第八十九頁 火の鳥6
1人の女子高生が、一瞬で激しい炎に包まれた。
正しくは、前からやって来た特大の火の玉に飲み込まれたという構図だった。凛とはしているがまだ小柄な彼女の体は、あっという間に真っ赤な暴風に包まれ、見えなくなった。
「かはっ!さ…桜野さ……」
どるは叫ぼうとしたが、あまりの熱気で喉がカラカラになり、うまく声が出せなかった。
水、とにかく水が欲しい。それでもなお口をパクパクさせながら、桜野の名を叫んだ。外側にいる自分でこれなのだから、あの中にいる桜野はとても無事では済まないだろう。幽霊とて、桜野の場合は生身の人間に限りなく近いという事実をどるは理解しており、だからこその悲壮感が彼女を支配していた。
(そもそもこれ、テニスの試合なのかな。テレビとか漫画で見るよりも…漫画……うーん……)
「トンボ……」
轟々と鳴り響く炎の中から、かすかに何かが聞こえた。気がした。
恐らくこの炎が晴れたら、それこそスミクズになった桜野が現れるのではないか。どるの頭は相当の覚悟に埋め尽くされかけていたが。
(今の…)
「蜻蛉電撃血飛沫打撃(トンボ・ジ・エレクトリック・ブラッド・レッド)!!!!!!!!!!」
とても戦国時代の侍が述べるとは思えない、無意味にかっこいい横文字。
それが、とてもか弱い女子高校生が放つとは思えない地鳴りのような怒号となり、会場に鳴り響いた。
瞬間、ブワリ!と炎が晴れたと思えば。
「何……?」
彼女の周りにまだこびりつく赤い霧を蹴散らすように、一本の赤い線がそこから勢いよく伸びた。
それは綺麗な一直線だった。
あまりの唐突さに驚いてなのか、赤い線の美しさに見惚れてなのかは定かではないが、それは尚も綺麗に美しく、またその勢いと直線度をブレさせる事なく…
「うごおおォォォォアッッッッッ!!!!!」
上空のクライスの腹部を思い切り貫いた。
クライスの背中からは先程の真っ赤な直線と、そこから放射するような血飛沫が放たれた。
「…………あか………とん………ぼ…………」
かすれた声でどるが呟いた。
血でできた、美しい真っ赤な赤蜻蛉が上空を駆け上り、やがて消えた。
クライスは、そこから真っ直ぐに落下した。落下先の観客達が悲鳴を上げながら散り散りに避難し、できたスペース目掛けてクライスは真っ逆さまに墜落した。階段は砕け、クレーターのようにクライスの身体がめり込んだ。生身の人間であれば生きてはいないだろう。
「ハァ………ハァ………ハァ………………」
桜野は立ち上がったまま、そこからゆっくり、ゆっくりと歩いた。
視界が開けてきたどるは、桜野の無事を確認すると同時に言葉を無くしてしまった。
当然ながら全身が焼け爛れているように見えるのと、クライスに攻撃を受けた傷口からは尚も血が滴り落ちている。
(そ、それ以上に…さ、桜野さん………ッ!)
桜野は少しずつ、かすかな呼吸を整えながら焼け焦げたネットを踏み越え、クライスの落ちた先、観客席の階段をゆっくり、一歩ずつ昇っていく。
やがて、桜野はクライスを見下ろすように仁王立ちになった。
「な…なぜ……」
クライスは力を振り絞り、桜野に問う。
「何故……返せ……た…………」
ハァ、ハァとなおも呼吸を整えながら桜野は回答する。
「拙者とて……武士の…剣士のはしくれ……ハァ…ハァ……幾度も…貴様の球を受ければ……ハァ…軌道の傾向を…読む事は…ハァ……不可能ではない………」
クライスは驚愕した。
こいつはあの短時間のうちに何本か受けた俺からの打撃から、どの角度で、どの強さで返せば自分の腹に風穴を開けられるのか?これを瞬時に学習したのだ。
テニスを何度も何度もやっていれば不可能な事ではないが、こいつはさっきまでズブの素人だった。
しかも刀で。
理解した。こいつは、このサムライは天才だ。
「もっとも……この………赤蜻蛉だからこそ…の事だが………」
"火の鳥"が解除され、徐々に熱が引いていく空気の中椿木どるはヨロヨロと立ち上がった。勢いよく投げ出され地面に叩きつけられたせいもあって全身が痛い。
でも、地獄のような試合が終わった。桜野が勝ったのだ。
どるはゆっくり、桜野と、倒れたクライスの元へ歩いていった。
ほとんど瓦礫と化してしまった観客席を何とか昇り、2人のもとへたどり着く。
「さ…桜野さん……」
「サムライよ…ひとつだ………ひとつ教えてくれ」
薄れる意識の中、力を振り絞ってクライスは質問を投げかけた。
桜野は肩で息をし、まっすぐクライスを見つめたまま耳を傾けた。
「何故…あの状態で……立ち上がる事ができた?……俺の"スーパーソウル"は……完全にお前の膝を……粉砕した……」
いい質問か、愚問か。桜野がどちらと捉えたのかは、クライスにもどるにも分からなかった。
ただ、桜野は血まみれの顔のまま、口角をほんの少し上げながら…一言で答えた。
「気合いと……」
「……………根性、でござる」
「………」
フッと笑みを浮かべながら、クライスは横たわったまま、右手をほんの少し持ち上げた。
本当に熱い好敵手に出逢えた事を、クライスは心より感謝した。
しかしその刹那。
辛うじて繋がっていた細い糸が途切れたように、桜野はガクリ!と膝をつき、その場にうつ伏せになって倒れてしまった。
「さ、桜野さ……」
慌てて駆け寄ったどるの目に飛び込んだのは、気を失い仰向けになったクライスと、うつ伏せになった桜野。その互いの手は、しっかりと握手をするように握られていた。
「ゲ……ゲームセット!ウォンバイ……桜野!!!」
呆気に取られていた審判が、声高らかに宣言した。
会場は大歓声に包まれた。観客はどるを除いて100パーセントクライスのサポーターだから、ブーイングの嵐かと思いきやそうではなかった。
少しの悔しさが入り混じりながらも、勝者の功績を認め、賞賛する歓喜の声だった。
「凄い……凄いよ桜野さん…いや、クライスさんもッ!感動の試合だったよぉぉ……」
これぞスポーツ。熱い試合の後には、熱い友情がある。ライバル同士は決していがみ合うものではなく、試合が終われば何よりも硬い絆で結ばれた友なのだ。
ただ、どるにはそれはさておいて納得出来ない事がひとつあった。
「桜野さん………桜野さんの方がいい身体してるじゃんか………」
書き忘れたが、桜野のセーラー服もとい戦の装束は焼け焦げ、跡形もなく消滅していた。
桜野の、鍛錬された細いながらも筋肉質な身体には胸元に巻いたサラシと、腰の褌だけがかろうじて残っていただけだった。
どるは何となく泣きたい気分だった。
どんよりしていたはずの魔界の空は、ボロボロに砕けた闘技場を見降ろしながら明るく澄んでいるようだった。
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