクライスを睨みつけながら、一言の動揺も発しない桜野。側から見れば、完全に火だるま状態の人体がポーズを取りながら空高く浮遊している。シュールレアリズムのような、美しくも不気味な光景だった。

 彼と共に燃え上がるラケットはボールに当たる瞬間、より一層その火力を増した。

「熱っ!」

 落下の衝撃でまだ立ち上がれずにいるどるは、突然高温のサウナに放り込まれたような熱気にやられそうになった。現実世界でこんな気温になれば熱中症は必至、なあまりの熱に、汗だくの顔を強く歪めた。


 ボールはやがて小さな矢のように、先程のスーパー・ソウルよりも更に早いスピードで桜野目掛けて急降下した。

 かろうじて立ち上がっている桜野だが、これをまともに喰らえば今度こそ無事では済まない。

「さっ、桜野さん……!」


 一振り。


 今度は、ガイィン!と鈍く重い音が響いた。

 "朱蜻蛉"に、ボールがまともに当たり、弾き返された証拠だ。

 桜野もさすがにボールを斬ってしまっては試合にならない事を理解したようで、刃の逆側、すなわち"峰打ち"の要領で器用にボールを打ち返したという事だ。滅茶苦茶なのだが、そういう事だった。

「ムッ!?」

 長らく続いた一方通行の攻撃の末、ついに返されたボールにクライスは驚きと喜びを隠せなかった。

 ただし桜野とて素人。しかもラケットではなく刀の峰という、およそボールを打つには都合の悪すぎる条件が揃っている。ボールはクライスのコートを鋭く突き刺す事もなく、空中高くに弧を描いて飛んだ。

「スーパーソウルッッッッ!」

 ボールの位置までジャンプしたクライスが、更に鋭角なショットを打ち返した。

「ハァッ!」

 また桜野が打ち返した。次もまた高く舞い上がるようなボールであったが、少しずつ打ち返しの精度が増している。

(桜野さん…凄い!刀を持った途端!互角に戦えてる!?)

 "火の鳥"の熱気が冷めない中、汗だくになりながら桜野を見守るどるも面喰らった。だいいち、あんなに怪我していたのにこのフットワークは何のだろう。全身からはまだ血が吹き出しているし、脚もボロボロだ。とても回復しているようには見えない。しかもあんな刀でボールを打ち返すなんて。器用という以前に、可能なのだろうか。


 何週のラリーが続いただろうか。

 双方の勢いは増しに増し、もはやどるの…いや、その場にいる観客達の肉眼では追えないほどの攻防戦が続いていた。

(…てゆーか…)

 どるは目をごしごしやったが、どうも幻覚ではないようだ。

 2人とも、宙に浮きながらラリーを行なっている。

(何なのあれ…)

 火の海になったり、刀で打ち返したりなどするくらいなので、ラリーの勢いで宙に浮く事もあるのだろうか。だいいち幽霊VS悪魔だし、もうよく分からない。


「面白い!面白いぞ桜野踊左衛門くん!未だかつてここまで血湧き肉躍るようなラリーがあっただろうか…」

「愚問でござるなクライス殿!拙者とて一度は命を落としたが武士のはしくれ!戦(いくさ)は華!戦(いくさ)は生き様!踊る事を辞めた者から散るのでござるッッ!」

 何やらよく分からない会話をしながらなおも白熱するラリー。いつしかどるは体育座りをしてそれを見つめて、いや見上げていた。

 気付けば審判ですら試合を見守るというよりは、呆気に取られているように口を開けて見上げている。


「だが桜野くん!試合には必ず終わりがある!勝者は常に1人!そしてテニスの世界では…敗者もまた1人……」

 スパンッ。

 少しだけ。ほんの少しだけ、クライスは手首にスナップを効かせ…ボールを打ち返した。

 単調なはずのラリーのアーチから、ボールはほんの少しだけそれた。ほんの少し。角度にして1度。

「何……」

 カン、と奇妙な音が鳴り、桜野のボールは空高く飛んだ。例え微妙な角度も、桜野のペースを乱すには充分すぎた。


「くらえッ!最後だ!!"火の鳥"!!!」


 またクライスの体が発火した。一気に会場の熱が上がる。しかも先程の比ではない。体力のない悪魔が数匹、熱中症なのか次々その場に倒れた。

「うわっ……」

 しばし呆然としていたどるもあまりの熱気に我に返った。このままではまずい。服の中に熱が篭って、どるの体力を物凄いスピードで奪っていく。


「舞い上がれ……愛しさよ!そして………」

 コートいっぱいに広げられた、クライス扮する"火の鳥"の炎の羽根。

 どるの目には、空が真っ赤に見えた。実際はどんよりとした曇り空なのに、まるで元々赤かったかのように錯覚した。


「熱さよッッッッッッッッ!!!!」


 特大の火の玉が、立つのがやっとの桜野目掛けて放たれた。

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