第四十七頁 暴いておやりよ椿木どる 4
「は………はひっ……はひっ…」
怖がっているような、喜んでいるような不気味な表情で、超能力者の椿木どるは淀んだ、しかし真っ直ぐな目で街田康助を見つめていた。
突然目に飛び込んだ光景にサシは数秒間放心状態で二人を見つめていたが、次の瞬間に街田に飛びかかっていた。
「やめて先生!だめえええ!!」
どるの髪の毛をわっしと掴んでいた街田の手が離れ、空中で拳を作り勢いよく振り上げられた。サシは必死になってその腕を両腕で掴んだが、勢いよく振り飛ばされてしまった。さしずめ、浮気がバレた男が片方の女に逆上して暴力を振るおうとし、もう片方がそれを止める…といった昼のドラマのようなワンシーンだ。
「なんだてめえは。どっから湧いた、クソガキ」
街田は尻餅をついたサシを鋭い目で睨みつけたが、サシはその目に見覚えが無かった。この人は街田康助ではない。いや、街田康助なのだが…サシの知っている彼の目ではなかった。濁っていて、意味もなくこの世の全てに反発するような目…まるで反抗をステータスにする子供が、自分を抑えつける大人に対して向けるかのような目だった。いつもの、冷静に真っ直ぐと何かを見据える目ではなく、どこに目を向ければいいのかわからない、不安に満ちた幼い目。
そして顔が若かった。街田は元々年齢にそぐわない若い顔立ちをしているが、それを差し引いても違和感があるくらい彼の顔は若返っていた。
「だ、誰」
サシは思わず聞いた。街田はてめえに名乗ってどうするんだ、という形相でサシをもう一度睨みつけた。
「こ、こんな事が……私の…能力……"サーチライト"が…読み取れなかった…?」
「能力?今、能力って言った?」
どるが虫の鳴くような声で呟いたセリフをサシは聞き逃さなかった。
「あなたは何者なの?先生に何をしたの!」
「ごちゃごちゃうるせえよ。女だからって容赦しねえからな、クソが」
街田は今一度どるの髪を鷲掴みにし、もう片方の拳を彼女の顔面目掛けて振り込んだ。しかしその次の瞬間、街田が見ているのは椿木どる…今、まさに攻撃しようとした相手の足元だった。頭部に物凄い衝撃があり、どるを殴る前に街田は床に突っ伏してしまった。
サシとどるは同時に目を見開いた。
「彼」がいた。
街田に憑いている犬。名前は…難しかったのでサシは忘れてしまった。既に情報を読み取っているどるは「これがそうか」とすぐに察した。
『これ以上はやめておけ、街田康助』
(喋った!?)
サシは動揺した。まともに声を聞くのは初めてかもしれない。地の底から響くような声と、ダラッとした能天気な声が混じった不思議な声だった。
『椿木どる。超能力者の人間か。貴様にもこれ以上深く入り込む事を勧めない。この男の闇は貴様ごときには拭えない』
どるは目を見開き、無言で犬の言葉を聞いていた。当然、彼の思考や記憶、情報を彼女は読み取る事が出来なかった。
『猫の妖怪。貴様もだ。街田康助にこれ以上関わるな。死ぬより苦しい不幸が…運命が貴様を待ち受ける事となる』
犬は鋭い声でサシに釘を刺した。
「死ぬより苦しい?」
『そうだ』
「か、関係ないですね。私、一度死んでるようなものなんで…あの時、河原で先生が私を見つけてくれてなかったら、水風船になって死んでましたから」
『それは偶然ではない。貴様は既に街田康助の"運命"に巻き込まれている。直ぐに街田康助の前から姿を消すのだ』
サシはカチンと来て言い返した。
「嫌ですね!消えるのはむしろあなたじゃあないんですか、犬さん。あなたが先生を苦しめてるんじゃないですか。私には…そういう風に見えますけどね」
サシの声のトーンは少し低く、どるには彼女が怒っているという事が読み取れた。いや、それ以上に…
『妖怪の娘よ、お前には何も分かるまい。この者が抱える絶望を、苦しみを。お前にこの男を救えると言うのか』
「それは」
サシには何とも言えなかった。街田が小説家になるより前の事、過去の事をサシは知らない。まだまだ街田の事を彼女は知らず、街田がどのような苦しみを抱えているのか?など"理解できる"とハッタリを飛ばす事もおこがましく感じられた。
「か、勝てる気がしないなあ…私は…」
椿木どるが恐る恐る口を開いた。耳を済まさなければ聴こえないくらいの自信のない声だったが、サシの敏感な猫耳はそれをキャッチした。そりゃそうだ、相手は霊の中でも特に恐ろしいと言われる動物霊だ。超能力者らしいこの子がどんな能力があろうと、実体もない、得体もしれないこの存在に勝とうというのは無理があるのでは…。サシは思ったが。
「私じゃあ勝てないよ…サシちゃんには…」
「は?」
「私はただのファンだよ、街田先生の…でも…」
どるは大きく息を吸った。
「サシちゃんって先生の事…好きでしょ!ラブでしょ!大好きでしょ!"嗚呼、出来るなら胸倉と髪の毛を私も引っ張られてみたい!"とか思ってたでしょさっき!?私の歌を総てあなたにあげるって思ってるでしょ、血まみれだって抱いてあげるワって思ってるでしょ、もう好きすぎてアイ・スタンド・ヒア・フォー・ユーぐへぇあっ!!」
顔面を真っ赤にし、サシはどるの顔面にグーでパンチを入れた。猫パンチは協力だ。哀れ、どるは鼻血を垂らして倒れ込んでしまった。
(この人………)
サシは確信した。彼女の、椿木どるの能力を。こうやって街田先生に近付いたのか。
そして…何て恐ろしい能力だと思った。この人は敵だ。いろんな意味で。
「と、と、取り消して!始末してやるんだからッッ!!」
「ひっ!!」
サシは鋭い牙と爪を剥き出しにして倒れたままのどるに襲いかかった。
『おい』
「犬さんは黙ってて」
サシの見た事もない鋭い目付き、真っ赤な顔、荒い呼吸、流れ落ちる汗と口から覗く涎に、流石の犬も若干たじろいだ。
瞬間、サシの足首を掴む手があった。
「や…やめろ…何をやってる……」
街田康助だ。街田康助が目を覚ましている。サシの赤い顔は一気に蒼くなった。あ、色がコロコロ変わるLEDライトみたいだ、とどるは思った。
「せ…せん……せ………どこから、い、いつから…目を…」
サシの目からはボロボロと涙が流れ出た。
「いや、サシがその娘に襲いかかる瞬間だが…何をやって…」
「うそ!うそよ!どるさんだっけ!?読んで!先生の心を読んで!読みなさい!!早くッ!」
サシはキッ!とどるを睨みつけ命令した。街田はギリギリ2メートル以内。今は意識もあるし、心も読める。後付けではなく、意識のない人間の心は読めない。
「え、ええと…言ってる事は本当だけど…」
「嘘だッッッッ!!!」
どるは思った。ああ、我を忘れた女の子って大体嘘だッて叫ぶよね。昔からそうだよね…
ちょっと待て、状況が読めない、とたじろぐ街田に、サシは無数の猫パンチを浴びせかける。哀れなり、街田康助。せっかく起き上がったが、また昏睡の中へと身を投じる事となってしまった。
『ストップ!ストップしろ!お前達は我の話を聞いていたのか。聞いていなかっただろう。もういい。妖怪のサシ…いかんともしがたい娘だ』
先程まで落ち着いていた犬が、意外にも慌てながらその場を鎮めようと必死だった。
『なんという連中だ。街田康助…お前が引き寄せたというのか?それとも…』
「成る程。小生の心を、情報を読んだという事か」
「ご…ごめんなさい。私、前に先生の作品を読んで、もうちょっと自分を生きてあげようかなっていうか、頑張ってみようって思って、救われて、それで…」
一悶着のあと、犬は『しばらく様子を見させてもらう』といったニュアンスの捨て台詞と共に姿を消した。
「ごめんなさいッ!ダメだとは分かっていたんですが!好奇心なんです!どーーーしても先生がどんな人なのかって、興味があって、それで…」
椿木どるはびっくりするほど丁寧で綺麗なポーズで謝罪をしながら弁解していた。少し離れた場所では、サシがばつの悪そうな顔で俯いていた。自分も全力で謝りたい気持ちと、この女の子早く帰らないかなという焦燥感でいっぱいだった。どるに気持ちを読まれては嫌なので、2メートル以上離れていた。
「何が見えた」
「えっ」
「小生の記憶だ。何が見えた」
正直、どるが読み取れたのはほんの少しだった。
どるは確信していた。人に"触れてはいけない過去"がある事は珍しい事ではない。街田康助のそれを、どるは覗き見しようとしてしまったのだ。
あれは、あの凶暴な街田康助は、過去の街田康助だ。いや…街田康助ですらない誰か。その"過去"を読み取ろうとして、街田は豹変し、あの犬が現れた。
「な……何も………」
椿木どるの額からは冷や汗がダラダラと流れ出た。何故なら少しだけ覗き見た街田康助の過去を口にする勇気が彼女には無かったからだ。
3人。
街田康助が過去に、小説家になる前に殺した人間の数だ。
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