第三十三頁 ルーズ・コントロール 2

 脇腹からは血が溢れ出し、足はアキレス腱をカッターナイフによってブチリと切られ、立ち上がる事が出来ない。身体は熱くなっていて、おそらく発熱している。

サシはここで死ぬと思った。

 最初の3本のナイフの動きは止めた。このカッターナイフはどこから現れたのだろうか、鎌鼬(かまいたち)がこれを取り出した瞬間は確認できなかった。サシはあのナイフ自体が鎌鼬の能力だと思っていたが、それは大きな勘違いだった。

 完全に動きを封じられ、さしづめまな板の上の魚、いや猫のようなサシの耳には鎌鼬の不敵な笑い声がかろうじて入ってきた。

「ハーッハハハハハハハハ!こういう事なんだよなァ。ナイフに仕掛けがあると思ってたんじゃねえ?俺の能力、"ルーズ・コントロール"が操作すんのは刃物ならなんでもオッケーなんだよ。ここは人間共のゴミが多いからなあ、カッターナイフのひとつやふたつ、あるだろうなァ〜と思ってたら、あったなァ!ハハハハハ!ラッキーってやつだ!」

 鎌鼬は倒れている街田を踏み越えてサシの元へ歩いてきた。涙を流しながら、虫のようなうめき声をあげて痛みを堪えるサシのすぐ側にしゃがみ込んだ。

「おい畜生。も一回聞くけどよ、何で妖怪のお前が下等生物な人間と一緒に居るんだ?お前そこに転がってる奴に飼われてんのか?」

 フー、フーと唇を噛み締めたサシの口からは今にも消え入りそうな呼吸が漏れる。涙を溜めながら鋭い猫目で鎌鼬を睨んだ。こんな奴とは会話もしたくなかったし、痛みと同時に怒りのようなものも湧いてくるのを感じた。

「ち………が…………」

「どう違うんだよ?ああん?」

 血が溢れ出る脇腹に、ドスッと鎌鼬の蹴りが入った。サシは涙で顔を歪めながら声にならない声で悲鳴をあげた。

「こいつを置いて逃げようと思えば出来ただろ?だのにカッコつけて俺に歯向かってくるって事ぁ、こいつに何かあるんじゃねえの?」

「う………………うる……さい……………」

 鎌鼬は壁と床に刺さったナイフをいつの間にか回収し、サシに向ける形で空中で静止させていた。サシの目は霞んでそれすらも確認できなかった。ただ漠然と、自分はここで殺されるという絶望的な感覚だけがあった。フライドチキンになる前のニワトリは、こんな感覚なんだろうか。可哀想に。

「お前は八つ裂きで決定だァ!血は貰ってくしよォー、恨むならこの死に損ないを恨むんだ……」

 そこまで言いかけて鎌鼬はある違和感に気付いた。

 先ほどまでそこに倒れていた、確かに日本刀で斬られ、地面に突っ伏していたはずのこの猫娘の連れ…街田康助の姿が無かった。

 凶器となった日本刀も消えていた。

「どこだ…」

 あの状態から、今の一瞬で立ち上がって逃げ去る事は出来ないはずだった。急所は外れており致命傷は免れたかもしれないが、満足に動く事は敵わないはずだった。

「おい!あの人間はどこに行った!猫娘!」

 サシの意識は既に限界で、鎌鼬の質問に答える事は無かったし、サシにもその理由は分からなかっただろう。猫娘にとどめを刺す事は簡単だったが、彼が消えたと同時に感じた妙な悪寒を感じた事も鎌鼬は奇妙に思っていた。


「繰り返される…んー……諸行は無常…」


 女の声だ。一瞬で空気を変えるような、妙に冷静で、冷たく真っ直ぐな声だった。

「蘇る……何だったか。この一句は好きだったのでござるが…時代をも移動すると細かい事は忘れてしまうのでござろうか、悲しい事だな」

 高架下の後方、鎌鼬が来た方向から一人の女が歩いてきた。セーラー服に身を包んだ女子高校生だが、服はズタボロであり、頭に矢のようなものが刺さっている。腰には鞘、右手には…日本刀を持っている。女は先ほど、鎌鼬が街田を斬ったはずのあの日本刀を持っていた。背筋がゾクリと凍りつく感覚があった。

「誰だてめえは」

「今のは気にするな。気に入っていた自由律俳句だ。しかし名を名乗る時はそちらから名乗るのが侍の筋であろう。いや…他人の刀を盗み、あまつさえ"斬る"のではなく"投げて刺そうとする"ような無粋な使い方をする輩を侍と呼ぶのはお門違いでござるな」

 頭上の線路の上を星凛から都心へ向かう電車が勢い良く走り抜け、その風で女子高校生の黒く長い髪がサラサラと揺れた。髪の向こうから、頭に刺さった矢によって流れ出した血液が半分を覆う、不気味ながら美しい顔が見えた。

 この世の全てを憎んで憎んで憎みきってから、何かの希望に吹っ切れたような複雑な魅力がそこにあった。

「しかし拙者もしてやられたよ。魂とも言える刀を貴様のような悪俗な妖怪に盗まれ利用されるとはな。本来であれば切腹ものの不覚。されど今はもう仕える主(あるじ)なし、生憎素浪人の身でござる。さすればこの場で貴様を斬り伏せてケジメと行こうかな」

 女は日本刀をまっすぐ、鎌鼬に差し向けた。


 鎌鼬はつい昨日、ある場所で彼女の隣に立て掛けてあった日本刀を盗み、それを使って「狩り」を行った。その持ち主がこうやってノコノコ現れたわけだが、鎌鼬は負ける気はしなかった。刃物対刃物。こちらは複数を遠隔操作出来るし、刃物の勝負で鎌鼬が負ける訳は無かった。

「珍しく日本刀なんぞ持ってる人間がいるってんでついつい盗んじまったが、なるほど、てめえは幽霊か。タラタラと未練がましくこの世にしがみつく、一番ダッセェ部類の連中だなァ!」

「未練…なるほどな、未練か。未練などはもうないよ。我が主も、その仇ももうこの世にはいない。あるのは目的…いや、目標と言ってもらおうかな」

 女は不敵な笑みを浮かべながら言い返した。

「ごちゃごちゃうるせえーッッッ!」

 鎌鼬は先程のナイフを投げつけたが、その刹那、激しい金属音と共に女に向けて真っ直ぐ飛んだナイフは全て彼女の刀によって弾かれた。彼女が剣を振った瞬間は見えなかった。一瞬にして鞘から剣を抜いてナイフを弾き落とし、また素早く鞘に納めたのだ。

 しかし鎌鼬の真骨頂はここからにある。弾かれたはずのナイフは尚も空中で軌道を変え、女に襲いかかる。

「くどい!」

 女はぐいっと身体を捻り、再度全てのナイフを弾き落とすと同時に一直線に鎌鼬に向かって走った。3本のナイフが後ろから女をしつこく追随した。

 ナイフが女に追いつくが早いか、女が鎌鼬を斬り伏せるが早いか。

 答えは前者。

 ただ、ナイフが女の背中に追いつき、その肉にズブリと刺さる事は無かった。何故なら女は実体のある幽霊だった。実体があれば刃物が刺さるはずだが、いくら実体があっても幽霊は幽霊、この世にはもう存在しないはずの生命体である。その矛盾を都合よく調節するかのように、ほんの一瞬だけ彼女は自らの存在を"透過"させる事が出来た。サシが猫に変身できるよりも遥かに短いほんの一瞬だ。まさにナイフが追いつくその一瞬、女は自らの身体を透過させた。

 自ずとナイフは彼女が向かう先、鎌鼬本人に向かって真っ直ぐ飛んで行った。

「うおおあっっ!!!」

 咄嗟の判断で鎌鼬はナイフの軌道を逸らしたが、それは無意味であったし、むしろナイフにでも刺されて後ろに倒れた方が幸せだったかもしれない。

「妖刀・朱蜻蛉(あかとんぼ)…我起立唯我一人(アイ・スタンド・アローン)!」

 女が何やら分からぬ固有名詞を叫ぶと同時に、前身をばっさり斜めに斬られた鎌鼬はサシよりも大量の血を噴き、声もなくその場に倒れた。


「忘れておった。拙者、人呼んで、桜野踊左衛門と発しやす…うむ、聞いておらんな」


 桜野踊左衛門(さくらのだんざえもん)。

 戦国時代の落武者にして幽霊である。その瞳は、何かに対しての未練ではなくこの世に留まる確固たる目標のようなものを見据えたように、妖刀よりも鮮やかに真っ直ぐとギラついていた。

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