パンク作家と妖怪サシ

蝿足昆布

第1部: おいでませ星凛町!イカれた住人を紹介するぜ

第一頁 パンク作家と妖怪サシ 1

「リアリティ?今リアリティと言ったのか」

「そうですよ」

「もう一度言ってみなよ…」

 伸びっぱなしの髪に丸眼鏡、洋風の洒落目な喫茶店に似つかわしくない着流しの男は腕組みをしながら無表情、しかし鋭い眼光でテーブルの向こうに座る相手の男…スーツ姿の生真面目そうな男を睨みつけた。

「ですから…街田先生の作品はリアリティにひどく欠けると言っているのです。いいですか。まず、戦車はここに書いてあるような動きはしません…先生は少しでも軍事関係の本とか、そういった類の"資料"は読まれましたか?他の作家さんは何かを、たとえ文章であっても再現する際には、フツーそうします。誰だってそうします。直接聞いたわけではありませんが夏目漱石から太宰治だって芥川龍之介だってそうしてきたと…私は思うのです」

「ふむ」

「作品にはリアリティが必要ですから」

「…」

「先生」

「…」

「先生?」

「お前は先程からリアリティリアリティと何だ。小生が書いているのはフィクションだ…ノンフィクションじゃない。言わば『架空』の世界だぞ。『架空』の意味は分かるな?戦車の動き?知った事か。小生が書きたいのは戦車がどんな動きをするとかフツーはどうだとかチマチマチマチマした事ではないのだよ。先人がどうだなども知った事ではないぞ。お前は私の作品の、その他の部分をしっかり読んでいるのか?」

 街田先生、と呼ばれた男はバシンと右掌で喫茶店のテーブルを叩き静かに反論を述べた。あくまで静かに述べた為、幸いにも周りの客の視線を集める事は避けられた…いや、そもそも隅の席のくたびれた老紳士以外に客は居なかったが…

「戦車の薀蓄を語りたいのであればそういう"作品"に任せておけば良いだろう。可愛い女子でも複数出しておけばいいんではないか?大ウケするぞ。それとも何か。小生でもそういう物を書けば必ず、絶対に万人にウケますよッ。とでも言いたいのか?」

「それはですねえ」

 眼鏡の奥から突き刺すような眼光の鋭さに少々身をすくめたスーツの男の表情からは、「あ、もう何言ってもダメだ」という諦めのニュアンスも見てとれる。

「オーケーだ。小生とて大人だ。お互い頭を冷やそうではないか。ここでお前が小生をドツいて黙らせるのもありだが、そうすれば小生はお前を訴えるだろう。逆もそうだ。それはよろしくない。しばらく経ったらまた話そう。いいな」

「あの、締め切りは」

 スーツ男に人差し指を向けてひとしきり話を強引に纏めた後、彼が引き止める間もなく眼鏡の男は席を立った。テーブルには律儀に自分の分のみのお代が、1円単位までピッタリ残されていた。

 ただし、税抜きで。


 今颯爽と店を出た長身の男の名は街田康助。会話からも分かる通り作家、小説を書く事を生業としている。しかし問題があった。ちっとも売れないのだ。これまた会話の内容から分かる通り、彼の書く描写、文体はどこをとっても支離滅裂、現実離れ、前衛的といった言葉が似合い、万人ウケといった物ものからはほど遠い位置にあった。どちらかと言えばスレた20代前半くらいのバンドマンが、「俺この人の作品好きでさ」などと言えばちょっと"ハク"がつく、"分かってる"感じになる、みたいなそういった位置づけにあった。どこの芸術の世界にもそういった類の作品や作家、界隈は存在する。しかしそれは街田自身も理解はしており、作風を守るか、万人受けを取るか?といった創作者が必ずぶつかる選択のようなものに直面した際には常に何の躊躇もなく前者を選んできた。質素だが生活は出来ているので、それで良かった。

 簡単に言ってしまえば彼は典型的な『認められない天才』だった。家族はおらず、作家界での知人は多少居るがあくまで単なる"同業者"以上でも以下でもなく、決して深入りしようとはしない。目立つ事が嫌いだったし、過去にはその特異な作風に目をつけたTV番組からの出演の誘いもあったがきっぱり断り、出版本のプロフィール、雑誌などへの顔出しも一切しない。誰から見ても分かりやすい、いわゆる偏屈だった。


 暑い。真夏の真昼間という事もあってジリジリとつんざくような日差しだった。駅前にはロータリーがありその中央はベンチや駐輪場もあるちょっとした広場になっているが、さすがに今日のような日にそこで寛ぐ人間は居ない。時折、ある特定のバンドの曲しか歌わない弾き語りの青年が出現していたが、以前に警察官と言い合いの喧嘩してからはなりを潜めている。何よりさすがの彼だってこんな日差しの日に"GIG"を行って何かメリットがあるのかどうかは理解しているだろう。

 喫茶店を出て駅に入る…というよりは改札と券売機に挟まれた通路を通り、反対側へ駅ビルを抜けるとそこは商店街で、何かしらの食事処がいくらでもあった。自炊はするが、基本面倒臭がりな街田の足は真っ直ぐそちらへ向いていた。

(やれやれ、昼飯の前にアイスコーヒーなんぞ飲むものじゃないな…打合せはこれだから嫌いだ)

 頭で愚痴りつつ駅へ入ろうとする…が、ふと思い立って足を止めた。

「……」

 喫茶店を出て駅前を通り、電車の高架沿いにまっすぐずっと歩いて行くと河原がある。川の幅は広く、街田の住むここO市・星凛(せいりん)町から川を挟んである隣町へ行くには先ほどの駅から電車に乗るか、又は車やバイクに乗って鉄橋を渡るしか手はない。

 河原は広く、やろうと思えば野球やサッカーだって出来る。高架下には風景に溶け込むように浮浪者も暮らしており、近くにライブハウスがあるせいかアマチュアバンドが自身の楽曲のミュージックビデオを作る際によくこの河原を利用していた。「なぜ河原でビデオ撮影をする?彼らは自分達が他と違う事をやっていると思い込んでいるらしいが、小生はここで若いバンド連中がビデオを撮影する風景を4度見た事がある。おそらく全部別々のグループだった…」とぼんやり考えて、気が付いたら土手から川を見下ろしていた。今日は誰も居ない。先ほど駅から出発した電車が、鉄橋を渡って隣町へ向かっていた。

 何故この暑い中、食事に行く事を延期してこの河原に来たのか。特に意味は無かったし、街田にもよく分からなかった。ただ何となく足がここに向き、気が付いたらここに居た。嫌いな場所では無かったし、良いのだが…まあ意味は無かったし、そうと気付けばあとは戻るのみである。

「うむ」

 意味無く何かに納得するフリをして、街田は駅の方へ戻ろうと振り返ろうとした。瞬間。

「…?」

 何かが視界に入った。川岸の方だ。

「何だ…」

 街田は目を凝らしてよく見てみたが…何という事はない。黒いゴミの塊だ。土手と川の境目、雑草が生え放題の一角に引っかかるように何かしらのゴミの塊があった。

「イルカでも死んでるのか……いや、ゴミか…」

 言い聞かせるようにしている割には…街田の足は土手を降り、早歩きで"ゴミ"に向かっていた。どこからどう見てもどうでもいいものなはずなのだが、街田の足はそこへ向かっていた。街田自身にも、何故なのか分からなかった…というよりは、何故なのかも考えていなかった。無意識がそこにあった。

 「ゴミ」は思った通り死んだイルカか何かが海岸に打ち上げられるかのように、川の流れを一身に受けながらゆらゆらと揺れていた。黒いビニール袋か何かかと思ったがどうやらそれは布だ。どうりで無駄にゆらゆら動くわけである。

 流石にもういいかと気付いたのか、街田は駅へ戻る事を考えた。近づいてきたのはただの好奇心だ。喫茶店の編集野郎の言う「リアリティ」なぞをわざわざクソ真面目に追及する事はナンセンスだが、やはり好奇心だけは何よりも勝ってしまい、抗う事はできない。偏屈とは言え立派なプロの創作者たる街田の本能といった所か……

 しかし街田の体は"ゴミ"に背中を向ける事は無かった。いや、出来なかった。おそらく、そのまま潔く踵を返して戻っていればそれで良かったのであろう。しかしつい、うっかりと言った所であろうか、より目を凝らした際にそれに『気付いて』しまった。

 雑草に隠れながら川面に揺れる黒い布から、すらっと白い何かが伸びていた。白い何かの先は数本に分かれており、それが何であるかを理解するのに時間は要さなかった。

 黒い布の端、明らかに布とは違う黒いものが揺らいでいた。面ではない、無数の細く黒い…糸?分かっている、糸ではない。

 これは人間だ。

 真っ黒い服を着た人間がうつぶせになって川面に浮いている。服の端からは2本ずつ白い手足が伸びており、手の指は力なく内側に折れていた。服と全くといっていい程同じく真っ黒な髪は水面にゆらゆら揺れ、それが頭である事は明らかだった。頭には同じく黒く大きなリボンをつけている。趣味が悪いというか、全身黒ずくめの出で立ちが何とも不気味であった。女、いやまだ幼い少女だ。恐らく死んでいる。

(非常にまずいものを見つけてしまったという事か…)

 街田は冷静であった。人はあまりに唐突に非日常に遭遇した際には妙に冷静になれるのかどうか定かではないが、とにかく落ち着いていた。

 周りには相変わらず人通りはない。日差しも変わらずジリジリと照続けている。

(このまま知らんふりをして帰るか?…恐らくそれは小生に後味のよくないものを残すし、数日は平穏に過ごせなくなるんじゃないか?)

(では警察に言うか?その際真っ先に疑われるのは小生だ、あいつらは単純だからな…)

 様々な思いが静かに、しかし凄いスピードで街田の頭を駆け巡った。面倒事は御免だ。思えば元々この河原に用などは無かった。なんとなく来たら、なんとなくこいつが視界に入ったので、何となく歩み寄った。偶然か。しかし面倒事が嫌いな街田が普段『なんとなく』何かをするという事はほとんど無かった。では、こいつに、このような日常と遥かにかけ離れた物事と遭遇したのは偶然などではなく、無意識で奇妙な申し合わせのような物があったという事か。…嫌な事を思いついてしまった。いや、このまま放ったらかして帰るという選択をしないのであれば避けては通れない道であるが…

 こいつはどんな顔をしているんだ?

 誰かが好き好んで死体だと分かっているものの顔をいちいち覗き込みたいと思うか?通夜や葬式で、親しかった仏さんの顔を見て最後のお別れといった事とはワケが違う。体は大人で頭脳も大人のはずで探偵でもないし、検死の心得などは無いのでコイツが川に浸っている時間が短いのか長いのか分からないが、溺死体がろくな顔をしているという前例は知らない。大抵は見るも無残な事になっており、小生のような一般市民が見て良いものでは決してない…ゴチャゴチャゴチャゴチャと頭で考えながら、黒い服に包まれた身体をひっくり返すべく、両腕を下に入れた。

 本当に好奇心だった。小生は何をやってるんだ。動物園に行ったらとくに興味もないのに当園名物の珍しい種類の動物をわざわざ見に行くように、「ここまで来たからせっかくだし」といった感覚で見るものでは決して無い。常人なら見つけた時点で触らず警察に通報するものであると思うが、触ってしまった以上面倒事は必ず増える。これが作家ならではの好奇心ゆえのものなら、迷惑極まりない話である。職業病のようなものだ。労災を使わせろよ、クソ編集。

 ほどなくして"コイツ"は仰向けになり、遂に、と行った所か。上から覗き込む街田、下から逆光になった彼の顔を仰ぐ女、という図が完成した。

 ……何だ。

 ………何だコイツは。

 水死体の顔面がろくな事になっていない事は想像していたが、水死体というものはこうなっているものなのか?

 やはりそれは少女だった。歳は10代半ばといった所か、まだどちらかというと子供である。水死体の割には、その小さな顔にまだ整った鼻、口がついていた。ただ、目がおかしかった。肥大しているというのとはちょっと違う…とにかく普通よりも、常人よりも大きな目が半開きで宙を見つめていた。ただ不思議と不自然さは無く、元々そうであったようなしっくり感があった。

「見なければ良かった……」

 誰がどう聞いても当たり前の感想をつい口に出して呟いてしまった。誰よりも平穏を望むこの街田という男。必要以上に人と関わる事は面倒事を引き起こすと信じてきたか彼が、死体などという馬鹿みたいな非日常と関わっている。それも自ら進んで、だ。


「……………………う……」


 目と同じく半開きになった少女の口から、かすかな呻き声が漏れたのを街田は聞いてしまった。

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