第十九頁 パンク作家とライブハウス 5

 時間は少し遡り、妖怪サシがライブハウス・ヒューマニティ地下にあるガガの部屋に入った5分程あと。小説家・街田康助の家のダイニングで、黒ずくめ、頭はトゲトゲの背の高い男が謝り倒していた。深々と頭を下げ、すんませんっした!!と連呼している。もちろん相手はこの家の主、街田康助。

 罪状は不法侵入。もちろんいけない事であるが、最初、悪魔のカインにとってそれは不法ではないという認識がどうしてもあった。

(だって、サシさんがいいって言ったから…)

 理由は彼らの"風習"にある。

 悪魔は魔方陣を使って任意の場所に移動が出来る。しかし人間の家に無断で入る事は出来ない。民家もだし、会社であってもそうだ。駅や店など公共の施設は、あらかじめ誰であっても出入りができるように存在しているので問題はない。

 しかし、そこの家の住人が「入っても良い」という許可を出した際に悪魔はそこに入る事が出来る。言われても良いし、ここでは割愛するが特定のまじない的なサインでも有効である。

 サシは先日カインがアルバイトをするコンビニ「さんさんハウス」でカインにこう言った。

「そうだ、今度先生と私の家に遊びに来てくださいよ!一瞬にお菓子食べましょう!いつでも来てくださいね!」

 かくして、サシがおつかいに行く間、集中して執筆に励む街田の部屋の床に突如として魔方陣が現れた。ズズズズっとトゲトゲの頭、顔、肩といった順にカインが登場した。カインからすれば「いつでも来てくださいね」と許可があったので自由に行き来できるという事だったが、街田からすれば呼んでもないのに仕事部屋に突然むさ苦しい悪魔野郎が邪魔しに来たというシチュエーションに他ならない。なんのつもりだこのボケ、と怒鳴りつけ、そのようなルールは人間の世界では適用されないという事も懇切丁寧に教授した。

「これでひとつ人間界の勉強になったな、カインよ。で、用事とは何だ」

「はい!今ちょっと見てきたんすけどね。町でサシさんを見かけたんすよ」

「あいつには今、遣いを頼んでいるからな。声はかけなかったのか」

「それがっすね…一緒に女の人と居たんすよ。赤い髪で、パーカーの女性と」

「赤い髪にパーカー…ふむ」

 街田は心当たりがあるような無いような気がした。

「あの人確か、高架下のライブハウスの人っす。俺、あそこで仕事させてもらおうと思って訪ねた事があるんすけど、ダメっつって怒鳴られたんすよね」

 別にカインは怒鳴られてなどいなかったが、怖い想い出とは増幅して記憶される物である。

「思い出したぞ。小生も先日ライブハウスで会った。10代後半くらいの娘だろう。確かあいつ、まじまじとサシの奴を見ていたな。仲いいのかあいつら」

 呑気に思い出す街田。

「後をつけてみたんすよ。サシさん、あの人に着いてってるみたいだったんで。そしたら」

「後をつけるとは悪質だな。それで」

「あのライブハウスの裏手に、地下があるんす。そこに入っていきましたね」

「遊びにでも行ったんじゃあないのか」

 街田は我関せずといった具合だった。

「それだけだったらいいんすけど…俺、気付いたんすよ。あの女の人、人間じゃないっす」

 街田の目付きが変わった。

「人間じゃない?また妖怪か」

「いや…妖怪じゃないす。俺みたいな悪魔でもないっすし、何というか…いや、人間っすよ。人間なんすけどね」

「何が言いたいんだ…どっちなんだよ」

 はっきりしない物言いにイライラする街田。人間だけど人間ではない何か。また何か出てくるのかと街田は心底げんなりした。

「これは憶測というか、直感というか、なんですけどね。あいつ、何かヤバいっす」

「サシが危ない、という事か…」


 地下室。

 ガラスの眼はサシを見ているが焦点が合っていない。汗と涎をダラダラ流しながら、ガガは尚も「アスミ、アスミ」と連呼しながら半笑いで手術台にサシを押さえつけ、首元からその衣服を破ろうとした。猫になって逃げられれば良いが、あれは体力を使うので最低でも5分ほど立たなければ使えない。

「アスミが居たから、今の私が……あるんだ……あいつらは潰してやったし…これでアスミと、ずっと一緒に…こんな幸せな事、無い……」

 抵抗し、叫ぼうとするサシの唇はガガの唇で塞がれた。まさかの瞬間だ。気が狂った改造人間の女性にファーストキスを奪われるだなんて中々体験できるものではない。ショックと恐怖でサシも訳が分からなくなってきた。

 ガガはサシを押さえつけた状態で器用に自分のパーカーを脱いだ。ガガの上半身は裸、白く細い肌に下着のみの状態になる。パーカーに隠れていた部分、彼女の腹部、脇腹には内部の回路を守るのであろう金属カバーが剥き出しになっていたし、両腕も関節の部分に継ぎ目や露出したチューブがあり、先程はこの腕を外して飛ばし、サシを捕らえてソファに連れ戻したという事が分かった。

 改造人間。よく特撮や漫画などで見られるが、何らかの理由で身体の一部もしくは大部分を外科手術で機械化した人間の事だ。誰が何の目的で彼女をこんな身体にしたのかは分からない。強制的に施されたのか、自ら望んでなのか。それよりサシはこの危機をどうやって回避するかをフル回転で考えていた。

「大好きだよ、アスミ……見て。アスミになら見られてもいい。この身体があったから、アスミに出逢えたんだ…同じ、同じで、いいかな。私と同じなら、すぐ出来るよ……」

 サシの首元にチクリと痛みがあった。麻酔だった。手脚から順に痺れて、動かなくなっていく。頭がぼやけ、自分を見つめるガガの顔も次第に薄くなってきた。もう1ミリほどで眼が閉まる。そうすればもう夢の中、後はガガのなすがままだろう。

「ガガ、そうだね、嬉しい……ガガと同じ身体に……な……たら、一緒に…居られる、ね」

 サシはぼやける頭で何を血迷ったか、自分がアスミである事を受け入れたようだった。

「そうだよ、アスミ!もうすぐ麻酔が効いて、気持ちよくなるから…あとは任せて…素敵な身体にしてあげるからね!」

「ガ……ガ…ずっとここ…で………暮らして……いいの」

「勿論だよ!一緒に、ずっと暮らそう!でも、外の奴らにはアスミは会わせないよ…アスミはずっとここに居て…」

「そ……っかぁ……外………出られない……だね………おともだ……ち………呼んでも、い…………か……………な………………」

「い、いいよ!あなたのお友達?いいよ!呼んでもいいよ!いつでも!」

 ここでサシの意識は麻酔に支配され、完全に途絶えた。ガガは待ってましたとばかりに恍惚の表情でサシの服をはだけさせ、"作業"に入るべく器具を両手に持つ。


 突如として、フォン、と手術台のすぐ横の壁に大きな円形の物体が現れた。

「なに……」

 すぐにそれに気付き動揺するガガ。円形の物体は紫色に透明がかっていて、三角形を逆に2つ組み合わせた模様が描かれている。そこからは少しずつ少しずつ、何かが姿を現した。

 黒いマント、端正な顔立ちの青年。髪型は上に向いてトゲトゲに逆立っている。


「お招き……感謝するっすよ…………」


 鋭い目を光らせ、挨拶がてらにガガを睨みつけるのは悪魔カインであった。

 ガガは、サシに対して「"あなたの友達"はいつでも来ても良い」と言った。すなわち、サシの友達たるカインはここに入る"許可"を住人であるガガから貰った形になる。内から鍵がかかっていようと、許可さえ降りれば悪魔はそこに入る事ができる。

「嬉しいっすね。俺の事友達だと思ってくれてんすね、サシさん…こんな情けねえ俺を!ううっ」

 カインの言葉にガガは、はっとしてサシの方を振り返った。

 台の上で眠るサシの表情は、"してやったり"という風にニヤリと微笑んでいたような気がした。

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