第三十二頁 ルーズ・コントロール

「何だあこの刀。やっぱオモチャなのか?畜生がァ」


 星凛町の辺鄙な高架下、背中から日本刀で攻撃され、うつぶせに倒れる街田康助の後ろから一人の男が歩いてきた。

(サクラさんじゃない…)

 街田の側に転がっている、「鉄」という文字を象ったキーホルダーのような装飾がついた日本刀。サシはその日本刀に見覚えがあった。

 一週間前、ライブハウス「ヒューマニティ」で出会った落武者の幽霊、桜野踊左衛門=サクラが持っていた物に違いなかった。彼女がガガから渡された歴史の本を読む際、ヒューマニティの薄暗い照明に照らされ、バーカウンターに立てかけられたその"柄"が美しく輝いていたのを鮮明に覚えている。

 しかし、現れたのは一人の見覚えのない男。恐れていた事がいとも簡単に起きてしまったという恐怖に、サクラが犯人ではないという少しの安心が入り混じった。

「まあいいや。殺り直し、殺り直しっと」

 犯人と思わしき男は懐から数本のナイフを取り出した。長めのくせ毛に無精髭、トカゲを象ったネックレスにロックミュージシャンのような革ジャンを着込んでタバコを咥えていた。見るからに、絵に描いたように危険な雰囲気を漂わせる男だった。

「や、やめて!!」

 サシは全身の力を振り絞って男に向かって叫んだ。男の放つ異様な殺気と妙な違和感に体中、尻尾の先までもが震えていた。

「せ、先生に……何するんですか…」

「んん〜?何だお前。仲間じゃねえか。その耳と尻尾は…猫娘か?」

 男は今サシに気付きましたという具合に、倒れた街田を挟んで向こうにいるサシを見た。仲間とはどういう事だろうか。サシはこんな男に知り合いは居ないし、通り魔に知り合いなど居てたまるかと思ったが、その雰囲気から彼が妖怪である事に気付いた。仲間とはそういう意味なのであろう。

 しかしサシには、彼がどういう妖怪なのかは分からなかった。

「なんで妖怪が人間と一緒に居んだ?仲良しこよしか、笑っちまうなあ畜生が!」

 男は半笑いで凄んで見せた。まさに危険なチンピラという風貌だ。

 こいつは敵以外の何でもない。戦わなければいけない。

 サシは咄嗟に爪を剥き出しにして身構えた。

「サシ、逃げ……ろ……」

 倒れた街田は虫の鳴くような声でサシに告げたが、サシは動かなかった。位置的にはその素早さをもって逃げようと思えば逃げられる状態だが、街田を置いて逃げる事はしたくないし、それ以前に身体が固まっていて動くことが出来ないという方が正しかった。戦う姿勢はとっても、足が竦んでいるように感じて戦えるかどうかも疑問だった。

「おい猫娘。俺ぁ個人的な趣味で人間の血を集めてんのよ。コイツを放ったらかして逃げんなら逃してやるし、歯向かってくんならハムにしてやんぜコラ。妖怪の血でもいいかどうかはわからんけどよ」

 妖怪の血でもいいかどうか?よく分からない言い回しに一瞬疑問を抱いたが、サシは爪を構える手を下さなかった。

「先生から離れてください。私があなたの懐に入ってこの爪で攻撃するまで1秒もかかりませんよ」

「ハッハーン!どうかなァ!やってみるか?畜生の猫娘なんぞに負ける気はしねェけど?…ほいっ」

「えっ」

 その瞬間、サシの目の前に3本のナイフが出現した。厳密には敵が投げたと言うべきだった。サシが動き出すより先に、敵はナイフを3本同時に真っ直ぐ、サシに向けて投げ放った。

「うわっ!」

 かろうじて爪の先でナイフを叩き落としたが、次の瞬間、サシは脇腹に鋭い痛みを感じうずくまった。つい今の瞬間叩き落とした3本のナイフが全てサシの脇腹に、綺麗に並んで突き刺さっていた。

「あ……う…うそ」

 サシの黒いワンピースを破り、肉を貫いて赤い血が噴き出した。鋭い痛みでサシはその場に膝をついた。

 つい今の瞬間に叩き落としたナイフが3本全て、同じような箇所に刺さる事があるだろうか?痛みと同時に沸いた疑問に、これが彼の能力なのかという推理が働いた。

「ハハハ!口だけかァ?俺のが早かったじゃあねえか。でもな、脇腹はつまんねんだよ。血が沢山出んのはやっぱ…手首か…」

 突然、スパッとサシの手首に切れ目が入った。

「あああああっっっ」

 ナイフが1本、間一髪手首の脈の隣1ミリをかすめ、少量ながら血が噴き出した。

 もう少しズレていたら致命傷であった。

 そのナイフは何処から飛んできたのか分からなかったが、サシは自分の脇腹から1本だけナイフが消えている事に気付いた。サシの手首をかすめたナイフは勢いよく高架下の壁に刺さり、男はチッと舌打ちをしながら手を翳した。

「頸動脈だなァ!」

 まずい、頸動脈はまずい。

 サシは咄嗟に両手で首を覆ったと同時に気付いた。脇腹にあるナイフがまた1本"ひとりでに"抜けた。次の瞬間、宙を舞いながら首を覆うサシの手を目掛けて一直線に降下し、地面に突き刺さった。サシは身体を捻りナイフを避けたのだったが、その衝撃で脇腹に刺さった残り1本のナイフが余計に刺さり、駄目押しのような痛みがサシを襲った。

「ひ、ひぅっ…ううぅっ…」

 大きな猫目からにじむ涙で視界がぼやける。

 しかしサシは気付いた。さっきからこのナイフは何もしていないのにひとりでに動き、サシを襲ってくる。男は片方の手をポケットに入れ、片方でタバコを摘んで突っ立っているだけだ。

「俺の能力はまあ〜すげえ分かりやすいんでな。説明する間もなく気付いただろ。気付いた所で"どーこー"できる訳でもねえんだけどよ、畜生が…ああ、このタバコはキャラ付けだよ気にすんな…無意味にタバコ咥えてる漫画のキャラとか居んだろ、ありゃ何なんだろうなァ」

 男は訳の分からない事をぼやきはじめたが、それよりやはりこのナイフ、ひとりでに動いているというよりは男が自在に操っているという事だ。男は手を触れずとも、ナイフの動きをコントロールし、ホーミングミサイルのように命中させる事ができるのだろう。

「俺ァ"鎌鼬"だよ、かまいたち。知ってんだろ。人様を切り裂く事しかできないチンケで小物くさい能力だが!俺の趣味にはピッタリなんだよなァ。能力が先か、趣味が先かは知らねんだけどよ」


 「かまいたち」…昔、ミステリーゲームのタイトルにも使われていたがこれは妖怪の名称である。

 時折強い風が吹いた際に、何も心当たりがないのに皮膚が切れている事がある。人はそれを"かまいたち"という妖怪の仕業だという。

 要するにこの妖怪、鎌鼬は所持する特殊なナイフを自在に操るという攻撃的な能力を有しているという事が分かった。


 男が合図すると、脇腹に刺さった残り1本のナイフがズズズと抜ける方向に動きだした。最初よりも深めに刺さっている為、数倍の痛みがサシを襲った。

「ううううあああああああ!!!」

 サシは痛烈な痛みに耐えながら、何を思ったか抜けようとするナイフを両手に力を込め、抜けないように掴んで固定した。ナイフが抜ければそこから血が噴き出すし、ダメージも増加するというからというのもあるが理由は他にもあった。

「うぐ…うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

「おっ…?」

「フーーッ、フーー………めちゃくちゃ痛いです…けど……こういう…事ですね…ハァ……ハァ……」

「ありゃ、案外早い事気付いたんだなァ、偉い偉い」

 サシは冷静にある事に気付いていた。

 もしサシが奴ならば、壁や地面のナイフをすぐさま抜いてサシを攻撃にかかるだろう。それをしないという事は、出来ない理由があったという事だ。

 彼はナイフの軌道を操る事が出来るが、遠隔操作であるが故にあまり力は無い。理由は先程壁や地面に刺さった第1、第2のナイフが動かない事にある。第3のナイフのように肉に刺さった程度なら抜けるが、壁や地面のように硬い部分にぐっさり刺さると遠隔で抜き取る力は無いのだ。このように誰かが掴んでいても同じなのだろう。

「で?どうすんだ?そのままナイフを俺に向けて投げ返してみるか?」

 そんな事をすればすかさずナイフは彼の遠隔操作により、Uターンして自分の首を掻っ切りにくる事になる事は目に見えていたので、ノーだ。

 それ以前にサシと鎌鼬の距離は10メートル程で、ナイフを彼に向けて投げつけるようなコントロールも腕力も残念ながらサシには無かった。となると、このナイフの動きも封じてから猫に変身して鎌鼬の懐に潜り、接近戦に持ち込むのがベストだろう。

 呻き声をあげ、刺さった時の倍にもなる痛みに耐えてサシは脇腹のナイフを強く掴み、抜き出してから地面に深く突き刺した。

「フウゥゥーーーーー………フウウゥゥゥゥゥゥゥ!」

 それと同時にサシは呼吸をコントロールし、彼女の身体は一匹の黒猫の姿に変わった。街田の自宅で犬憑きと対峙した時や、ガガに襲われた時にも使用した能力だが、これには10秒程で人間が100メートル走を全力疾走したのに匹敵する体力を消耗する。脇腹の痛みもあり、どこまで思い通りに動けるかは疑問があった。しかし、こいつを退けなければ街田も自分も助からない。

「本ッッ当に痛い時ってよォー、痛みが遅れてくるもんなんだよなァ」

 サシは鎌鼬に向かって走り出したが、その足は上手く動かなかった。それどころか猫に変身した筈の身体は元に戻ってしまい、見れば片方のアキレス腱には深々と錆び付いたカッターナイフが刺さっていた。どこから現れたのか。全く見覚えが無かった。

「…ッッ……???」

 声も出なかった。足の自由を奪われて倒れこみ、動けなくなったサシの視界はあまりの痛みにぼやけ、鎌鼬の笑い声だけが高架下にこだました。

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