第五十七頁 波山道造 その1

「いやー嬉しいですね、久しぶりに街田先生にご飯を奢ってもらえるなんて」

 くたびれた背広姿に、髪質に任せて適当にキメた髪型。見るからに普通のサラリーマン風の男はへらへらと浮かれていた。

「誰が奢ると言った。割勘だ」

「え、ええー?先生が奢るみたいな流れだったじゃないですか…まあいいんですけど…」

 小説家・街田康助の肩透かしに、男はがっかりしたように大袈裟に反応してみせた。

「知っているか波山(はやま)。人間関係とくに仕事、これを長続きさせるには基本は割勘なのだ。奢る、奢らないは後々カドが立つ。小生はもう奢らないし、お前ももう"ここはもちますよ"とかはやめろ」

「な、なるほど」

 モノを書く人は変わった事を言うなあと思いつつ、とりあえず男はポジティブに考えてみた。

「でも、そう言われるって事はまだまだ私の担当で作品を書いてくださると」

 歩きながら街田は返事もせず、無言で腕組みをしているのみだったが、実際そうだ。

 この波山という編集の男、下の名は道造(みちぞう)という。それは良いとして、とにかく平凡なのだ。単純というか無個性というか、味がない。家族はおり金持ちでも貧乏でもなく無難に生活しているようだが、街田に言わせればその辺も何となく味気ない。メイキング・ザ・ロード、道を造るというかっこいい名前の割には、出版社にも親のコネで入社したというレール上の人間であった。

 ただ、最初はパッとしないし退屈な男だと思っていた街田も次第に考えを変えた。彼とは仕事以上の関係には決してなりたくないが、使える。何故ならこの男は意見まで嫌というほど一般的だからだ。スタンダード中のスタンダード。不特定多数の大人数の人間を集めて意見を聞けば多数派になるであろう意見を必ず述べる。例えば街田が、いつも通り素っ頓狂な内容の作品を書けば「ちょっと意味が分かりにくいですね…」と拒否反応を示す。逆にちょっと分かりやすく書いてみると「いいですね!ウケますよ!」と賞賛する。

 街田は自分の作品がどのような層に支持されるのかをある程度自覚していた。サブカルチャー、アンダーグラウンド、拗らせ系といった、根拠もなく平凡こそ悪と考えているような若い人間だ。この場合の"若い"は肉体的な事ばかりではない。この男は彼らが最も嫌う"一般論"をスルスルと吐き出してくれるから、常に反発する事はなくともそこそこのバロメーターとして機能した。とは言え彼も仕事、まあまあの意地はある。彼の意見に反すればとりあえずの一悶着はあるが、締切間際になると「もう、分かりましたから」と匙を投げる所も平凡だ。扱いやすい。


「ラーメン屋・ポテトサラダ…最近新しく出来たのか。なんだこの名前は」

 商店街の中に、周りの歴史ある店舗からは一際浮いた雰囲気のラーメン屋がそこにあった。外壁は白く、看板もまっサラだ。開店御礼の幟が立っており、まさに今日の昼間から営業開始との事だ。

(今日開店ということは、あの幽霊もまだチェックしていないのかね。しかし…)

 妙な名前が気になった。ポテトサラダがメニューにあるという事なのだろうが、ラーメンとポテトサラダを同時に食べたい人間はどれだけいるだろうか。

「街田先生、新しいラーメン屋みたいですね。ここにしませんか」

 街田も特に行き先を考えていなかったので、入ってみる事にした。


「らっしゃぁい!お二人様ごてぇん!」

 奥から威勢の良い店員が挨拶をした。ごてぇん、とは何だ、気合を入れる掛け声か何かだろうか、街田は特に気にせず敷居を跨いだ。飯時だというのに、客はまだ誰も居ない。

「お客さん!」

 店主が突然二人を呼び止めた。

「こっちゃ挨拶してんですけどね!会釈のひとつでもして入るってのが筋ってもんでしょう」

 いきなりの礼儀作法についての説教。店に入っていちいち会釈する客はしない客よりは極端に少ないと思う。街田はカチンときて、同時に(そういう店か)と悟った。

「波山。出るぞ。別の店に行こう」

「な、なんか手厳しい店ですねえ先生。でもこの匂い…」

 波山は目を閉じながらフンフンと、店の中に立ち込める香ばしい匂いに気を引かれているようだった。

「ここで食べましょうよ、多分美味いと思いますよ」

「何か根拠はあるのか」

「いやー単純に好奇心で…だってほら、すごくいい匂いじゃあないですか」

 一般人なら今の一喝に嫌気がさして店から出て行くだろうが、波山も変に強情な所があるな、と街田は思いながらそのまま席についた。確かにいい匂いがする。確か桜野…幽霊にしてラーメンマニアの…は、いいラーメン屋は入った時の匂いである程度わかる。少し臭く感じる程が、むしろ良いのでござる!と語っていたのを思い出した。

「フン、さっきより不快な事があれば出るぞ」

「まあまあ。あのくらいいいじゃないですか」

「へいっ!何にしやす」

 厨房から店員の男がヌッと顔を出した。若いのか老けてるのか分からない、年齢不詳の眼鏡の男。さっきのくだりで気難しいかと思ったが、見るからに平凡そうで、とっつきやすそうな雰囲気だった。

 注文を聞かれたがメニューが無い。

「メニューは無いのか」

「うちぁ"ポテトサラダラーメン"一択でさぁ」

 なるほど。バリエーションが一種類しかないラーメン屋はたまに聞く。種類が少ないほど自信があるという証拠。これも桜野が言っていた。

 というかポテトサラダラーメンとは何だ。まるでラーメンにポテトサラダが乗っかっているかのようなネーミングである。

「ポテトサラダラーメンひとつ〜」

 悩む街田を尻目に、波山は颯爽と注文した。街田も、メニューがひとつしかないならこれを食べるか、食べないなら出るしかないという事は分かっていたので注文した。

 おもむろに波山は目の前の小皿の山から二枚の皿をつまみあげ並べた。小皿の山の隣にある小箱から中身をトングでちょいちょいとつまみ上げ、両方の皿に乗せ街田の目の前に置いた。平凡な男なので、こういう所は気がきく。

 これは高菜だ。鮮やかな細切れの緑色に、唐辛子の赤い点がまぶしてある。

「小生はいい」

「ありゃ、そうですか。ではお先に…」

 波山は前菜という感覚で、そそくさと高菜を口に運んだ。

「こ、こりゃあ美味いですよ!なんていうんですかこう…ピリッとした辛さがあっていいというか…」

 高菜にピリッとした辛さがあるのは当たり前じゃないのか。また平凡な感想を述べる男だ…と街田が適当に頷いたその時。

「お、お客さん」

「?」

 顔を上げた波山を、店員が睨みつけている。怒りの表情というよりは、呆れや、哀れみを浮かべるかのような何とも言えない表情だ。

「た、た、たたた……」

 波山はなんですかといった驚きの表情で店員を見つめ返す。

「高菜……食べてしまったんですか!?」

 ガラガラの店内に、甲高い店員の声が響き渡った。

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