第十五頁 パンク作家とライブハウス 1
「すっかり涼しくなりましたねえ」
「そうだな」
「夜の河原っていいですねえ」
「まあな」
「ご飯何食べましょうか?」
「そうだな」
「ラーメン"南無蛇"はどうですか?行きませんか!後で…」
「まあな」
小説家、街田康助は上の空であった。何を呼びかけても適当な返事しか返って来ない。なんて事はないいつも通りのスランプであるが、ひょんなことから同居している猫娘の妖怪・サシに「気晴らしに河原に行きましょう」と連れられやってきた。
街田はスランプの際に目的無く外を出歩くという事をしないので、無意味だと分かっていつつもサシの強引さに負け、やって来たという事だ。二人で土手のスロープに座り込み、サシは途中「さんさんハウス」で街田に買ってもらった、好物のグミチョコパインジュースをごくごくやっていた。アルバイトにして悪魔のカインは今日は非番だった。
街田のアパートより徒歩15分ほどにあるこの河原、もちろん物語の最初に街田とサシが出会った場所である。O市・星凛町と都心を隔てるこの川の名は岸田川という。近隣の県の湖から流れる唯一の川であり、星凛町近辺は下流に近く幅は1km弱にもなる。騒がしく目まぐるしい都心と、対称的にのんびりと時間が過ぎてゆく星凛町を見事に分断する大きな一級河川である。
夜の河原には人っ子ひとり居らず静かであった。今日は金曜日で、河原近くにあるライブハウスでは少々大きめなイベントが開かれていた。
「そうだ先生、ライブハウスに行きませんか。今日何かやってますよ。先生、音楽好きですか?」
河原の夜風に当たってもいまいち乗り切れない街田にサシは提案する。彼女なりの気遣いであった。
岸田川河原から細道を歩き、通りを渡ると高架下にあるライブハウス「ヒューマニティ」。オールスタンディング100名、テーブル使用時40名と小型。基本的には学生サークルへのホールレンタル、アマチュアバンドの持ち込みイベントやブッキング対バンが主体だが、時折DJブースを展開してのクラブイベント、一切音楽プレイのないバー営業、これはレアだが映画やライブ映像の上映会も行ったりと臨機応変に用途を変える。経営者も恐らくは半分娯楽、遊び場として考えているようだった。誰もが知る大物アーティストが出入りする場所ではないが、都心駅からたった一駅、駅からのアクセスの良さからアマチュアバンドやそのフリークの間では穴場的な人気があった。
「小生は音楽は好かん。特にバンドなど見たくもないね」
ぶっきらぼうに返す街田にサシは少々戸惑った。音楽に特別興味ない人は居るが、嫌いと公言する人なんて居るのか。町を歩いていても、スーパー、コンビニ、飲食店にいても音楽なんていくらでも聴こえてくるのに。しかしながら、人が嫌いで一人で居るのが好きな街田が複数でワイワイ楽器を持ち寄って演奏するバンドが嫌いなのは何となく納得が出来た。
「じゃ私行ってきます!」
サシがすっくと立ち上がり歩き出す。
「おい、待て。一人で…」
街田が止めようとするが、サシは軽やかなステップで土手から道に出る道を歩いて行った。
因みにこの異形の少女、以前に街田が懸念していたように町中を歩いて目立つかといえばそんな事は全くなかった。店で買い物をしても、喫茶店でミルクを飲んでも店員や通行人は彼女の不自然な耳、尻尾、目つき、ついでに服装にも全く興味を示さなかった。彼女自体が見えないという訳ではなく、誰もがいち一般人として彼女を扱った。街田には不思議でたまらなかったが、とにかくそうだった。
街田はやれやれという按配で猫娘に着いて行った。こうやって強引に行けば街田はしぶしぶながら着いてくる、とサシも少しずつ心得ていた。
ライブハウス前には開演を待つファン達なのか、待機中の出演者なのか、ビールを片手に談笑する3人組がたむろしていた。完全に道を塞いでおり、老婆が道を通れず立ち尽くしている。前の道路には、ワゴン車から機材を降ろそうとしているのであろうニット帽、髭面の男が一人。
「空のおとしもの」
「僕は友達が少ない」
「この中にひとり妹がいる」
謎の文句がライブハウス「ヒューマニティ」の店先の黒板に色とりどりのチョークで殴り書きされていた。
街田はそれをじっと眺め、40秒ほどでそれらが今日出演のバンドの名前であると理解した。
「今のバンド名はこんな文章のようなものばかりなのか。かっこいいかも微妙な所だし、何考えてるんだ?覚えにくくないのか?」
ひとしきり悪態をつく街田をウフフと眺めるサシ。
「よう。お二人?もうすぐ始まるから入るんなら早くしなよ…ドリンク込み2,000円だぜ」
店の中からは派手な赤い髪をした女がひょこっと出てきた。無造作に外側にハネたショートの赤髪に赤いパーカー、ホットパンツ。パーカーは胸元のファスナーが臍のあたりまで大きく空いていて、白いファッションブラとふくよかな谷間が見えた。ブラにはこれまた赤い十字マークに「MAD」と字の書かれたロゴマーク。十代後半だろうが、いかにもライブハウスで働いてますという感じの不良娘だ。細身に露出の多い派手な衣装にサシは顔を赤くしながらしばし見惚れていた。
「コラぁテメーら!そこでよォーたむろすんなっつってんだろがッ!お婆ちゃん、ごめんなッ!通って通って!」
突然街田達をすり抜け、道でたむろする三人組に食ってかかる女。三人組はすんませんという感じでそそくさと店の中に戻り、老婆は、いえいえ、と会釈をして通りを歩いていった。
サシはこの女をこの店の前で見た事があった。その時もこうやってたむろするバンドマンを、女性とは思えない口調で怒鳴りつけており怖かった。でもお婆ちゃんには優しかったし、良い人なのだろうか。そういえば、カインが"就職活動"に来てこの人にビビっていたんだっけ。
「ったく…ほら、あんたらも早く…」
そこまで言いかけて、女は少し目線を下げサシの顔をまじまじと見つめた。
「……………」
「な、何でしょうか…」
その時、そっと伸ばされた女の手がサシの猫耳に触れる。
「ひゃっ!」
当然ながら突然の出来事に驚くサシ。これまで街田とカイン以外に猫耳を認識された事、増して触れられた事など無かったので戸惑った。
「え…あ、ああ、ごめんなッ!えーと、あんた……って………」
その時点で女は目線を道路脇へやった。ライブハウスに面する道路からは、先程のワゴン車が機材を降ろし終えたのか走り出そうとしていた。
いや…降ろし終えた訳ではなかった。中には大きな機材…あれはギターアンプだ…が載ったままになっている。これからライブ本番が始まるというのに、搬出?
途端、車はその場を走り去った。
「ヘイッ!待ちなそこのワゴン!」
赤髪の女が凄い形相で追いかけようとする。
「待てコラァ!」
街田も気付いた。あれは盗難車だ。バンドの機材というものは高級品だ。ライブハウスや、ツアー中のバン車でも機材、時には車ごとの盗難の事件は後を絶たない。女は勢いよく走り出したが、時すでに遅し。運悪く…いや、タイミングは狙っていただろうが、青になった信号を突っ切って凄い勢いで離れていった。
「チッ……」
「お、俺のギターアンプが無い!消えたぞ!?楽屋に置いてたのに!」
長い名前のバンド達のどれかのメンバーと思わしき若者も、入口正面にある楽屋で異変に気付いて慌てふためいていた。
「逃すかよ、クソッタレ…」
女は呟いたと思うと両腕をそっと前に翳した。
ドンッ!と何かが勢いよく女の腕から放たれるのを、街田とサシは見逃さなかった。女はそのまま車の消えた方向へ駆け出し、見えなくなった。
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