第六頁 パンク作家と嘆きのカイン 2
サシの頭部、猫の耳と耳の間の脳天を見事にヒットするバット。さすがの猫娘も不意打ちには敵わず、勢いよく地面に倒れこみ、血とそれ以外の何か……を撒き散らし動かなくなった。即死だった。声を上げる間も無かった。妖怪の少女は自分が何者なのかも分からず、その生涯を終えたのだ。妖怪は幽霊とは違い生きている。生と死の概念は、人間のそれと何ら変わりはない。
という事はなく、襲いかかった男は顔面右側から思い切りキツい拳を食らって吹っ飛んだ。間一髪、サシの頭ではなくその間に割り込んだ街田の腕を殴打した次の瞬間だった。
サシは咄嗟の出来事に驚き後ろを振り向いた時には男は道に転がっていた。鼻と口からは情けなく血が流れている。
「ひ、ひぃぃぃいいいっっっ!!!」
「何がひぃぃだ糞餓鬼が!何のつもりだ?」
「ゆ、許してください、ごめんなさい!ちょっとその…"魔"が!"魔"が差したんですよォォ!」
地面に尻餅をつき、自分から襲った癖をして許しを乞う男に迫り胸ぐらをつかむ街田。バットの殴打を受けた腕は青くなっている。
サシは初めて見る鬼のような形相だった。もしかしてこの人は私が襲われた事を物凄く怒っている?そう思うとサシはなんとなく心が熱くなるのを感じた。
「魔が差しただと?魔が差したという理由で我々をバットで殴り付けようとしたのか。人一人分ズレていたら小生に当たっていたのだ。そうでなくても腕をやってくれたな。命のひとつふたつの覚悟は出来ているのだろう」
サシは、まあそりゃそうですよね、気にしない気にしない…と自らに言い聞かせるより他は無かった。とりあえず、自らの腕を犠牲にして守ってくれた事には変わり無かった。
「ごめんなさっ……本当、本当に出来心というか…このバットで人を殴ったらどうなるかってのがふと頭に浮かんで…あ、あ、あなた方に恨みはありませんっ!」
なんとも自分勝手、というよりは不自然な口実だ。暑さで頭をやられているのでは、と街田も考えた。
「お前を警察に突き出しても良いのだがこの通り小生も手を挙げている。小生は絶対に勝てる勝負しかしない。いいか、次にこの辺りで顔を見たら殺す。必ず殺すぞ。」
「ひっ、ひっ、ひいいいっ」
男は凄い勢いでどこかへ逃げ帰った。街田は怒りに燃えながらも呆気に取られながら見送った。
「先生、腕が…」
サシは街田を気遣う。
「大丈夫だ。しかしよく分からない奴だった…気味が悪いな」
確かに気味が悪い。やはり暑さで頭がおかしくなっているのか。
街田は若い時代にはよく喧嘩をした。そういう世界に身を置いていた。最も今現在は同じ世界であっても暴力はご法度になっている。が、昔は違った。なので腕っぷしは強かった。しかしながら今のような場合は別だが、普段は面倒事は嫌いなので暴力など、とんでもなかった。これは正当防衛と彼の中では言える。
翌朝。
ガシャアアアーーーーーン!!!
ガラスの割れる音。外の騒がしさに街田は書斎で目を覚ました。寝室があるのに何故書斎で寝ているのかというのは、徹夜で執筆をしていていつの間にか眠ってしまったなどではない。ちゃんと簡易的に寝床を敷いていた。
というのも、四畳半しかない本来の寝室はあの猫娘に取られてしまったのである。
「私、畳じゃないとダメで…」
という居候にあるまじき贅沢な?リクエストに応えたため、街田は冬は寒く夏は暑いフローリングの書斎で眠る事となった。四畳半で2人が眠るのは無理ではないし、サシ本人も別にいいですよという具合だったが、妖怪とは言え未成年の娘と共に一夜を同じ空間で過ごすなど冗談ではなかった。
音は向かいの美術館からだった。
街田の自宅アパートの前は民家を改装した小さな美術館になっており、年老いた主人が自分の描いた絵画作品を月替わりで展示している。定年後の道楽と言ったところで、友人と思わしき人間が時々彼を訪ねて軒先のベンチで談笑していたりもする。
その美術館には道に面した所が一部ガラス張りになっていて、主人の作品…おそらく自信作なのだろう、がメインと言わんばかりに展示されていた。街田は美術に関してはからっきしであったが、月替わりで展示される絵を密かに楽しみにしていた。主人の作品は単純にその辺、駅前や例の河川敷をスケッチしたもので面白味は無かったが、奇を衒わず好きな事に素直な主人の性格が出ていて良かった。
街田の書斎は美術館と自宅を隔てる道沿いに位置するので、こっそり窓から向かいを覗いてみた。そのガラスが派手に割れていて、中には原因と思わしき拳大の石が破片と共に転がっていた。作品は幸いにも無傷だ。やはりあの音は美術館のガラスだった。
しかし妙であったのは、明らかに犯人と思わしき作業服で坊主頭の男が逃げもせず割れたガラスの前に立ち尽くしていた。カチコミか?あの主人、愛想が良い割に何か恨みを買う事をやったのか。と思ったが、犯人はどうしよう、どうしようといった具合で慌て挙動不審になっている。とても「オラッ出てこいや」といった様子ではない。妙だ。
「おはよーございます。今のは何の音ですかー…」
ボサボサの髪から生える耳をとがらせてサシが起きてきた。寝室は書斎とは真逆の位置にあるがさすがに聞こえたようだ。街田は無言で外を指差す。
「わっ……」
サシも異常をすぐに理解し見守り始める。
さすがに美術館の主人が玄関から飛び出して来て、すごい剣幕で犯人の腕を掴み問いただしている。長い白髪を後ろに束ね、同じく白い口髭。有名な役者にこんな人物がいた気がする。さすがに早朝という事もあって半袖の部屋着のまま、サンダルで飛び出してきたのだ。普段は優しそうだが、そりゃ自慢の作品を魅せるショーウィンドウを割られては誰だってこうなる。近隣の家の玄関先や窓からも、野次馬が見守り出した。街田は野次馬と思われるのが嫌だったので、窓の端からこっそり眺めた。
「すっすいませんン〜〜ッッ!!ごめんなさい!!ちょっと魔が差して……ガラス割ったらどうなるかなって…ほんの出来心なんです!べっ、弁償はしますから……」
弁償という言葉を聞いて主人は掴んだ腕を離した。その後も作業服の男は逃げもせずペコペコと頭を下げ、汚れた作業服の胸ポケットから古びた携帯電話を取り出し主人に見せている。連絡先を教えているのだろう。
「先生…」
「うむ…」
さすがに作家も妖怪も気付いた。
「昨日の人と一緒ですねえ…」
別人ではあったが、悪い事をしたくせに即効全力で謝るだとか、"魔が差した"だとか"出来心""どうなるかと思った"といった言い分は昨日のバットの男と同じだ。こいつに限っては自分から弁償などと言っているし、何のつもりなのか。遠目で読めないがあの作業服、あれにはおそらく社名が入っている。とんでもないリスクだ。
程なくして、主人は玄関口から箒と塵取りを出して破片の掃除を始めた。作業服の男は自分がやりますといった具合に手を出そうとするが主人が制止する。良い人だからではなく、おそらくこれ以上不審人物に自分の宝物を触られたくないという事だろう。
「小生はもう少し寝るぞ。お前も満足したら向こうへ行け」
書斎に敷いた寝床に寝転がる街田。
しばらく残って窓から光景を眺めていたサシはふと何かに気付いてしまった。
美術館の屋根の上に何かがいる。そのシルエットからカラスか何かのように見えたが、あれは人だ。サシと同じく、全身真っ黒の……
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