第十六頁 パンク作家とライブハウス 2

「上手く行ったぞ」

「ああ。店員らしき女が追おうとしてきたが撒いてやったよ」

「大丈夫だよ。スプレーで見づらくしてあるしライトも壊してる。ましてや夜だぜ、見えやしねえよ」

 星凛町の端、岸田川の川沿いの道路をずっと行くと大きな橋がある。星凛町と都心を隔てる岸田川を渡る橋で、都心へ行くには星凛駅からの電車に乗るかこの橋を渡るか、の二択のみであった。

 星凛のライブハウス「ヒューマニティ」から盗んだ機材を積んだ古びたワゴン車はまさにその橋を渡ろうという所であった。この橋を渡ってしまえば、ライブハウスのスタッフといえど車に乗らなければ追いついては来られない。自分の車が出発したのに気付いてスタッフの女が何か怒鳴っていたが、あの瞬間から仮にどこかに停めてある車に慌てて乗って追うにしてもとても追いつきはしないだろう。

 この髭面の男は常習犯だった。先程携帯で連絡を取っていた相棒と組み、あらゆるライブハウスから機材を盗難しては裏で売りさばいていた。その際には、ライブハウス周辺の道路や施設、交通状況の傾向を、所謂"逃走経路"を入念に下調べしたうえで犯行に移っていた。近くに警察署がある際にはそこを迂回するコース。信号の少ないコース。高速道路インターへの最短コース。どのような状況でも確実に逃走できる方法を選び、失敗はした事が無かった。

「しかし、そろそろ潮時かね」

「そうだ。何事も程々にだな」

 このような事をかれこれ3年間続けていたが、悪銭身に付かず、ギャンブルと同じでマンネリ化してからが恐ろしい。そろそろ身を引くか、という事でこのターゲット「ヒューマニティ」を最後に彼らは足を洗う事を考えていた。

 岸田川に沿って続く一本道。ヒューマニティのある場所から2キロメートルほど走れば橋に入る。もう100メートルほどか。男がほぼ安心し、この生活ともおさらばか。しばしの火遊びだった。明日からは何か仕事を探すか。安心しつつ、少しのセンチメンタルに浸りかけたその時。


 バリイイイィン!!


 突然の事であった。ガラスが割れる音だ。音はまさにこの車、機材を載せた後部荷物スペースから聞こえた。驚いた男は反射的にルームミラーを覗き込み、その目を疑った。

 後部席右側のガラスが無残にも割れており、そこに見えたのは、腕。人間の腕が2本、盗難した機材を抱え込むように絡みついていた。細い腕に黒いマニキュアを施した爪、これは女の腕か。まるで腕だけがガラスを破って車に侵入してきたようにそこにあった。やがて2本の「腕」はその細い身で機材を抱え、ドシュッという爆破音と共に車内から飛び出した。残ったものは何もなく、ただ後部ガラスが割れ、荷台には何も乗せずカラッポのワゴン車が走るのみだった。

「な、何だ!?何なんだ!?冗談じゃねえぞ!」

 あまりに突然の出来事に、男は驚愕しつつ車を停めた…のではなく、アクセルを全開にして加速する道を選んだ。バケモノか?何かヤバイものが追ってきている。本能的に早くここを離れなければという思考が働いた。

 程なくして車は道を右に曲がり、星凛町と都心を結ぶ橋に進入した。他の車両はポツポツと走っていたが、掻い潜って全速力で走り抜ける余裕は幸いにもあった。

「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ」

 男は念仏のようにヤバイを連呼しつつアクセルを踏み続けた。一般道ながら120キロメートルは出ているだろうか。とにかく都心だ。都心に入れば助かる。相棒の元へ向かえば何とかなる。そんな気がしていた。

 バン!!!!!

 車の上部から衝撃音。何かが上に乗ったような感覚だった。

「ひ、ヒィィッ!」

 男は怯えつつも、何が起こっているのか確認してやるとばかりに思い切って窓をあけ、身を乗り出し恐る恐る車の上を見上げた。

 赤い髪、赤いパーカーの女。ホットパンツからスラリと伸びる脚が二本、ワゴン車の上に仁王立ちになる形で乗っかっていた。あの女だ。ライブハウスから一瞬追いかけてきたように見えたあの女に違い無かった。パーカーの長袖から覗くはずの両腕は無く、勢いのよい風に袖は不自然にバタバタとなびいていた。

「返してもらったぜ。ただテメーがよォー、まだなんだよな、髭面」

 風になびく真っ赤な髪に見え隠れしつつ、LEDライトのように赤く光る目が男を見下ろし、睨んだ。

「う、うわあああああァァアァァーーーーッッッ」

 男はパニックになり、ジグザグに橋を蛇行して女を落とそうとしたが無駄であった。女はトンッと車の上から飛び上がり、今度は車体の右側に身体が並行になるように浮いて…いや、飛んでいた。足の先からはまぶしい光の球のようなものがジェット噴射のように放たれていた。

「こいつはよォー、このまま走ってると危ねーなぁ。川に捨てとくぜ」

 先程の「腕」が2本、いつのまにか運転席の男の身体を掴んでいた。物凄い力でドアを破り引きずり出された途端、横向けに、車と並行に飛ぶ女が片足でワゴン車を蹴り飛ばした。橋の横から勢いよくワゴン車が飛び出し、川に向かって真っ逆さまに落ちて行った。


 気付けば男は橋の歩道にて腰を抜かしたまま唖然としていた。

「逮捕してくれ!盗みをやった…3年間盗みをやり続けた!相棒が都心のAビルにいる!共犯だ!名前は……」

 その日のうちに盗難常習犯二人組は自首、投獄という結果となった。


「ったく、1組目のスタート見られなかったじゃねーか」

 愚痴を言いつつライブハウスに戻る赤髪の女。アンプはいつの間にか元どおり楽屋に戻っており、持ち主のバンドメンバーは目を丸くしている。

(居ないな……)

 眼鏡で着流しの男…はどうでも良いのだが、一緒に居た猫の少女はもう「ヒューマニティ」には居なかった。

(分かってる、あの子は違う。でも……)

 1組目のバンドのメンバー達が勢い良く最後の音を鳴らし、フロアはオーディエンスの歓声に包まれていた。

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