第五十九頁 波山道造 その3

「波山!おい!」

 床に仰向けに街田は必死によびかけるが、応答はない。生きているのか死んでいるのかも分からない。

「あとはお客さんだけですねえ。ほら、ほとんど手つけてないからラーメンが伸びてしまいますよ。伸びたら即点数ゼロ!"退場"ですからね?」

 街田はその言葉でようやく概要を理解した。

 2人はまず、入店の時点で"5点"を与えられた。

 席に着き、注文し食べ終わるまで、店主は様々なマイ・ルールに基づいてイチャモンをつけてくる。それにより客の持ち点はどんどん減点されていく。車の免許の点数のように、1点ずつマイナスされ、それと連動して足、手の順番に自由を奪われる。0になるとこの波山のように、魂を奪われてしまう。最初、入店した時の挨拶だかの文句はノーカウントだろう。席に着くまでに足の自由を奪われては席につく事すらできないからだ。

おそらく波山のように、あんな洗礼を受けても食べて見たいと思う人間がターゲットだ。

 もう今更過ぎるうえ、街田は自分の学習能力の無さに呆れてしまう程に思っていたが、ある確信が生まれた。

 この店主、おそらく人間ではない。妖怪か悪魔か何かだ。

(しかしどうする…このラーメンを食べる以外に逃げ道は無いという事か…)

「らっしゃあいー1名様ごてぇん!」

 突然店主が大声で挨拶した。

「…どうも」

 帽子を深々と被った暗そうな怪しい男が入ってきた。たまたまなのか、概要を知っているのか、入る瞬間に会釈をしたのでお咎めなしだ。

 倒れた波山、焦る街田を気にもせずいくつか隣のカウンター席に座り、「ポテトサラダラーメン」とボソッと注文した。

 街田は額に汗を浮かべて緊張しながら、なんとか動く上半身を駆使してラーメンを食べた。スープをかき混ぜてはダメ、おそらく目の前のコショウなどもトラップだ。これはおそらく絶対に使ってはいけない。

 街田はかつてプラモデル屋で似たような状況になった事を思い出した。

(またこんなくだらない事で…波山が元に戻るのか疑問だが…こいつ、無事に出たらどうケジメをつけてやろうか)

「お客さん……?」

 しまったか、と顔を上げる。

「凄い汗ですね。その汗がスープの中に落ちたらどうするんですか?ちょっと濃いめの塩味が好きなんですか、あなた」

「貴様…」

「はーい減点1!汗だくになってラーメンを食べるのはよく見る光景ですがね、立派なマナー違反です!……ウチではね」

 ガクン、と街田の右腕から力が抜け、動かなくなり箸を取り落とした。

「……!」

 よりによって利き腕とは。箸を拾う事は出来ないので、目の前の新しい割り箸を取って手と歯で割った。

 こいつ、ハナから生きて返す気など無いのだ。利き腕じゃない腕で行儀よくラーメンを食えだと。そんな芸当が出来る出来ないの前に、こいつは必ず何か見つけて文句を言うに違いない。残り2点。しかし先程の波山を見て分かる通り、実質残り1点だ。頭だけでラーメンを犬食いすれば減点なので、残り2点はセットのようなものである。

 さっき入ってきた隣の男は先程から驚くほど静かに食べている。街田はチラリと男を見たが、ある事に気がついた。

(なんだあれは…ラーメンに……)

 男のラーメンの中で何か黒いものが動いている。

 やがて街田は、それが何なのか認識し…うっとなった。

 

 ゴキブリだ。


「お、おおおおお客さん!?なんですかそれは!ご、ゴッゴッゴッ」

 男は何だと言いたげにクイッと顔を上げた。

「ゴキブリ!?どっどこから!お客さんそれ…!うわっにっ2匹いる!!」

 あれはゴキブリだ。虫のゴキブリ。その通り2匹もいる。まさかのゴキブリ、しかも複数が混入という事態。飲食店としてはありえない、存続に関わりかねない失態だ。

 街田はふと思った。散々逆に駄目出しを繰り返すこの店自体が不祥事を起こしたらどうなるのか。

「お客さん…減点1…いやこれは3ですよお!当店の自慢のラーメンにゴキブリを混入させるなど!作り手を冒涜する行為です!」

 呆れた。いや、ここまでくると感心する。どこの客が好きこのんで自分が食べる料理に虫を、しかもよりによって"こんな"虫をわざと混入させるのか。明らかに店のミスなのを客のせいにする、という腐った精神は予想通りにしても、それにしても無理がある。小学生でも言わないだろう。

 男はどうでるのか。街田は店主があちらに気を取られている隙にラーメンを食べ進める必要があったが、気になってそれどころでは無かった。

 すると驚きの返答を男は、した。

「さっきから煩いな君は。ゴキブリ?ああ入っているさ。この店は静かに"家族で"食事もさせてくれないのかね。彼らの姿を見ろ。箸が持てるか?一杯全て食べられるか?常識で考えたまえ」

「え!そ、その、しかしそれは」

 店主にしてみれば嘘から、いや言いがかりからでた誠だ。こんな返答想像もしていなかっただろうし、街田も同様だ。

「ふ、不衛生ですッ!即追い出さなければ…即刻全点没取!魂を…」

 ガタン、と男は立ち上がった。

「不衛生?人様の家族に向かって不衛生か…それは勝手な人間の視点での問題だろう。取り消してもらうぞ。さもなくば…」

「あ、あーっ!席を立ちましたね!食事中に!あと、そ、そうだ、帽子!帽子を脱ぎなさい!減点さらに1!」

 店主は焦って、キレが悪くなっているのがよく分かる。男が減点宣告に屈しないのもその為か。そういえば男はずっと帽子を被っている。どこで買ったのか問い質してみたいくらいに変わったデザインだが…

「ぐ…ぐえっ」

 気付けば、店主の首に何かが巻きついていた。それはラーメンの丼から伸びており、タイトなロープのようにギリギリと彼の首を締め上げている。

「モヤシに…ニラねえ。可哀想に。栄養のある植物だが、こんな腐れ外道の店で料理されては無念だろう。存分に仕返ししてあげなさい」

 それは男の言う通り、モヤシとニラだった。ただのラーメンの具材。それらが伸び、絡まり、一本の縄になって自在に動いていた。

 ふいに、街田の身体に力が戻った。手足が動く。「うーん」と寝起きのような間抜けな声を出しながら、波山も起き上がった。ラーメンは伸びてしまったが、もう食べる必要は無いだろう。

「あれ!僕は今まで何を」

 波山は起き上がった際のコメントもありきたりだ。さすが超普通人間。

 その瞬間、また何かが勢いよく店に入ってきて、街田の側を駆け抜けていくのを彼は感じた。

 まるで風のようだった。

「ひ、ヒィィーッ!暴力!いや殺人未遂!私を殺そうとするなんて!この店のルールたる私を…減点です!減点5万!」

 突拍子もない数値を叫びながら、なんとか首の縄を振り解き店主は厨房に逃げ込んだ。

「はっ………?」

 店主は目の前が真っ白になった。厨房にある、ありとあらゆる食材が食い散らかされていた。まるで飢えに飢えた野犬が侵入したかのように…

 しかしそれは野犬ではなかった。少女だ。小柄な背丈に合わない長い銀髪に白衣という異様な服装の少女だった。

「ひ、ひいいっ!何ですかあなたは!しょ、食材!食材がッ……!減点!減点百億万点ッッ!ギャーーース!!クレイジーデイズ!クレイジーフィーリング!!!」

「らいふちゃん!らいふちゃーん!何やってるの!さっき河原でお寿司たくさん食べたじゃない!う、うわ〜〜酷い…」

 友人と思わしき猫耳の少女が駆け付けたが時既に遅しで、銀髪の少女は一心不乱に食材を貪っている。食材庫が、冷蔵庫が、調味料が散乱していた。

「う、宇宙人ってこんなに食べるものなの…?」

「カフェ・ド……鬼!」

 満足したような銀髪の少女は、妙な事を言いながら後から来た猫耳の娘に親指を立てて見せた。


 ……

 街田は、何が起こったのか分からず唖然とする波山と並んで立ち尽くしていた。

「先生、こんなとこで何してるんですか」

「お前らが何してるんだ。何だったんだこれは」

「し、知りませんよ…らいふちゃんを追っかけてきたらこの店…えーと…店?」

 そこにあったはずのラーメン屋"ポテトサラダ"は、無かった。"テナント募集"と書かれたパネルが貼り付けてある、ただの空き家があるだけだつた。

「タヌキか…くだらない…」

 ゴキブリと一緒にラーメンを食べていた帽子の男が呟き、静かにその場から去った。

「帰るぞサシ。波山。今日はお開きだ」

「はーい…」

「あ、はい先生。また来月に…」


(あの帽子の人…)

 サシは男に見覚えがあったが、絶対関わらない方がいいという事を本能で感じ取っていた。

 らいふと別れを告げ、二人は家に向かって歩いていった。


 星凛のタヌキ(TANUKI)…

 能力名"ウソダラケ"。幻覚を見せて魂を奪い取る事ができる。

 逃亡したが、また別の場所で同じ事をやるのかどうかは不明。ただ、二度とこの町に来る事はなかった。

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