第十二頁 妖怪サシと悪魔のカイン 2

 街田康助が彼の担当編集者との打合せを珍しく穏便に済ませ、喫茶「ケラ」を出て数十秒後。隣接するコンビニ「さんさんハウス」から出て来た小柄な猫娘と長身の悪魔、黒い凸凹コンビがケラに入店した。入れ違いだった。

 サシはカインを見ても身体に異常が現れる事はもう無かった。

「やっぱ人間の事勉強するなら、一緒に働くのが一番いいかな〜って。学校も考えたんすけど、ちょっと僕は無理みたいっすね。しかし仕事始めるのって難しいっすね〜…多分100件以上は面接したと思うんすよね。なんでこの髪型じゃあだめなんすかね」

「うーん…その髪型で採用してくれるところって逆にどれだけあるのか、気になりますねえ。ライブハウスとかくらいでは…」

 ケラは二階席もあり、窓側の席からは駅のロータリーが一望できた。駅に電車が到着して数秒すると、駅舎から人がバラバラと出て方々の目的地に散っていく様がよく見えた。何の変哲もないロータリーだし、特別面白味は無いが猫と悪魔はそこを陣取って、それぞれアイスミルクとアイスコーヒーを注文した。

「ライブハウス!そうそう。近くにライブハウスありますよね。俺人間がやってるロック?ボウイ?とかいう音楽好きなんで行ってみたんすよ!働かせてくださ〜いって」

 悪魔がボウイ好きなのか。聖飢魔IIじゃないらしい。口調からすると別に詳しい訳ではなさそうだが。

「そしたら?」

「なんかですね…赤い髪の凄い怖そうな女の人が出てきて…なんだお前みたいな感じで言われて。その…逃げちゃいましてね…」

「あー…」

 駅から河原に向かう道の途中、高架の真下には小さなライブハウスがある。この界隈で活動するバンドには御用達らしく、この星凛町では楽器を持って歩くバンドマン達を見かける事がよくある。

 ライブハウスの名はヒュー…ひゅるひゅる?ひゅんひゅん?なんかそんなニュアンスの名前だった気がする。確かに前を通った時に赤い髪の派手な女性が、店の前でたむろするバンドマン(客だったかも)を怒鳴りつけていた。店の真ん前がバス停なので、乗客などが怖がって苦情が来てるようだった。あの女性は綺麗な人だったけど口が悪かったし、確かに怖かった。カインは気が弱いというのを差し引いてもあの人はちょっと自分も苦手かも。サシは思った。

「そんなこんなでここのコンビニが採用してくれましてね!いや〜良かった良かった」

「むぎたけ、ていう名札は?」

「あれは、最近やめた人のが店に残ってたんで、もらったんす。麦竹さん、どんな人だったんすかねえ」

 こんな逆立った髪の男を採用するコンビニも中々凄い。名札の事といい、色々と大丈夫なのかあのコンビニは。カインだって髪を切るという選択肢は無かったのだろうか。

 しかしサシは細かい事は考えない。

「頑張ってくださいね!私、買い物のときはヤプーズマートじゃなくて、さんさんハウスでするように先生に言っときますね!」

 スーパーとコンビニでは用途がそこそこ異なるが、サシは激励の言葉を投げかけた。ニート居候の癖に。

「あの人…街田先生でしたっけ。今日は?」

「先生はお仕事で、私は留守番…あ……留守番…!」

 サシは一瞬青ざめたが、多分大丈夫だろうと自分に言い聞かせた。まだ先生が家を出て1時間ほど。どこでやってるのか知らないけど、仕事の打ち合わせなんて簡単には終わらないだろうし、多分5時間はやってるだろう。カインとちょっと喋って帰っても充分だ。

「あの人は不思議な人っすね。ちょっと他の人間とは違ってるというか。無愛想でちょっと苦手なタイプなはずなんすけど、それを感じさせないというか」

 それは街田が犬憑きだからなのか、単に世の中を斜に見る性格だからなのか分からないが、サシは得意げに返した。

「そうなんですよ!むすっとしてるけど、本当は優しい人なんです。私が河原で倒れてるのを助けてくれましたし、家にも住ませてくれてますし」

「一緒に住んでるんすか!?ひとつ屋根の下に!?ひょ、ひょえ〜〜…」

 なんとガキくさい反応だ。

「そうですよ。先生、普段は凄い優しいんですよ。夜はちょっと激しくてびっくりしちゃうんですけど」

「夜は、は、激しい!?」

「そうそう。私は眠いって言ってるのに容赦ないんですよ。声も大きいし、凄い動きだし…」

「は、はあ…」

 悪魔は顔を真っ赤にして唖然としている。

「あ、でも朝はとっても優しいんですよ!いつも私が大好きなのをくれるんですよねえ…」

 うっとりと恍惚の表情をとるサシ。朝は優しいって、夜のみならず朝もなのか!人間の男はそれが普通なのか。例え妖怪とは言え、こんな幼い少女を…マジなの?カインは頭がフットーしそうになった。アイスコーヒーのストローを摘む指が震えている。

 街田はどちらかというと夜型で、夜は作品のアイデアが鬼のように降りてくる事が多く、よく書斎でうおおおとかわちゃあとか叫びながら執筆している。離れているとはいえ寝室にも聞こえてくるし、度々サシは眠れなかった。そっと覗くと何かに取り憑かれたように(取り憑かれているのだが)頭をぼりぼり掻きオーバーアクションを取っていて怖い。これは犬憑きとは無関係で、偏屈、天才ならではの習性みたいなものだろう。

 打って変わって、朝は昨夜の疲れも祟ってニュートラルに寝ぼけながら、適当な量のシリアルをボウルに入れ、牛乳を注いでスプーンと共にサシに与え、日によっては二度寝する。街田自身は朝食を食べないし手抜き極まりないのだが、サシはこのシリアルが大好物だった。

 サシの言葉足らずとカインの純情さが微妙な空気を形成し、数分が経過したその時。

「サシさん」

「なんですか?」

 カインは喫茶ケラの二階の窓から、駅前のロータリーを見た。

 駅から、親子連れが出てきてロータリーの横断歩道を渡り終える所だった。親は20代くらいの若い母親、子供はまだ幼稚園児くらいの少年。

 その親子をじっと眺める視線。視線の主は駅の入り口、「星凛駅」と書いた大きな看板の上に居た。黒ずくめのマントのような服、色黒な皮膚に短いが上にガチッと上げた髪、大きなサングラスと口髭。カインとはまた違った異様な見た目であるが、彼よりも格段に悪そうに見えた。

「痛っ………!」

 それに気付いたサシは急に頭痛に襲われた。すぐに分かった。あれは悪魔だ。カインと同じく。見てはいけない……

「大丈夫っす、サシさん。気を確かに…落ち着いて、深呼吸してください」

 カインは即座に彼女の異常に気付き、サシの額にそっと手を添えた。不思議と頭痛は和らぎ、楽になった。

「あれは……」

「先輩…何してんすかねこんなとこで…」

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