第四頁 パンク作家と妖怪サシ 4

 昔は街田康助も漫画というものをよく読んだ。週刊少年誌なんて拾うか立ち読みするか、あわよくば店からかっぱらうか。といった事が仲間内では普通だったが街田は違った。作品には対価を払いたかった。週刊少年誌が一冊150円なら、例え目当ての漫画が1作品のみ、他は全て用無しでもすぐに読みたければ150円を払った。

 そんな中、超能力者達が自らの精神エネルギーを人型(例外もあるが)に具現化し、戦わせるという漫画があって好きだった。時代ならではの屈強な主人公が、これまた屈強な男の形をした精神エネルギーを放出し、無数のパンチを浴びせて敵を倒す。その瞬間は痺れたし、好きだった。今は漫画を読まないが、聞いた話だとあれはまだ連載されているらしい。計算すると作者は既に50を超えているだろう、物凄い精神力だ。

 そして今。まさに当時好きだったその漫画を思い出させるような分身が自分の身体から放出されている。人間の身体に犬の頭。古代エジプトにこんな様相の神がいた様な気がするが、アレのもっとガタイのいいバージョンだ。今まさに妖怪の少女に出会った所であり、何が起こっても冷静でいられると思ったが、それすらままならないおぞましい雰囲気があった。目の前で構える少女とは正反対だ。

「犬さんは…何故この人に取り付いているの?」

 猫耳、猫目、猫の尻尾を持つ妖怪の少女は両手を軽いグーにし、下に向けて…正に猫っぽいポーズで構えたままその犬のようなものに問いかけた。

 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………

 犬ならではの唸り声。少女の問いかけには答えず、咄嗟に大きく口を開け少女に噛みつきかかった。

 少女も少女とて、猫。犬の猛攻をヒラリとかわす事は造作も無かった。この少女、先程まで気を失っており、力なく笑っていたイメージとは全く違う。顔の半分はある猫目は吊りあがり、前に構えた手の指先からは鋭く伸びた爪がギラついていた。

「何が起こっている!?」

 街田は腰を抜かしはしなかったが、中腰になって様子を見ていた。狭い部屋だ。暴れて家具や置物を壊してくれるなよ、という懸念もちょっとあったがそれ以上に!

「待って犬さん。あなたと喧嘩したいんじゃない!」

 ガルルルルル!!!

 やはり犬と猫は会話が出来ないのだろうか?犬男は聞く耳持たずという勢いで右手…いや前足なのか?…で少女に殴りかかる。

 ガシャアアアン!!!

 犬男の攻撃を躱そうとしたが間一髪、左肩に衝撃を受け玄関の方へ飛ばされた。

「おい!」

 街田が叫んだのも束の間。

「…………?」

 居ない。

 勢いよく飛ばされ、玄関にある簡易靴箱を散らかして倒れこんだと思われた少女が居ない。

「こっち」

 街田と犬男は同時に真後ろを振り返った。

 少女は先程食事をしていたテーブルの上に仁王立ちになり、街田と犬男を見下ろしていた。ご丁寧に出しっぱなしの皿とコップは避けており無傷。子供とはいえ人一人が乗っているというのに机の軋みや揺れは極端に少ない事が、彼女の猫並の軽さを物語っていた。肩へのダメージはあったらしく左腕を曲げて抑えているが、スラリと伸ばした右手、その先の鋭い爪は犬男の眼球寸前で止められていた。

「グ………」

 犬男は一本取られた、という様子で固まる。パワーは犬だが、やはり素早さでは猫が勝っていたか。この場合普通に比較していいものかは分からないが。

「犬さん。あなたは多分この人の家に随分長い間取り憑いていますよね。この人、何かしたんですか?」

「ガル……」

「待って!」

 一瞬で部屋の空気が変わり、静寂が訪れた。姿をくらましたのであろう。数秒の間、少女はテーブルに仁王立ち、指先を前に伸ばしたまま。街田はそれを下から見上げた状態で固まっていた。

「ふう………驚かせてごめんなさい」

「驚いたな。今のは何だ」

「犬の…ええっと、悪霊?神様?私にはいいのか悪いのか分からないんですが…」

 テーブルから軽やかに飛び降り少女は続けた。床に降りる瞬間も、トンッという軽い音が響くだけだった。

「とにかく、この家には犬が憑いてるんですよね。多分、妖怪の私が足を踏み入れたから警戒して出てきたんだと思います…私が初めて部屋に足を踏み入れてから数十秒で、空気が変わりました。だから変って言ったんです」

「お前…」

 街田の表情は普段の冷静なものに戻る。

「分かるんだな」

「え?」

「あの犬のような男。姿を見るのは初めてなので驚いたが…そうだ。お前の言うとおり小生には"犬が憑いて"いる。そうか、あのような姿をしているのか」

「知ってたんですか」

「自分の事は自分がよく知っている。ある時から奴は小生の近くに居て小生を見ているのだ。最近は減ったが昔はよく夢の中で声を聞いたものだ。現実でも取り憑かれているという感覚だけはあった」

 街田が、自分に寄ってきたものは不幸になるとしていたのも、妖怪であるこの少女の存在をたやすく受け入れたのもその為だった。

「お前が妖怪である事は言うまでもないが信じよう。妖怪だから奴が見えたし、触れる事ができたという事でいいんだな」

「私もよくは分からないんですけど…でも、ここに犬が居た。この人に取り憑いている。何か様子がおかしいという事が咄嗟に脳内に浮かんで、その」

 少女は何かに気づき、辺りを見回して青ざめた。

「ごっ、ごめんなさい!玄関とか…ぐちゃぐちゃに…!あわわ!」

「それはいい。お前、いいのか悪いのか分からないと言ったな。知っているのはそこまでか」

「それだけです。どうして居るのか、何が目的なのかはわかりません。けど普通の人に憑いてる、例えばご先祖様とか守護霊とか。そういうものとは全然違います。動物の霊っていうのは異常なんです」

 確かに数ある霊の中でも動物霊は極めて危険だと聞く。街田自身は、自分に犬が憑いている事、そしてそれがいつからなのか、何がきっかけなのかは実は全て理解していた。もっと言えば、あの出来事が無ければ今こうしてたった一人で、世間との関わりも極力断絶した状態で作家などという仕事はしていないかもしれない。

 ただ、街田としてはそれを思い出す事は辛く、屈辱に等しいものであった。

「サシ」

「はい?」

「サシ。今小生がプロットを考えている作品の主人公の名だ。そいつは男だが良いだろう。しばらく貸してやる。今からお前をサシと呼ぶ」

「でも私はもう…」

「構わない。しばらくここに居ろ」

「え!?いやいやそれはダメです。私は妖怪で」

 少女は大きな猫の目を見開いて拒否、いや、遠慮した。街田が被せる。

「妖怪だからだ。小生は全く用もないのにさっきの河川敷へ行きお前を見つけたのだ。妖怪のお前は小生に憑いた犬を見て、触れる事ができた。奴がどんな目的で小生の元にいるのかは分からんが…おそらくこれは何かの巡り合わせだ。ひとつ契約をしよう」

「契約…?」

「お前はお前の記憶が戻るまでここに居ても良いし、記憶を探す手助けは少しならしよう。その代わりお前は小生のこの怪異について突き止める手伝いをするんだ。怪異に怪異の原因究明を依頼するというのも妙な話だが…目には目をというやつだな。作品のネタのひとつでも見つかるだろう」

 少女が来て街田にも"犬"が見えた事は事実であり、少女もひとまずは帰る場所ができる。利害関係は一致している。

 サシ、と名付けられた異形の少女は唖然としていたが、目からは一粒の涙が零れていた。強がってはいたが、安心があった。この男は無愛想だが自分に危害を加えるとは思わなかったし、実際に街田本人もそのような事は全く考えていなかった。

「よ、よろしくお願いします…」

「ところでお前、キャットフードを食ったりもするのか」

 一人の偏屈作家と、妖怪サシの生活が始まった。人と関わらず、平穏に暮らしたいと願う街田の生活はこれを機に大きく変化していく事になるという事は想像にたやすい。

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