第三頁 パンク作家と妖怪サシ 3

 街田康助の自宅は駅から見て河川敷とは真逆の北側にある。ひっそりした小さなマンションの一室だ。滅多に電車には乗らないが駅までは徒歩5分もあれば行けるし、その途中には小さなスーパーもあった。コンビニにも数十秒で歩いてけるし、郵便局やクリーニング屋も近い。内科や歯医者もある。大きな家電製品以外は生活が徒歩圏で完結するので、義務的に遠出するのを嫌う彼にはうってつけの言わば"隠れ家"であった。人を呼ぶ事はまず無かった。

 その隠れ家に他人が上がりこんでいる。街田にとってはその時点で非日常であり、面倒事でありうんざりするものだった。

 しかも相手は(多分)未成年の少女。更には人間ではない事が確定している。


「なんか……変ですね」

 少女が街田の2DKの部屋を見回し、妙な感想を述べる。

「失礼な奴だなお前は。助けてもらって人の部屋を見るなり変とは何だ。小生とて人を家に呼ぶのは嫌いだし、当然人を呼ぶ用意など普段からしない。これを食ったら家に帰れ」

 文句を言いつつ街田は少女を椅子に座らせる。

 おかっぱの黒髪に黒い猫の耳を生やし、大きな猫目、黒いワンピース、裾からは黒い尻尾が飛び出した異様な姿の少女は目の前のテーブルの上に出された3個の握り飯にパッと顔を輝かせた。先程まではおどおどしていたくせに飯を前にすると態度が一変する。子供は単純だし、人嫌いの街田にはとてもではないが鬱陶しく感じるものの一つであった。

「い、いいんですか?いいんですか?これもらっちゃっていいんですか?」

「ラッドウィンプスかお前は。腹が減っているなら食え。いらなければ食うな、小生がもらう。小生も昼飯がまだなのだ」

 街田がひとつに手を伸ばそうとすると、少女はサッとその一つを手中に収めた。やはり猫なのか、手が早い。飼い猫が机の上の秋刀魚をかっぱらうホームビデオをテレビで見た事があるが似ているな。

「んぐ、もぐもぐっ」

 一心不乱に握り飯を頬張る猫の目には気のせいか涙が浮かんでいるようにも見えた。よほど腹が減っていたのか。

「飯をやった代わりに教えてもらおうか。ただの好奇心で聞くが…お前は何なんだ?人間じゃないのか」

「ははひは、んぐっ、もふっ」

「食ってから話せ、茶もあるぞ」

「……っっ」


 ようやく全てを飲み込んだ少女が街田の質問に答えようとする。

「はい、私はですね…」

「…」

「………」

「何だ」

「分かりません……」

 たまげた。ここまで得意な存在のくせに自分が何なのか分からないと来ている。確かにあんな風に川で溺れていたのは事故に違いないし、そのショックで記憶を無くしたとしても合点はいく。くそ、面倒だ。

「お前なあ」

「ご、ごめんなさい…」

「いや、いい。お前が何なのか分かったところでどうするとかは特に何も考えていないからな…作品のネタには良いかもしれないが…もう一杯飲むか」

 街田は少女の目の前のコップに二杯目の茶を注いだ。猫舌である可能性を考慮して冷たいペットボトルの緑茶である。スーパーで簡単に買えるやつだ。もっともこのような真夏に熱いお茶など出せと言われても用意はしていないのだが。

「ぷはーっ。妖怪ですね」

 とお茶をまた勢いよく飲み干した少女。

「何だって?」

「妖怪。妖怪なんです。それだけは自分でも分かっていて」

「そうか」

 街田は特に驚きもせず返す。

「驚かないんですか。妖怪ですよ」

 妖怪ですよって。そりゃそうだろう。人間ですとか言われた方が戸惑うだろう、その容姿で。

「まあ…一番納得いく回答と言うか。そうだな、確かに妖怪かもな、お前は」

 少女はこのツンケンしつつも優しくしてくれる男の反応に少々困っているようだった。男は少し椅子に座り直し、続ける。

「そりゃ最初はお前の姿を見て驚きはしたがね。名前はあるのか」

「分かりません」

「どこに住んでいるんだ」

「分かりません、ごめんなさい。自分が妖怪という事以外は、本当に」

 …しまった。街田は後悔した。妖怪とかはいい。それよりこいつはやはり記憶を失くしている。飯を食ったら帰れと言ったが、どこに帰るのだろう。妖怪とて住処はあるはずだ、『鬼太郎』はちゃんと家に住んどったからな…


「帰りますね…ご馳走様でした。美味しかったです」

 少女は席を立って一礼する。猫の癖に弁えている。こいつ、もしキャットフードなどを出していても食ったのかという疑問も沸いたがそれはどうでもよかった。

 街田は考えた。ここでこいつを追い出すのは簡単だ。ただ後味は悪い。こいつはこの炎天下の中、宛もなく彷徨うのか。小生は理由あって妖怪という存在程度にはそこまで取り乱さない性格をしているが、この星凛町の凡人どもはそうではないだろう。騒ぎ立て、石を投げるかもしれない。そうなると夢見が悪いし、平穏な気持ちでは過ごせないだろう。


「待て待て」

「はい?」

 自ら玄関へ歩く少女は振り返る。おかっぱの髪が少し揺れ、尻尾もフヨフヨと宙をなぞっている。猫背でもなく、真っ直ぐ立っており姿勢はいい。こうやって見ると格好は奇妙だが、清楚で美しい少女だ。

「帰るって、どこへ行くんだ。住んでる場所が分からないんじゃないのか」

「さあ…どこでしょうね。この辺の事は全然知らないんですが、歩いてみますね」

 力なく笑う少女。しかしその表情に、あわよくばここに居させて欲しいという"ダメ元"みたいな雰囲気は見られなかった。

 街田も街田で、うちに居ろ、というつもりは全く無かった。自分とて暇ではないし、年頃の子供ひとり養う余裕は無い。何よりこんな狭い家にこのような歳の娘と住むのは御免だし、ましてや妖怪だ。ワケが分からない要素しかない。

 一息ついて少女が続ける。

「私は妖怪です。それだけは分かっていますし、あなたは私とすぐに離れた方がいいと思うんです。妖怪は、きっと人間を不幸にしますから。あなたは驚きはしなかったけど…」

 街田は一瞬その言葉が引っかかった。自分に近づく人間は不幸になる。奇遇にも街田自身も同じ事を考えて生きてきた。だから極力人と関わらないし、関わりたいとも思っていない。


「ところで」

 少女がふと話題を変えた。

「この家、というか…空気ですか。……変ですね」

 またそれか。

「だから何だその失礼な感想は…」


「お話しませんか。………"犬"さん」


「……?小生は犬など飼って…」

 途端。街田の身体からぼわっと光る靄のようなものが発生し、もう一体の"何か"が現れた。街田にも見えた。それは上半身しか見えないし、半透明に霞んでいる。身体は人間のそれであったが毛深く服は着ていない。それ以上に頭は鬼のような形相をした、凶暴な犬の形をしていた。

「何だ………!?」

 少女に初めて出会った時とはまた違った種類の、何か危険な物に対する驚きを街田は隠せなかった。


「やっぱり……犬さんが…"憑いて"るんですね」


 鋭い猫目。さっきまでほわほわとした雰囲気しか無かった少女の表情は一転して険しいものに変貌する。

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