第十一頁 妖怪サシと悪魔のカイン 1
星凛駅改札を出て左、ロータリーのある側に出て左手にコンビニ「さんさんハウス」。その左隣がラーメン「南無蛇(なむへび)」、逆隣が喫茶「ケラ」。以前にこの星凛町に住む小説家の街田康助が、編集の男と作品の内容について口論を行っていた店である。
「ケラ」の店内は昭和の英國喫茶的なデザインで統一されており、二階へ続く木製の階段を上がる際の軋みなども趣があった。営業途中のサラリーマン、近所のライブハウスに出入りするバンドマン、保険屋の商談などでもよく利用されている。主人は小太りで顎髭の物腰やわらかな中年で、よく帽子を被って2軒隣のラーメン「南無蛇」で食べている姿が目撃される。南無蛇のラーメンはスープもライトで薄味な為、濃い味を好むラーメンマニアや、ドカ盛りが好きなオタク連中からの評価はあまりであったが、癖になる人懐っこさがあり地元では老若男女問わず根強い人気があったし、ケラの主人もまたファンの一人だった。
「ケラ」一階窓側の席。着流しで、腕組みをして眼鏡を光らせる無愛想な男と典型的サラリーマンという風貌のスーツの男。小説家・街田康助と、彼の担当である編集の男が原稿を広げてディスカッションを行っていた。
「先生、申し上げにくいのですが、なんとなく。なんとなくですよ」
「何」
「ちょっとだけ読みやすくなってますよね。侘び寂びが効いてるというか、ポップというか…マニアックな曲ばかりのアマチュアのバンドがメジャーシーンを意識して、ちょっと意図的にサビのある楽曲を作ってみましたみたいな」
相変わらず嫌味くさいというか、地味な物言いをする男だ。街田は彼が嫌いとまではいかなかったが、もうちょっと個性的な物言いは出来ないのかというのと同時に、こんな平凡な性格なのに小生の担当についてカワイソーだなという同情の気持ちもあった。
「何か、心境の変化でもありましたか」
「心境の変化ねえ」
心当りは大いにあった。ある日なんとなく河原へ行ったら拾った猫娘の妖怪が家に住み着いている。自分には昔から犬が憑いていて、彼女を通してその姿を見る事が出来た。つい先週は悪魔とやらが目の前に現れたものの、ネガティヴで人のいいヘタレ野郎だったなど。ここ最近街田の周りでは常軌を逸する出来事ばかりが起こっており、さすがの偏屈たる彼でも心境の変化を否定する事は不可能に等しかった。
「ないよ」
具体的に聞かれても説明が面倒だし、偏屈とは思われてもいいが、人嫌いが高じて遂に幻覚を見だしたなどと思われるのは癪だしそう答えておいた。
「しかし、これなら行けると思いますよ。読みやすい伝わりやすい、いいじゃあないですか。先生特有の文体の言い回しは健在だし、新しい層を掴めるかも」
勝手にしてくれ。街田は原稿が通れば特別売れようが売れまいがそれで良かった。「どうも」とだけ答えて、彼の原稿はすんなり世に出るためのレールに乗っかる事ができた。
それよりもアイツがちゃんと留守番をしているのか。それが気になってさっさと「ヤプーズマート」で買い物をして帰りたかった。
「よかぜの〜ごひゃくだんかいうせ〜つ」
よく分からない歌を唄いながら喫茶「ケラ」隣のコンビニ「さんさんハウス」に入店する一人の少女。全身真っ黒なワンピースとブーツに身を包み、頭からは猫の耳が生え、ワンピースの裾からは尻尾と思わしき長いものが飛び出しひょこひょこと動いていた。
妖怪猫娘のサシは、住み着いている家の主人である街田康助に留守番を命じられた。買い物は荷物持ちも兼ねてよく着いていくが、今日は仕事の話である為用はないはずだし、むしろ居ると大変な事になる。今日は留守番という予定だった。
サシは意外にも読書が好きなので、街田の家に住んでも退屈はしなかった。腐っても小説家、街田の書斎は無数の本で埋め尽くされている。押し入れの中でさえ布団のスペース以外は本が積み上がっていた。部屋にレコードを大量に集めていたが床が抜けるのが怖くて引っ越した、とあるミュージシャンの話を思い出して最近は増やす事を控えているようだが、全部読むには何年かかるのだろうか。
こういう理由からサシはいくら家に居ても退屈しない。ただ今日は特別で、こうやって街に出てこなければいけない大事な理由があった。「下巻」が欲しかったのだ。サシがたまたま本棚から抜き取って完読した本。大変面白いのだが、あろう事か下巻がない。街田は無数の本を所有する割には並びには拘って整理していたので、上巻の隣に下巻がないという事はこの家の中にそれは存在しないという事が結論づけられた。上巻が出版されたのはもう10年近くも前。下巻だってもうとっくに出ていてもおかしくはないはず。
しかし、この星凛の町には無かった。駅の近くにある本屋には置いていなかった。ただ、聞けば取り寄せをしてくれるというので、今日は必要事項だけ注文書に記入して店を出た。自分の苗字が分からなかったので、「街田サシ」とした。うふふ、夫婦みたいですね。と思った瞬間ちょっと喉が渇いている事に気付いたので、店を出てコンビニにやってきたという流れであった。
「いらっしゃいませー!」
威勢のいいアルバイトの青年の声。暑いのに大変だなあと思いながら奥の冷蔵棚を開け、好物の「グミチョコパインジュース」を持ってレジへ行く。
「いらっしゃ……あっ」
「あっ」
やたらと背の高いレジのアルバイトの青年。さんさんハウスのエプロンに「麦竹 MUGITAKE」と書かれた名札、までは良いのだが天井に刺さりそうなくらいにまで真っ直ぐに伸びた、逆立った髪。私はこの男を知っている。この逆立った髪も鋭い眼差しを知っている。サシはすぐに気付いた。
「か、カインさん!?」
「あっ!サシさんじゃないすか!いつぞやはご迷惑おかけしたっス!」
まさに先週、サシと街田が若干物騒な形で出会った悪魔の青年、カインであった。悪魔ではあるが、「いい人」過ぎて悪魔の世界では落ちこぼれ扱いを受ける男。人間の本質を学ぶ為にこの星凛町に住み着いたらしいが、あろうことかコンビニでアルバイトをしていた。コンビニに出歩く妖怪は居ないかもしれないが、そのコンビニでアルバイトをする悪魔は多分もっと居ない。
「カインさん…コンビニで働いてたんですねえ」
「今日はもう上がりなんす。サシさんで最後のお客さんすよ」
「お疲れ様です!じゃ、ちょっとお茶しませんか」
「いいっすねえ!」
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