第二頁 パンク作家と妖怪サシ 2

 小説家の街田康助が人嫌いであるのには理由があった。自分と関わる人間は不幸になると思っていた。これは単に世間を斜めに見ているであるとか、漫画の読みすぎで何かを拗らせたとかそういったパターンではなく、れっきとした理由があった。ただ、その理由をわざわざ人に話した所で何かがどうなる訳でもないし、だいいち人がそれを信じる事はないだろう。お前の言う事は何でも信じるよ。借金をすれば連帯保証人にもなる。と言った酔狂な友人が万が一居たとしてもこればかりは信じない。確固たる奇妙な自信があった。

 だから自分から好きこのんで必要以上に他人に関わろうとは思わないし、ましてや面倒事などは御免被りたい。作家という職業について以来ずっとそうしてきた。


 しかしあろう事か彼は今この瞬間、まさにその面倒事に自ら関わっていた。

 ひょんな事から見つけてしまった、水死体だと思っていた少女が生きている。見ればたしかに仰向け、水に濡れて黒い服がぴったり張り付いたか細い腹部がかすかに上下に動いている。呼吸をしていた。心なしか、半開きになった不気味で大きな目が自分の眼鏡の奥の目とピッタリ合った気もする。人間にしてはアンバランスな大きさの目は何とも表現しにくい不気味さがあった。

 さすがに街田も自分があまりに面倒で、平穏とはかけ離れている状況に出くわしている事は理解できていたし、許される事ならさっさとここから逃げ出したかった。顔を水の上に向けたのでこれ以上溺れる事は無い。じゃあもういいだろう。解散だ。何があったのか知らないが、強く生きろよ。

 などと話を終わらせるのは簡単だったが、何か気にかかる事があるとその後数日の生活に影響し、仕事にも響く。といった性格が災いした。まただ。またまた無意識のうちに、着流しの袖を肩まで捲った街田の片腕は少女の首の後ろ、もう片腕は太ももを支え、川から引き上げようとしていた。


「うっ!?」


 ふいに、街田の腕、いやそれを支える体全体に違和感が走った。

 よく、「重い」と思い込んで持ち上げた荷物が思いの外軽いと感じるような違和感。街田は幸い歳の割には問題なかったが、人によってはギックリ腰などの不幸に見舞われる事もある。

 比喩ではない。本当に軽かった。見た目から、華奢な身体つき、15歳前後と見られる見た目からせいぜい40キロかそこらかと思っていたが想像以上に軽い。人間の重さではない。仮に極端な拒食症だとしてもこれは無い。

 まだある。大きく黒い、趣味の悪いリボンだと思っていた頭の物体。これは猫の耳か何かか?頭の天辺から二つの黒い三角がひょこっと伸びている。よく見れば彼女を支える街田の両腕の間、黒いワンピースのスカートの裾からダラリと地面に垂れ下がるこれまた黒く長い何か。尻尾だ。やはり猫のような尻尾がついている。中々リアルで、真っ直ぐ垂れるのではなく途中で弧を描いている。


 理解した。こいつはコスプレイヤーというやつだ。街田は"その辺"の世界にはとんと疎かったが、まあこの星凛町だって小さい割にそこそこの人口が居る、こういう趣味を持った年頃の娘もいるだろう。おおかた家族に隠れてこの河原に足を運び、衣装を着て満足して浮かれてステップでも踏んでいる所、足を踏み外し川に落ちて気を失った、という所だ。

 街田は頭の中でそう整理しつつ、奥底ではそうであってくれという思いがあったに違いなかった。生きているのだから、その辺の日陰に連れていき、救急車でも呼んでやれば終了だと思っていた。これで後腐れなく、平穏な生活に戻れる。


「あ…………れ………………」


 少女の小さな口から、また声が漏れた。今度は気のせいではない、まだ半開きだがその大きな目は彼女を抱える街田をしっかり見ていた。

「待っていろ」

 街田は奇妙な出で立ちの少女を、20メートル程離れた高架下に運んだ。幸いいつも居る浮浪者は"仕事"に出ており不在だ。自転車もない。炎天下とは打って変わって高架下の日陰はひんやりとした涼しさに支配されていた。

 しかしやはり軽い。仮にこいつが本当にただのコスプレ趣味の娘だったとして、この異常とも言える体重の軽さはどう説明するのか。


 雑草をクッション代わりにして少女を仰向けに寝かせる。端から見れば異様で犯罪の臭いがする光景である事は否めないが、これは人助けだしだいいち街田にそういう趣味はない。

 しかし困ったのは救急車を呼ぶ方法だ。街田は携帯電話を持っていない。人嫌いの性格を考えればごく自然な事だろうが、このご時世、公衆電話なんて気の利いたものはこの河原の近くには無い。200メートルは先の駅に戻ればあるにはあるかも知れないので、戻る必要があった。

「小生は携帯電話を持っていない。面倒事が増えるからな…。救急車を呼ぶのに駅まで行く必要がある。大人しくして、ここから動くなよ」

 引き上げたときよりもはっきりと息をして腹部を上下させる少女に話しかけた途端、少女の目がかっと見開いた。


 猫だ。


 半目の状態でもかなり異様ではあったが、しっかり見開いて街田を見るその大きな目は、人間というよりは猫のそれだった。人間の少女の顔に大きな猫の目がついている。しかし不思議な事に恐怖や嫌悪感は感じさせない、奇妙な愛嬌というか美しさがあった。


「何だ……こいつは……??」


「あ……ひゃああっっ!!!!」

 少女はぴょんと軽い身体を起こし、尻餅をついた状態で街田と距離を取った。

 よく見ると頭についた猫の耳は彼女の動きに合わせてぴょこぴょこと動いている。地面についたお尻から伸びる尻尾も、重力に逆らって斜め上に伸びかすかに動いていた。

「それ…何なんだ?最近のコスプレ衣装というのはここまで精巧に出来ているのか……?いくらするんだそれ…?」

 街田は少女に問いかけた、というよりは自分に言い聞かせたと言った方が正しいかもしれない。

「あ、あのあのあの」

 少女が彼に怯えている事を街田は理解した。やれやれ、いきなり妙なものに遭遇して介抱までする羽目になった小生の努力は無視か。顔には出さないが心の中で愚痴を零した。

「衣装はどうでもいいが、大人しくしていろと言っている。お前をさらったり、取って食ったりはしない…お前が川で気絶していたのを、小生は引き上げここまで運んだ。今から救急車を呼びに駅へ行くが小生はそれでさよならだ。時期に救急車が来るのでここで横になって待っていろ。他の人間は多分来ないだろう」

「きゅ、救急車はだめです……」

「は?」

「救急車を呼ぶのは、やめてください」

「何故だ。溺れていたんだぞ、お前は」

「それは……」

 妙な申し付けをする少女は街田が敵では無いと判断したのか、逆に近寄って街田の右手を掴んだ。

「おい」

 瞬間、少女に掴まれた街田の手は少女の頭部…猫の耳と思わしき物体に触れた。


 この耳…できればリモコンか何かで動くハイテクなアクセサリであって欲しかったがそうではない。彼女のおかっぱに切り揃えた髪の隙間から"生えて"いる。決して装着しているかのような"境界"は無かった。体毛と体温があり、これは彼女の身体の一部である事を示していた。

「まさか……」

 念の為確認した。確かに少女の顔の両側面、本来人間なら耳が付いている箇所に、あるべきものが無かった。

「こっちも」

「いや、いい」

 少女は次は尻尾を確認してくださいと言わんばかりに身体を捻るが、どうしろと言うのだ。奇妙な出来事に遭遇しているとは言え、若いそれも見た目未成年の女のそんな部分をやすやすと触れるか。街田は掌で制止し拒否する代わりに、頭の中で結果を出した。こいつは…ただのコスプレ趣味の少女だと思っていたこいつは人間じゃない。人間の、少女の形をしている何かだ。しかも猫っぽい。

 途端。

 ぐぅぅぅぅぅぅぅ。

「あっ」

 少女は恥ずかしそうに俯く。何てことはない、腹の虫だ。少女は腹を空かせているという単純な事が漫画のようなパターンでよく解った。

 やれやれ。街田は観念するしか無かった。

「ご、ごめんなさい」

 これは面倒事だ。

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