第十七頁 パンク作家とライブハウス 3
猫娘サシはここ最近よく一人ででも散歩などに出歩くようになった。夜はさすがに一人は禁止していたが、日中であれば街田も別段気にはしなかった。家に居てもおとなしく本を読んでいるかテレビを見ているかなので、居ても居なくても同じであった。大体は夕方には帰ってくる。
星凛の町は駅を中心に色々あるが、ひとたび駅から離れればもう住宅街か、他との町を結ぶだだっ広い道路に出るかという所だった。取り分け大きな町ではない。あまり好き好んで出歩かない街田よりも、好奇心と適当に任せて出歩くサシの方が星凛町に詳しくなっているのではないか。
そこまでいくと街田も一案考えずにはいられなかった。これを利用しない手はない。いつしか街田はサシに買い物を頼むようになった。妖怪だし天然くさい部分はあるが、見た目の年齢並の一般常識は弁えている。買い物のひとつやふたつは出来るだろう。他人は彼女の耳や尻尾は気にならないらしいし、問題はないと思われる。
「かしこまりましたーっ!」
サシも満更ではないようで、買うものリストたるメモを持って元気よく家を出て行った。
妖怪サシは今日はちょっと嗜好を変えてみようと考えていた。駅に行くまでの間にある「ヤプーズマート」は確かに近いし便利だが、小さい。最低限生活に必要なものは手に入るが、今ひとつ面白味に欠け、言うなればデラックスコンビニといった感じだ。確か、星凛駅をロータリー側とは逆に出た方にもう一件スーパーマーケットがあった事をサシは思い出した。外からチラッと覗いただけだが、奥行きもあり品揃えも多い。なんとなく欧米を思わせる店内の雰囲気も魅力的だった。
「じゃ、今日はあっちで決まり」
ヤプーズマートはポイントが貯まるから持っていけ、と街田にポイントカードを渡された事はすっかり忘れ、駅を抜けて逆側の商店街に向かった。
駅の西側は商店街になっており、前に小説の下巻を探しにきた本屋やパチンコ屋、ファーストフード店、お菓子屋などがせせこましく立ち並び、開けたロータリー側とは違った賑わいがあった。
スーパーマーケット「FANTASY」。やはり外観から内装から全てにおいてオシャレで、エレガント。心なしか買い物をする人達も、おばちゃんというよりはマダムという言葉が似合う上品な人達が多いように思えた。気のせいかもしれないが、店の雰囲気が客のそれにまで作用しているかに見えた。
さて、買うものはなんだっけ…買い物袋にあるメモを取り出して確認する。街田のボールペンの殴り書きで「牛乳 石鹸」とだけ書かれていた。ありゃ。これだけならヤプーズマートでも良かったかな。
ただ、牛乳と石鹸は横並びに書かれておりサシを困惑させた。
「牛乳と、石鹸なのかな…牛乳石鹸なのかな」
恐らくは前者だと思われる。街田は別に石鹸の種類に拘る人間ではないし、牛乳はサシが毎日ごくごく飲みまくるのでよく切らす。確か今朝のシリアルには最後の一滴までが使われたのを覚えていた。しかし、それでも牛乳石鹸なのでは…と思わせるほどに、「牛乳」「石鹸」の間は狭かった。多分半角スペースひとつ分にも満たない。
(牛乳と石鹸だよね)
サシはそちらの方に決定付けて飲料のコーナーに歩いて行った。
あっ、グミチョコパインジュースだ。
グミチョコパインジュースは飲料メーカーとしてはマイナーな「オーツキビバレッジ」の数少ないヒット商品のひとつで、ジュースとゼリーの中間のような不思議な弾力性、チョコレートのような甘さとパインの酸味が絶妙に合わさった青春群像ドリンクである。サシはこれが大好きだったが、家の冷蔵庫が小さいのでほとんど買い置きはさせてもらえなかった。
「お駄賃として…いいよね、このくらい。うん、絶対いい」
サシは自らに言い聞かせ、棚の商品に手を伸ばした。グミチョコパインジュースの缶に触れるより先に、別の人間の手に触れた。すらっと細い手。爪には黒いマニキュアが塗られ、手首には派手なブレスレットやアクセサリが巻きついていた。
「あっ!!」
「あ!アンタ…」
サシはこの人間、女を知っていた。真っ赤な髪と、前を開けて下着と谷間をさらけ出したパーカー、ホットパンツという派手な出で立ち。ライブハウス「ヒューマニティ」のスタッフの女の人だった。
「あの時の猫耳ちゃんじゃん!」
「ど、どうも〜…」
サシは少し警戒した。美人だし悪い人ではなさそうだが、口が悪いしちょっとだけ苦手意識があった。
「あの時、ハコ入らずに帰っちゃったの?残念だな、あの時の"はがない"すっげーいいライブしてたんだぜ。やめろっつってんのにさ、感極まってダイブした客が真っ逆様に落ちて気絶してやんの」
はがない、というのはどうやらあの時出演していた難解な名前のバンド…どれかの略称らしい。
「あの、ご、ごめんなさい。先生が、嫌だって言って帰っちゃったんで私も…その人、大丈夫だったんですか」
「大丈夫大丈夫!いっつもやってんだよあいつは。先生ってのは一緒にいたおっさん?」
おっさんって。やっぱ苦手だなこの人、と思ったサシはそそくさと帰ろうとする。
「あのさ」
それを制するように女がサシを呼び止める。
「あの、その…うち、来ねーか?つってもあのライブハウスの地下なんだけど…」
冗談じゃない。見ず知らずの人に着いてっちゃいけないって先生に言われてるし…この人は女性とは言え何か怖いし、気が乗らない。
「ご、ごめんなさい、おつかい中で…」
サシは愛想笑いで去ろうとしたが、女の妙に真剣というか、寂しそうな表情に気がついた。
「そっか…」
「あの、どうして私が」
サシは気になって"一応"聞いてみた。
「あんたさ、人間じゃあないだろ?」
サシはドキッとした。よく散歩したり公園でその辺のお母さんと話したり子供と遊んだり…色々人に会っているが、自分を妖怪と認識する人は街田康助と、悪魔・麦竹カイン(バイト時の名前)だけだった。他にはせいぜいカインの前に現れた先輩らしき悪魔。そういえばこの人はやたらと自分の猫耳を認識している。子供達ですら、悲しいくらいにサシの猫耳にはノータッチだった。
「その…他人とは思えないっつーか…あとさ、そーだな…うん、お話したい。とにかくちょっと話してみたいと思ってさ、ちょっとだけ。ダメか?」
何かを言いかけてやめたのが気にかかるが、他人とは思えない?どういう事なのかサシはそこが何より気になった。この人も、自分と同じ妖怪だったりカインのように悪魔だったりするのだろうか。悪魔はカイン以外は見ると体調が悪くなるから、違うだろうが。
「ちょっとだけ…ですよ」
「あ、ありがとーッ!嬉しい!このジュースあたしが出すからなっ!」
女はパッと顔を輝かせ、自分の分とサシの分、グミチョコパインジュースを持って意気揚々とレジに進んでいった。
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