第二十四頁 パンク作家と模型店 3

 たかがプラモデルと甘く見ていた。このプラモデルは生きている。手術と同じく、少しでも手元が狂えば命を落とす事になってしまう。接着剤の瓶が倒れたという取るに足りない、くだらない事でサシは窒息死の運命に着々と近づいていた。プラモデル化しているので表情は分からないが、生き生きとした肌色だった顔色は青く、隣に転がる目玉のパーツからは光が消えていった。あと何分、いや何秒もつのだろうか。街田の額からは焦りと恐怖で大量の汗が噴き出し、パーツを持つ指先は震えていた。

「ちなみに教えてやろう。完全に命を失ったプラモデルはどうなるか。その形を失くしちまうんだよねえ。見てみな。そこの脚のパーツを」

 街田が店主が指さした先にあるサシの左脚パーツを見ると、それは少しずつ溶けていた。プラスチックが高温のバーナーで溶かされるように、ドロドロとその形を失っていく真っ最中だった。

「うおおおおおおおお」

 街田は必死に爪でサシの鼻と口をカリカリとひっ掻くが、少しの粉が落ちるくらいで効果はない。それどころか、指先の汗でサシの顔のパーツを取り落としてしまった。パーツは街田の足元に落下し、そのまま棚の下へ入り込んで見えなくなった。

「何か!何か長いものは………」

「無いねえ」

「サシ!サシーーーーーッッッッ!」

 床に這い蹲り、無理やり棚の下に手を伸ばすが届かない。やがて棚の暗がりの中で顔パーツが少しずつ溶けていく光景が街田の目に映った。

「あ……ああ………あ……」

 街田の頭は絶望で真っ白になり、これ以上何も考えられなくなっていた。普段の冷静な街田はそこには居なかった。

 街田はサシと出会ってから、自分が少し変わった事を感じていた。人と会話する事が増えた。最も相手は悪魔だとか改造人間だとか、マトモな奴は殆ど居ないが…それでも編集の奴が、街田の文章が良い意味で変わったと評価した。サシは自分勝手でワガママでちょこまかと鬱陶しい奴だが、なんとなく賑やかな生活に楽しさを感じていた。下手すれば自分の娘でもおかしくない年齢(実際は分からない)で恋愛感情も当然無かったが、家族がいるというのはこんな感じか、と無意識に考える事もあった。

「サ………シ…………すまない…………」

 街田は声にならない声で、項垂れながら棚の下、手の届かない場所で溶けていくパーツに語りかけた。


 …………

 もう自分の周りで他人が死ぬ事は嫌だった。たとえ人ではない何かでも、関わってはいけなかった。

 …………


「委ネヨ」


 声がした。

 店主の声ではない。

「我ニ委ネヨ」

 地響きのような低い声が聞こえる。

「我ニ委ネヨ!!!!!!」

 パニックによる空耳かと思ったが、そうではないと確信したのは次の瞬間だった。


 街田がそれまで座っていた椅子に誰かが座っている。全体が光っているように見えたが、足のあたりはぼやけていた。上半身は服を着ていないのだろうか、筋骨隆々で全身が毛で覆われていた。街田は…この男を知っていた。見た事がある。

「ほうーー…凄いね」

 体勢は変えないが、感嘆の声をあげる店主。彼の目の前に座っているのは、犬の頭を持っている男。街田に憑いており、かつて彼の家でサシと一戦を交えた犬の霊が目の前にいた。

「こ、こいつは……はっ!?」

 犬の左手には、先程棚の下に消えてしまったと思わしきサシの顔のパーツがあった。犬はおもむろに机のヤスリを手にすると物凄い勢いでサシの鼻と口を塞ぐ接着剤を研削しはじめた。

「おい、やめ……」

 次の瞬間、街田は目を疑った。街田だけではない。店主も犬の手元にあるパーツを見て目を丸くしている。サシの鼻と口の接着剤は完全に剥がれ、その可愛らしい凹凸も一切形が崩れる事なく元通りになっていた。青白く、血の気が失われていた顔色がいきいきとした肌色に、頰はピンク色に戻っていく。

「お前、何故」

 街田が話しかけようとすると犬は制するように叫んだ。

「我ニ委ネヨ!!!!!」

 またそれだ。任せておけという事なのか。見ると、犬の手先はそのゴツゴツした毛むくじゃらの質感に似合わぬ精密な、素早い動きでサシのパーツを組み立てていった。頭、胴体、衣服、手足が次々と出来上がっていく。接着剤の扱いも完璧で、一切のはみ出しがない。猫の耳と尻尾を取り付け、完成した。美少女フィギュアのように手を前に突き出して猫のポーズをとるサシの姿が完成した。

 次に犬はガガの箱を開封し、凄い勢いでフレームから切り取り、ヤスリをかけ、組み立てて行く。予想通り改造人間であるガガの構造は複雑で、場所によっては髪の毛のような細さのチューブや回路のパーツが複雑に絡み合っていた。これはもし仮に街田がサシを助けられたとしても、ガガは冗談抜きで助けられなかっただろう。

 やがて、左脇をしめて腰のあたりで握りこぶしをつくり、右手は顔の前を斜めに横切り、天高く伸びている…なんかどこかで見たようなポーズのガガが完成した。

「何故お前が………」

 街田は呆気に取られながら犬に訊いた。


「模型トカ………好キダカラ………………」


 とだけ言い捨てて、犬は姿を消した。マジなのか。

 二人の姿が復元されると、ボン!という音と共にそれぞれの完成品と同じポーズで二人は元に戻った。

「た…助かった……」

「ぷはーーーっ!!なんか髪の毛が片方スースーするんですけど…」

 店主はただ、あら良かったねえという笑みの表情で3人を見つめていた。


 帰り道。街田は極度の緊張やら絶望やら驚愕やらですっかり疲れきり、上の空でサシとガガの後ろをトボトボと歩いていた。

「なんか…あたしの秘密なトコ全部見られちまった気分だぜ…サシちゃんならいいんだけどあんなよく分からない犬のモンスターに…おい!ありゃなんなんだよおっさん!?」

 ガガは振り返り問いただすが、街田は無言。

「接着剤がくっついて息が出来ない時はどうなるかと思いましたよ」

「マジ?そんな状態だったの?箱、開けられるまでは何が起こってんのか分からなかったからなあ。おっさんの叫び声だけ聞こえたけど」

 彼女らの会話からも分かるように、プラモデルになっている間も意識はあり、周りで起こっている事もまあまあ理解できていたようだ。結局彼女らを助けたのは街田ではなく、真意は全く不明だが彼に憑いていた犬だった。

 しかし、サシが呼吸を出来ない苦しみの中、必死になって彼女を助けようと叫んでいた街田の姿を机の上の「目のパーツ」はしっかり見ていた。意識が遠のいてぼやけてはいたが、その光景を鮮明に覚えている事はガガにも、街田本人にも言わないでおこうと決めた。

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