第四十六頁 暴いておやりよ椿木どる 3

「へえ!先生のファン!凄い!やっぱり有名人なんですね!どんな人ですか!」

 サシはパッと顔を輝かせて街田を賞賛した。

「女子高生だった」

「うっ、そうなんですか…。妖怪?悪魔?」

 適当に見えるサシの反応だが、あながち可能性が無いとは言い切れないのが何とも言いがたい。

「いや、普通の娘だ。ただ…」

「ただ?」

「妙な気分だった」

「妙な?」

「なんとなくだが…心の中をじっくり覗かれているような…」

「……何かあったんですか?」

「何もない。サインをせがまれただけだ」

 何だ、普通だ。本当にただのファンなのだろう。サシは何となく残念なような、安心したような、若干複雑な気持ちになった。

「その人、家まで来たりして…」

「おい、妙な事を言うなよ」

 面倒事が嫌いな街田がサシの冗談をたしなめる口調は、半ば本気だった。珍しいことでは無いので、サシはエヘヘと舌を出して笑った。


 夕方。サシはお遣いに行き、街田は部屋で一人執筆をしていた。また今回も中々に難航しており、酒でも飲みたかった。しかし街田は執筆をする際に酒を飲む事は絶対にしなかった。昔、それで大失敗した事があったからだ。街田は酒が入ると酔った勢いで逆に妙に冷静になってしまう。覚醒剤はやたらと神経が研ぎ澄まされて冷静の究極の状態になると聞くが、それの非常に軽いパターンのような気もする。

冷静な頭で執筆をするとどうなるか。展開が単純明解。登場人物の心境が手に取るように分かる。状況を鮮明に描写する。ちっとも面白くないのである。アンダーグラウンドを売りにしたギャングスタ・ラッパーが売れてしまってやたらポップ路線に行ってしまったような。

あの凡人編集の男に見せても、これはいいですね!分かりやすい!などとほざいて絶賛するような内容だった。街田はその場で恥ずかしくなって打ち合わせを中断、執筆データを持ち帰って消去してしまった。

 執筆はやはり、普段のもやっとした脳で書くに限る。呼吸をするように書くのだ。酒を飲む行為は気持ちを捏造する事だと思った。

 ピンポン、とチャイムが鳴った。妙に早いというか、サシは別にチャイムを押して家に入る事は無い。おおかた荷物で両手が塞がり、尻尾でチャイムを押したのだろう。器用な奴だ。しかしあの尻尾はそんな事出来たっけか、など適当な事を考えながら玄関のドアをガチャリと開けた。

「こ、こんにちは!街田先生!」

「は……」

 女子高生だ。玄関を開けた先に、ブレザーの制服に金髪ボブヘアーの、いかにもサブカルチャー大好きですという雰囲気の女子高生が突っ立っていた。

 街田はこの女子高生を知っていた。昨日、喫茶"ケラ"で打ち合わせをした後にサインをせがんで来た、あの妙な女子高生だ。前髪に半ば隠れた大きな目をキラキラさせて、街田を見上げていた。

「お前…」

「す、すいませーん…来ちゃいまして……」

「来ちゃいまして、ではない。何故小生の家を知っている」

 自宅の場所はあの編集にさえ伝えていなかった。そもそも星凛町に住んでいる事すら言っていない。打ち合わせの際は、隣町から喫茶"ケラ"のある星凛駅前まで30分かけて徒歩で来ている、とだけ伝えている。健康のためだとか適当に理由をつけていた。

 こいつ、まさか。

「あの…あの後、後ろを着けて…ご、ごめんなさい!」

「冗談じゃないぞ。許される行為ではない。帰れ」

 やっぱり着いてきていたのか。何となく妙な女子高生だと思っていたが、やはり厄介な奴だった。街田は、自分の作品が好きな娘にはロクな奴が居ないな、と改めて自らのファン層と作風を呪った。これだから顔も情報も出したくなかったのだ。

「わ、分かってます!ダメな事だって…でもファンなんです!が、我慢が出来なくて」

「あ、あのな…」

 厳格だった街田の表情が、若干動揺に変わった。

 椿木どるは、ほぼ世捨て人的な節もある街田がこういう事に弱い、いや、慣れていないという事を既に知っていた。超能力者である彼女の能力"サーチライト"は、2メートル以内に近づいた対象のあらゆる情報を引き出す事が出来る。それは対象の住所はもちろん、どのような性格なのか、弱点は何なのかという情報までをも、まるでインターネットのフリー百科事典を閲覧するかのように得る事が出来た。

「だめですか。アシスタントも」

「だからアシスタントは不要と言っている。昨日の話を聞いていなかったのか」

「じゃ、じゃあ!結婚してください!!!!!」

「ッッッッ…………」

 街田家を、しばしの張り詰めた静寂が襲った。



「はあ?うちが潰れるって?」

 ライブハウス"ヒューマニティ"ではその日の出演バンドが音のチェックを行っていた。バーカウンターで、赤髪の女性スタッフ…松戸ガガは突然の情報に目を見開いた。

「サシちゃん、アタシはあんたが大好きだぜ。恩人だし、カワイイし良い子だ。あとカワイイ。まさにグッドガール!しかしだな、言っていい冗談と悪い冗談があるんだぞ。うちは潰れはしないさ。経営は安定してるし、潰そうとする奴がいるなら逆にアタシが潰してやるよ」

 そういいながらガガは金属製の手の平をカシャカシャと鳴らした。潰す、というのは間違いなく物理的な意味だ、この人の場合。サシはそう思った。

「はぁ、安心しました…買い物してたら、女子高生らしき人が私の側で電話してたんです。そしたら、ヒューマニティが潰れるとかっていう会話が聞こえてきたもので」

「何だあそりゃ〜?デタラメ喋る奴が居るもんだなあ」

「ごめんなさい、勘違いで」

「いいんだよサシちゃん!こうやって来てくれただけで嬉しいんだからよ、アタシは!んん〜〜!」

 バーカウンターごしにガガは顔を突き出してサシの頰にキスしようとしたが、野生の瞬発力でサシはそれを躱した。ガガは残念そうな顔をしながら話題を変えた。

「そうだサシちゃん。ここのドリンクメニュー見てみなよ」

 ガガはおもむろにバーカウンターに立てかけた小さなメニューボードをサシに見せた。

「あっ!グミチョコパインジュースじゃないですか」

「そういう事。どうせ売れないとか言って店長の野郎がずっと拒否ってきてたんだけどさあ。この度やっとレギュラーメニューになったんだよ。ほい、サービスで1杯あげる!」

「わあ!いいんですか?いただきまーす!」

 サシが街田宅に帰るのはまだ先になりそうだった。街田康助の家に住み着く妖怪サシ、彼女の容姿、ヒューマニティというライブハウス。全ては椿木どるが"サーチライト"で得た情報と、ひとりぼっちの教室で編み出した必殺技"エア電話"のコンボによるものだった。


「私を、街田先生、あなたの妻にしてください。家事、炊事全部やりますし、あなたが絶対に好きと言ってくれる料理を作ると約束します。自信があります」

 街田康助はこの娘が何を言っているのか理解出来なかった。彼女が自分の作品のファンである事は昨日から知っているが、いきなり顔を合わせて結婚とは狂っているとしか言いようがない。

「いいか、小生はお前の名前すら知らない。性格も家族構成もだ。くだらない冗談はやめてここを去れ」

「そ、そんな事言わないでください!!なんなら夜だって…」

「夜は執筆だ。邪魔を考えているなら去れ」

 どるには、このくらいの押しで街田が揺らぐ事がないことも分かっていた。彼は女を知らないわけではないが、私のような小娘は趣味ではない。現に、あのサシという妖怪の子も同居しておきながら、街田先生とは一切の"そういう"関係を持っていない。という事も全て理解していた。悲しいかな、この能力は男女の夜の生活の有無やその内容まで赤裸々に見抜いてしまう。どるほど楽天的な性格の持ち主でなければ、たちまち発狂して廃人になっているだろう。

 ただ…人の心には隙間がある。

「分かりました、先生。そこまで言うなら…」

 次は何だ、という風に街田はどるを睨みつける。


「ご、ごめんなさい遅くなりました!なんか途中でヒューマニティが…」

 どるの策略にまんまとハマり、やっと買い物から帰ったサシが息を切らして帰宅した。

「え」

 その光景を見てサシは目を疑った。

 家に知らない女性がいる。いや、この少女にはなんとなく見覚えがあったが、サシにはちょっと思い出せなかった。問題はそこではない。

「いいか、クソ小娘。世の中には知っちゃいけない事、暴いちゃいけない事、そういう事がわんさかあるんだよな、おい。死ぬ覚悟は出来てんのか?」

 聞き慣れない口調でまくし立てる街田康助の右手は少女の襟元を、左手は髪の毛を鷲掴みにしていた。

 手をブルブルと震わせ、恐怖に引きつる少女の顔は心なしか恍惚に綻んでいるように、サシには見えた。地獄のような光景だった。

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