第五十八頁 波山道造 その2

「高菜、食べてしまったんですか!?」

 突然の店員の絶叫。他に客の居ない店内に響き渡り、ひっ!と波山は肩をすくめた。

「聞いてるんですよ。お客さん、そこの高菜食べましたよね?今ッ!」

「え、は、はあ…」

 波山は小声で答えた。何にそこまで怒っているのか、この高菜は食べてはいけなかったのか。ではなぜこのカウンター席にご自由にどうぞといった具合で置かれているのか、という疑問で頭が一杯であった。

 街田はしばししかめ面でその光景を静観していたが、度が過ぎたら店を出ようと思っていた。

「いやあの、ここにあったから…」

「あったから、ってね。うちのラーメンはスープが決め手なんですよお客さん。ラーメンが来る前に高菜を食べた場合、どうですか?よーーーく考えてみてくださいよ。口の中、ピリピリしていませんか?そのピリピリと麻痺した口で!うちの自慢のスープを味わおうと言うのですか!減点1点!!」

 凄い勢いでまくし立てる店員…この男はおそらく店主だろう…に気圧される波山だが、街田は最後の一言を聞き逃さなかった。

「おい、減点とは何だ」

「まあ良いでしょうッ!あいよ!ポテトサラダラーメン2丁お待ちい!」

「お前!質問に答えろ…」

 疑問を投げかける街田を完全に無視し、店主は出来立てのラーメンを2杯、街田たちの目の前に出した。

「こ、これは美味そうですよ〜街田先生!ささ、頂きましょう」

 サラリーマンだからだろうか、打たれ強いというか、神経の図太い奴だ。先程のやり取りを意に介さず麺をズルズルやり出す。

「んっん〜美味い!このコシっていうんですか?程よい硬さがいいですね!ラーメンは硬過ぎてもダメなんですよ」

 機嫌が良いので良いかな、と思い街田はまずスープをすすってみた。

(店主はスープが決め手などと言っていたが、なんてことはない普通のスープだ…"南無蛇"の方が何倍も美味い)

「お客さん?あんたふざけてるの?」

 また店主だ。夢中で麺をすする波山にまた一言物申したいらしい。また私ですか!?と言わんばかりに波山は顔を強張らせた。金を払う身なのだからもうちょっと堂々としていいのだが、こればかりは彼の性格と言った所だろう。

「私、さっき何て言ったか覚えてますかね?あなたが物事を"3つまでしか覚えられない"みたいな呪いにかかってるのなら話は別なんですがね?うちのラーメンはまずスープから味わってもらわないと意味がないんですよ。そっちの旦那みたいにね。うん、あんたは上出来だ」

 店主は引合いに出した街田をチラッと見て得意げな顔をしてみせた。

「おい」

 街田は立ち上がった。

「さっきから何だお前は。こっちは客だぞ、と偉ぶるのは好きではないが…金を出して出された料理をどう食べようと我々の勝手だろう。思い上がってるんじゃないぞ」

 溜まっていたモヤモヤしたものを吐き出すように街田は店主を指差し言い放った。波山は、そうそう、そうですよ!とでも言いたげにフンフンと街田の言葉に頷いている。

「あー…お客さん。減点2ね。今…思いっ切り文句をつけましたよね…」

「その減点とかいうのも何だ。点数を付けているのか?客をナメるにもほどがあるだろう!」

 …とまで言って街田は座っていた椅子にストンと座った。不自然に。

 今の威勢のタイミングにして、いきなり椅子に行儀よく座るという行動には波山も違和感を覚えた。

「それと…食事中に立ち上がらないでくださいよお、お客さん。お行儀が悪いですよ、って子供の頃親にしつけられませんでした?」

「ん……?ぐっ!」

 街田は状況が理解できなかった。

 彼は座ったのではない。見えない力で座らされたというわけでもない。立っていられなかったのだ。両脚に力が入らない。

「せ、先生ぇ〜」

 隣で波山が情けない声を出す。

「先生もですか…私も…た、立てないんですよ…力が入らないんです!」

 街田と波山の両脚はまるで筋力を全て削がれたかのように、少々高めの位置にある椅子からダラリとぶら下がっていた。腰で身体を支えているのがやっとだ。

「お客さぁん、ここは私の店なんですよ。私の店では私がルール!お客さんの"魂"だって…私の手の中なんですからねェ!」

 街田はハッとした。こいつ、今"魂"と言ったか。只の比喩表現か分からないが引っかかった。

「ま、まあまあ、食べましょうよ街田先生…えーと、まずはスープからですね…うん、スープも美味いですねえ!」

 波山はまたマイペースに食べ始めた。

 そこへピロリロ、ピロリロと何かの音が鳴った。

 これは携帯電話の着信音だ。街田は携帯電話を持っていない。波山のものであった。

「はい!減点2〜〜ッッ!」

「え、ええっ!?」

 しつこく店主が波山を指摘する。

「今あなた、スープを"かき混ぜ"ましたね!ダメですよォォー、うちのスープはかき混ぜずに食べてもらわないと、元々の旨味が引き立たないんです。それと…食事中に携帯の着信音なんか鳴りますか、普通!?マナー以前の問題ですね!」

「ん……んん!?あれっ!?」

 波山はカラカラと持っていた箸を取り落とした。

「おい、どうした波山」

「いや…あのですね…両手、いや両腕に力が入らなくて…」

 見るとさっきまでラーメンの容器と箸を持っていた波山の両腕は、これまたダラリと下にぶら下がっている。

「おやおやお客さん…ラーメンが伸びてしまいますよ…ラーメンを伸ばしたら"即刻退場"してもらいますが…どうしますか…」

「おい!お前波山に何をした!?このラーメンに…何か入ってるのか」

 街田は箸を捨て、目の前のラーメンに口をつけまいと警戒した。相変わらず両脚は麻痺したように動かない。

「だ、大丈夫です、食べます、食べますよー…えと…」

 両手両足の動きがままならない波山が取った行動に街田は絶句した。

「お、おい…」

 波山にもはや人間のプライドは残っていないのか。このラーメンの何が彼をそうさせるのか。一般的には"犬食い"などという言われ方をするが、波山は自分の顔をラーメンに近づけ、口から直接すすろうと必死になっていた。

「波山、貴様!何をやってるのか分かっているのか!」

「で、でも食べないと、これ美味しいですし」

 波山は我を忘れたようにズルズルとやっていた。当然上手くいくはずもなく、テーブルや波山の襟元にまでスープがビチャビチャと飛び散っていた。

「お客さーーーん!何なんですかその食べ方は!うちのラーメンを馬鹿にしてるんですか!?減点1!これで……ククク、"退場"ォ〜ですねぇ……」

 ふいに波山は仰け反り、椅子から転げ落ちてしまった。

「おいっ!」

 街田の呼びかけも虚しく、波山は情けない顔で宙を見つめ口から泡を吹いている。

「最初に"5点"あげましたよね…点数が全部無くなると"退場"…1点ずつ手足の自由を奪って、最後には魂そのものを頂きますよ。注意書き、表に書いてなかったですか?看板の端に、小さ〜〜〜い字で……ククククク!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る