第十三頁 妖怪サシと悪魔のカイン 3

「ほらぁ!早く来いって言ってんだろー!置いてくよ!」

 母親はもたもたと駅前に停まっているカッコいい車に見とれている少年…自分の息子であろう…を怒鳴りつけた。典型的なヤンママといったところか、茶髪を後ろで束ねラフな部屋着に近い服を着ている。

「オラァ!はやく来い!」

 男の子にしてはちょっと長めな髪をグイッと引っ張り、無理に歩かせる。車、車が〜〜とごねる少年。この歳の男の子なんて、みんな車とかバイクみたいなものに目がない。可哀想に少年は引っ張られる髪が痛くて泣きわめいていたが、母親は容赦なく乱暴に少年を引っ張り続けた。

「いーやー!!助けてー!」

 助けてという声に周りを歩く人々はそちらを見る。今の社会はこういった出来事に敏感だ。すぐに近くの紳士が声をかけた。

「君、嫌がっているのではないかね。その子に何をしているんだね」

「あ、そんな!いやですよお、もう!ほらほらあんたも助けて〜とか言わないの!早く帰ってご飯にするよっ!あなたの好きなカレーを作ってあげるからねッッ!!」

 不自然なくらい大きな声でその場を取り繕い、優しく息子に声をかける母親。紳士はやれやれという具合でその場を立ち去った。母子はそのまま手を繋いで歩き出し、あるビルとビルの間、路地裏に入っていった。

 無論、彼女らの家がそんな場所にあるわけではない。

「何なのあなたは。おかげで恥をかいたじゃない。何で私がこんな目に…どれだけ苦労していると思っているのッ!」

 人目につかない薄暗い場所で、母親の両手は息子の細い首にかかる。

「あんたさえ居なければって事なのよ。分かる?分からないかしらね!」

 母親は両親指に力を込めた。

「げ、げっっ………うぇっ…………」

 涙目で首元の母親の手を振り解こうとする少年。

「死ね!死ねよあんたなんかッッッ!!!」


「にゃ〜〜〜〜ご」


 突如、母親の頭に覆い被さるように何かが飛び降りてきた。猫だ。真っ黒い猫。

「わぶっ!?」

 息子の首を絞める母親の手は咄嗟の出来事に緩んだ。猫は凄まじい速さで路地裏から飛び出し、居なくなった。


「チッ…猫か……」

 星凛駅看板の上。親子を見て、失敗したと言わんばかりに舌打ちをする悪魔の男。もちろん親子のやりとりはこの悪魔による仕業であった。子供への対応への疲れと絶望がピークに達した母親の心にそっと入り込み、少ない力でトンと後押しした。怒りや焦り、逆に喜びや幸せも、何らかの感情が頂点に達した時に人間は悲しいほど無防備になる。この悪魔はそれをよく知っていた。

「何してんすか、先輩」

 悪魔は、いつの間にか背後に立っていたカインには早々から気付いていた。

「落ちこぼれめ。余計な事をしてくれた。あの猫はお前の差し金か。普通の猫ではないな」

「知ってたんすか、俺がこの町に居るって事を」

「無論だ。そしてあの喫茶店でマヌケ面をしていた事もな。お手本を見せてやろうと思ったが…俺の授業に不満でもあったか?」

「子供巻き込んでつまんねー事やってんじゃあねーっすよ!」

 カインが空に掲げた人差し指の先端から、ソフトボール大の黒い空間が出現した。そのまま指を先輩悪魔に向かって振り下ろす。

「おおっと!!」

 咄嗟に悪魔はひらりと身をかわし、駅舎の屋根に飛び移った。下にいる人々は彼らには一切気付かない。黒い空間は駅の看板を直撃した。

「相変わらずお前の能力…ダーカー・ザン・ダークネスと言ったか。恐ろしく奇妙で危険なものだな」

「覚えてもらってて光栄っすね。是非D・T・Dと略して呼んでくださいよ先輩」

 ダーカー・ザン・ダークネス?か、カッコいい!!何が起こったのかよく分からないけど。元の姿に戻り駅ロータリーから見守っていたサシは戦慄した。何か私もかっこいい名前の必殺技が欲しい…と思うと同時にある事に気付いた。

 星凛駅の看板には大きな四角いパネルが3つ付いていて、それぞれ「星」「凛」「駅」と文字が彫ってある。プリントではなく彫ってあるあたりに町の拘りがあった。が。

「星……駅?」

 3つあるうちの四角いパネルの、真ん中が抜け落ちていた。「星」飛んで「町」。「凛」はどこに行ったのか、消えていた。元々無かったのだろうか。いや…

「だが」

 悪魔はその場を垂直に飛び上がった。と同時に、足元に黒い空間が出現し、中から四角い何かがズズズッと押し出されてきた。

「貴様はまだまだ中途半端よ!」

 叫ぶと同時に足元に出現した四角い物体を蹴り飛ばす悪魔。物体は回転をつけながら勢いよくロータリーのサシに向かって飛んでいく。

「しまっ…サシさん!!」

 ドスッ!と鈍い音がして物体はサシの腹部を直撃した。

「かはっ………あっ!!」

 ロータリー中央、花壇の植え込みに勢いよく倒れ込むサシ。サシを襲った四角い物体には「凛」の文字が彫られていた。

「サ、サシさあああああん!」

 カインは慌てて駅舎から飛び降りサシに駆け寄った。

「だ…大丈夫……ですよ」

 口から血がだらだらと垂れているが猫娘は強がった。致命傷ではなく何とか起き上がる事は出来たが、すぐに立ち上がる事は容易では無かった。

「暗黒空間を駆使し物質を任意の場所に転送する能力、ねえ。上手く使えば俺の首を飛ばす事も出来るはずなんだがね。どうだ、お前の能力で大切なお友達が怪我をしてしまったぞ。そいつがさっきの猫の正体か。だからお前は未熟だと言うんだよ」

 悪魔は続いて駅舎から飛び降り、二人に歩み寄った。

「お前と喧嘩しに来たわけじゃないんだよ、カイン。ただ何をやっているのか気になってな。人間社会に溶け込み仕事まで初めて…一体何のつもりだ。お前は悪魔の誇りを捨て、この下劣で愚鈍な人間共に染まるというのか。それがお前の"勉強"かね」

「そーっすよ。勉強してこいっつったのは先輩らっすよ。やり方を決めるのは俺っすから」

「やれやれ。そこまで教えてやらなければならないのか。いいかカイン。落ちこぼれのカインよ。お前がやる事は人間に溶け込む事ではない」

 悪魔はゆっくりカインと、倒れ込んだサシの元に歩いてゆく。

「カインよ。人間は醜い。醜いが…その部分を隠して生きている。子供を巻き込んだから何だ。人間の醜さをよく読み取れ。そこをそっと掌で押すのだ。それが我々悪魔の仕事よ」

「違う」

 制するように呟いたのはサシ。口元の血を拭いながらサングラスの悪魔を睨む。

「そうじゃない!」

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