第五頁 パンク作家と嘆きのカイン 1
街田康助は過去一度だけ賞を受賞した事があった。デビュー間もない頃の作品であったが、作風は今と殆ど変わらない、支離滅裂で奇妙な妄想の世界のような内容だった。しかし当時それは斬新で、業界から読者家、普段は漫画ばかりで小説など堅苦しいものは読まないサブカル気取りの大学生やバンドマンまでもが震撼し、高い評価を受けた。もちろん出る杭は打たれるという事で、批評家から痛烈な批判を受けた事もある。しかしあのサザンオールスターズだって「勝手にシンドバッド」で登場した頃は一部の雑誌から手厳しいバッシングを受けたし、創作の世界などそんなものだ。
しかし、その後は想像に容易いようにそれ以上の評価を受ける事は無かった。斬新な事をやる創作者が現れればたちまち注目の的になるが、同じ事をその後もやり続ければ世間は次第に飽きてくる。当時彼を「先生」「先生」と持て囃した業界人たちは次第に去っていき、今や例の編集野郎が形式的に呼ぶ程度だ。人間などそんなもの、ましてや彼らとて仕事であるから当然の事であるし、街田自身もそれを理解していた。
「どこ行くんですか、先生」
その街田康助の家に住み着いた猫と人間の合いの子のような妖怪…名前は暫定的にサシ。玄関で支度をする彼に向かってトトトと歩み寄る。
「その、先生、というのをやめろ」
「ええ…小説家なんですよね。じゃあ先生じゃないですか」
「先生などという器ではない。他のにしてくれ」
「あなた」
「それは何か違わないか」
「ご…ご主人様……」
「それもちょっと」
「康助さん。旦那様。大将。おじ様。げろしゃぶ。フーミン」
サシはきゃっきゃっと笑いながら候補を並べ立てる。
「先生でいい、先生で。最後の方のは何だ」
街田は観念したのか、話題を投げ捨てた。
「買い物だ。留守番していろ」
「私も行きます!」
「お前は目立つだろう。この町は小さいからな。ただでさえ近所の連中はあの家には無愛想な作家が住んでる、なんて思っているに違いないのだ」
「ほんとにそんな事思ってるんですか。聞いたんです?」
無邪気な妖怪は痛い所をつく。全く調子が狂う。無視して街田は続ける。
「さらにそれが未成年の娘、しかも妖怪を連れていたとなればどんな噂が立つかわからん。小生はここで平穏に暮らしていたいのだ。妙な噂は平穏を揺るがしてしまう」
「うーん……じゃあ」
暫く考え込み、サシはぐっと一瞬力んだ。
「…………?」
消えた。
「ニャオー」
「おわっ!!」
サシが居たはずの場所から目線を下げると、一匹の黒猫が居た。なるほど。猫の妖怪だから猫の姿にもなれるのか。犬の霊の攻撃を受けた際に一瞬姿が消えたのはこういう事だったのだ。あの瞬間に猫になって、猫並の素早さで後ろに回り込んだのだ。中々便利だ。
「理解した。しかしスーパーに猫を持ち込む奴もあまり見ないな。怒られるんじゃないのか?逆は無理なのか。耳や尻尾をしまって完全に人間になるとか」
「オアァーッ」
そういう事か。こいつ、猫形態の時は喋れないのだ。不便なくらい再現度が高い。
瞬間、サシは元の姿に戻る。
「ぶはっ!!!それは無理なんですよ…なれるのは猫の姿だけで…あと、結構体力使うんでこれ…ハァハァ…」
サシは100m走を全力で走ったあと程度に息を切らしていた。仕方ない。街田は箪笥の中からニット帽を取り出し、サシにかぶせてみた。ぴったりだ。丁度縫い目の部分に耳が来るようになっており違和感が無い。
「暑いですよう」
「文句を言うな。一緒に出歩くなら被っていろ。尻尾はなるべく下に下げて、目立たないようにするのだ」
着流しの作家と不自然に暑苦しい格好をした猫娘という、一連の努力も虚しいくらいに根本的に不自然な二人組がアパートを出た。
スーパー「ヤプーズマート」までは徒歩5〜6分あれば着く。小さいが品揃えもよく、夜の12時まで開いているので非常に便利だ。アパートを出て少しばかり歩くと大通りがあり、そこを渡るとすぐにある。
「しかしその服もなんだな。全身黒いし、クソ暑くないのか」
街田は斜め後ろ少し遅れ気味についてくるサシを振り返り問う。確かにニット帽はともかく、首から膝まですっぽり覆う、しかも長袖のワンピース、更には真っ黒なブーツ。この真夏に外を出歩くにはどうぞ猫焼きにしてくださいというような服装だ。
「安いものしか駄目だが、服を買うか」
「これでいいです。何分、黒猫なもんで…黒猫は黒猫らしくですよ」
さっきまでニット帽が暑いとか文句垂れていた割には妙な拘りだ。どこからどう見てもただの人間の服で、黒猫という設定だろうが涼しい服にすればいいのに。
自宅から「ヤプーズマート」に向かうまでの間、大通りを越えるまでに公園がある。まあまあ敷地もある公園で、平日昼間は近所のママ様達が子連れで集う。ここでも公園デビューなんて文化があるのか知らないが、広くて軽いスポーツもできるし、近所のコミュニティスペースとしての役割を立派に担っている。
今日は珍しくベンチに一人の男が座っているだけだった。20代後半くらいだろうか、動きやすい服装でキャップを被り、ベンチにはバットが立てかけてある。素振りの練習で、休憩中といった所か。暑いのにご苦労な事である。
自分が気にしているほど周りは自分を見てはいないというが、その通り滞りなく買い物は終わった。近所の偏屈作家が見慣れない妙な娘と歩いているという光景より、住宅街のマダム達は今夜の献立をどうするか、好き嫌いの多い息子はちゃんと食べてくれるかという事の方が重要らしい。
「あっ先生、持ちますよ」
「いい」
「持ちますって」
サシにも居候させてもらっているという罪悪感というか気遣いのようなものがあるらしい。街田とて、じゃあ持て、といった事を言ってのけるような傲慢さは持ち合わせていなかったが、本人がそういうならと2つあるレジ袋の軽い方を渡した。
袋の中にはキャットフードも入っている。聞くと、サシは人間の食べ物も猫の食べ物も両方を食べる事が出来るという。極端な話、カレーライスにサラダ代わりにキャットフードを添えてもOKという事だ。
「できれば別々に食べたいですねー…」
拘りはあるらしい。街田は自炊は不得意ではないが面倒だから、サシに料理の能力でもあればという所だったがそれは期待しない事にした。そもそもこんな少女しかも妖怪に飯を作らせるというのもなんとなくどうかとは思う。
さっきの公園にはまだ例の男が居た。まだバットを立てかけたまま、ベンチに座って俯いている。腹でも痛いのか。
「部屋に戻ったら小生は執筆を始める。邪魔をしてくれるなよ」
「はーい」
サシが聞き分けよく返事をしたその時。
「うわあああああああっっっっっ」
街田が振り返ったその瞬間、既にサシの頭上に向けてバットが振り下ろされる真っ最中であった。持ち主は、いつのまにか背後まで駆け寄ってきた公園のベンチの男だった。
ガン、と鈍い音が響いた。
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