第三十四頁 黒目がちな

「目が覚めたでござるか」

「ひぃっっ!!」

 死ぬかもしれないような大怪我をして気を失い、目が覚めたら目の前に矢が刺さった血まみれの女が自分を覗き込んでいる。「ひぃっ」のひとつやふたつは勘弁願いたい状況だった。生前特に悪い事をした覚えはないのに、一瞬、天国ではなく地獄に来てしまったのかという気持ちになる。

この血まみれの女が味方である事は分かっているが、目覚めて突然のどアップは中々心に残るものがあった。ひと昔前のインターネットのびっくりジョークフラッシュのようだ。ゴーストだけに。

 サシはあの高架下、鎌鼬(かまいたち)に襲われた場所で目を覚ました。記憶が正しければ、確か脇腹に3本の刺し傷、手首に1筋の切り傷、そして片足はアキレス腱が切断され、ほとんど戦闘不能のはずだったが。

「…あれ」

 サシは恐らく自分はここで死ぬと思っていたが、生きていた。更に今起き抜けに頭で整理したはずの傷口は全て塞がっていた。黒のワンピースの腹部、そして黒いブーツが切り裂かれ破れていたので、鎌鼬に襲われた事は夢では無かったという事は確かだったが、皮膚は何事も無かったかのように跡もなく綺麗になっていた。

「拙者のこの妖刀"朱蜻蛉(あかとんぼ)"は…拙者の感情を読み取って"本当に斬りたいもの"だけを斬り伏せる事が出来るのでござる。もっとも、拙者の手を離れてしまえばただの刃物同然なのであるが」

 血まみれの女…桜野踊左衛門(さくらのだんざえもん)は腰に差した鞘に手を添えて説明した。刀の柄の先には"鉄"という達筆な漢字一文字を象ったキーホルダーのような装飾がついている。間近で見るとナイロン製?のような材質の紐でくくりつけられており、女子高生の携帯ストラップのようにも見えた。桜野本人の女子高校生的な容姿も手伝って、ただのファッション用のストラップなのではと思ってしまう。

しかし刀そのものの柄は手垢で汚れ、その年季を物語っていた。

「傷を癒す薬をいくつか持っていたので、治癒させてもらった。ただこれを使うと無性に腹が減るという反作用がござるが…」

「全く呆れるくらい都合のいいものを持っているものだが、助かった。礼を言おう、幽霊」

 しゃがみ込んでサシの顔を覗き込む桜野、いや桜野の後ろには、日本刀で斬られ倒れたはずの街田康助がピンピンして突っ立っていた。

「先生!先生………良かったあ……」

 街田の無事を確認したサシの顔は一気に涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった。街田は後ろを取られ刺された不覚を少し情けなく思っていたのか、無言で軽く手をあげた。

「普通は"朱蜻蛉(あかとんぼ)"で斬られても、死ぬ事はおろか切り傷もできぬでござるよ」

 確かに、街田の身体には傷ひとつなかった。気を失っていたのは刀で攻撃された衝撃によるものだ。

「"朱蜻蛉"は拙者にしか扱えぬ妖刀でござる。別の者が使ったとしてもただのなまくら。その辺の土産屋の木刀の方が強いのではないかな」


「あの鎌鼬は思ったよりしぶとい者だった。斬り伏せたと思ったが、すぐにイタチそのものに姿を変えて行方をくらましてしまったのでござる」

桜野は状況を懇切丁寧に説明したと思えば、急に笑顔でこう言った。

「しかし誠、サシ殿の伴侶を助けんと応戦する姿勢には感慨深いものがござった。妖怪とて、人情があるという事を学び申した」

「はんりょ?」

「伴侶ではない。居候だ」

 意味を分かっていないサシを尻目に街田はスッパリ訂正した。しばし桜野はきょとんとしていたが、すぐに「まあ色々あるのだろう」という具合に納得したようだった。

「ところで幽霊…桜野なんとか。何故まだこの世に留まっている。仇(あだ)討ちは叶わず、成仏したのでは無かったのか」

「せ、先生、失礼ですよ。助けてくれたのに」

 そうは言われてもただでさえ対人関係が苦手な街田は、幽霊に対する礼儀も何も理解などしているはずが無かった。じゃあどう訊けばいいのだという風にしかめ面でサシを見かえした。

 しかしこの幽霊、先週出現した時とは何か様子が違う。空腹のせいもあったかもしれないが、あの時はまさに幽霊ですという具合で恨みを重ねたような、暗く、鋭い目つきをしていたはずだ。

 今は何かが吹っ切れたかのように、何か希望や目標を持ったかのように明るく、真っ直ぐな目をしている。

「構わぬでござるよ。拙者、この世に未練はもう無いが…いや、未練と言えば未練なのかもしれぬが…そうそう、今から行こうと思っている所でござった。街田殿、サシ殿、よければ共に参りましょうぞ」

 妙に勿体ぶって事情を話す桜野に、作家と妖怪は着いて行く事にした。


 ……


 星凛の駅前には大概のものが揃っている。不動産屋、銀行、コンビニ、スーパーマーケットなどの生活必需品の店から、ライブハウス、レンタルビデオショップ、カラオケ屋、パチンコ店、川が近いので釣具屋などの娯楽施設や店舗。喫茶店、小さいがレストラン、飲み屋も多く、学生からサラリーマン、家族連れまでが遊びに来ても住んでいても大体の物は事足りる場所だった。少し歩けば公園もある。弱いのは電化製品と、ライブハウスがある割に楽器屋は無かったので、これらは電車に乗って川の向こうの都心まで行く必要があった。最も町に楽器屋が無い事については某ライブハウスの某スタッフが目をつけて、内部で勝手に徐々に商売を始めつつあったが。

「着きましたぞ」

 他の何にも目もくれず颯爽と歩く幽霊桜野に着いて行き、立ち止まった先はラーメン屋「南無蛇(なむへび)」だった。

カインがアルバイトをするコンビニ「さんさんハウス」の隣に位置し、駅からは近いが若干死角じみていて見つけづらい場所にある。

「ラーメン屋?」

「ラーメン屋ですね」

「うむ、ラーメン屋でござる」

 外開きのドアを開けると都合よく客は誰も居なかった。狭い店内にかろうじて4人座れるテーブルが2席、カウンターが5人分と非常に小さなキャパシティの店である。

「女将、今日は3人だ」

 店の奥、厨房から一人の初老の女性が顔を出した。ここを一人で切り盛りする女将であった。

「あら桜野さん。お友達ですか」

「うむ、拙者にらーめんを教えてくれた友の、そのまた友でござる。要するに拙者の友だな!ははは!」

「あらあら!あははは!」

 桜野は女将といつの間に意気投合したのか、共に高笑いしてテーブルの席についた。街田とサシは呆気に取られていたが、自分達が空腹である事には気付いていた。鎌鼬に遭遇する前に食事をしたはずなのに、それが無かったかのように普段の夕食前と同じくらいの感覚で腹が空いていた。桜野が説明したように、あの薬草で傷を治されると腹が減るというのは本当のようだった。

 ラーメン「南無蛇」は迫力のある店名とは裏腹にあっさりした醤油ベースのちぢれ麺で、若い者に人気のこってり濃厚ダシでも、巷で流行りのドカ盛ラーメンでもない。総じて地味だし、夜な夜な行列ができるわけでもなかった。

実際、ここ最近の星凛町には他にもラーメン屋が数件新たにできており、中にはテレビで取り上げられて以来行列ができているところもある。どちらかといえばこの「南無蛇」は本当にここが好きでしょっちゅう来る、数少ない常連でもっている店だった。女将もマイペースなもので、手が空いた時は常連の客と談笑するようなアットホームな雰囲気だった。

 ある意味で話題がどうのといった激戦からは外れた位置に居るので、そういった気楽さがまた女将の活力になっているようにも見える。

 思えば街田も、もちろんサシもここに来るのは初めてだった。街田もラーメンは好きな方であるし他の店に食べに行く事はあったが、この店に限ってはなんとなくそういった常連向けのような雰囲気があり、入る事が無かった。


「はいお待ち。南無蛇ラーメンですよ」

 目の前に出されたのは何の変哲もない、特筆する所のないスタンダードなラーメンだ。いかにもあっさりという具合の半透明な醤油スープに、申し訳程度にチャーシューやナルトといった具が乗っていた。本当に地味だった。

「いただきますっ!」

 ひとたび手を合わせると、桜野は一心不乱にラーメンをズルズルやりはじめた。独特のちぢれ麺が次々と桜野の小さな口に運ばれ、つるつる吸い込まれていく。

彼女の頭を流れる血液は乾く事がなく、湯気の熱も手伝ってタラタラと彼女の頬を伝い、汗と共にスープに垂れ落ちて赤い波紋を描いていた。頭に矢が刺さった血まみれの女子高校生が恍惚の表情でラーメンを食べるという何とも言い難い光景が広がっていた。

「桜野さん、最初来た時はびっくりして、救急車を呼ぼうと思ったんですけどねえ。これだけ幸せそうに食べてくれるお客さんなら、作りがいがありますわあ」

 女将は彼女を幽霊と分かっているのか無いのか、我が子を見守る母親のように彼女を見つめていた。

「わ、私達も食べますか」

 とりあえず出されたものだし、腹も減っているのでサシと街田も麺を食べ始めた。

「……」

「…………」

「む、これは中々…」

「おいしーですねっ!」

 実際、南無蛇のラーメンは美味かった。派手ではないが、毎日食べても苦にはならないであろう人なつっこい素朴さがあった。よく「スタッフの気合を注入しています」だとか「人生常に前向きに」みたいな文句を店中に貼った筋肉のようなラーメン屋があるが、そのような文句が一切なくとも、女将のラーメンに対する熱い想いが伝わってくるような美味さがあった。

 気付けば桜野はもう麺と具を平らげてしまい、スープをごくごくとやっている所だった。

「ぷはーっ美味い!走り出したいほどうまい!やはりここが拙者の"本陣"でござるなあ」

 桜野は満足と言った表情で、ここのラーメンの美味さにそこそこ気付いたであろう街田とサシを見ながら話し始めた。

「あの時、拙者は死にそうなほど…いや死んでいるのだが、まあ腹が減っておってな。ガガ殿に出された一杯の料理、らーめんという物を知ったのでござる。矢流瀬(やるせ)殿の仇がもうとれないと分かって一度は成仏を考えたが、この料理の事が無性に気になって、成仏するにしきれなかった。そこでもう一度ガガ殿に聞いてみたらどうだ。この…今は天下も統一されてニッポンという名になったこの国に、らーめんの店が3万以上もあるというではないか」

 街田とサシは、はあ、という感じで食べながら聞いていた。

「拙者は考えたのでござる。是非ともこのニッポン全土のらーめん屋を味わってみたいと!この"南無蛇"を拠点に、全てのらーめん屋を制覇するまでは、死ぬに死に切れぬ!これは未練ではなく、目標でござるよ!」


「「何十年かかると思ってんだ(ですか)!!」」


 街田とサシは息ぴったりに幽霊に向かって言い放った。

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