日常は牛の歩―②
「エレインの家の事情はちょっと複雑でさ」
マックは早くも二本目のビールに突入。早くも酔ってきたみたいだった。
でも、そうでもしないと話せないことがある。
このときがそうだった。
「エレインのパパってのは、あやめ会長の一人息子だったんだ。たしか黒崎ケンジって名前で、俺も小さい頃会ったことがある」
「そのケンジさんは今は何してるの?」
「自殺した。もうずいぶん前の話。でも、実は殺されたって噂があったんだ」
これはまたずいぶんと重い話だ。
👆
僕はとにかくマックが話す言葉を待つ。
あまり気軽に相槌をうつ話ではないし。
「ただの噂だったんだけど、その犯人ってされたのがエレインのママだったんだ。『デイジーさん』って人。確かフランスかどっかの人でさ。それでエレインのママは、日本にいられなくなって、ヨーロッパに帰っちゃったんだ。エレインをあやめさんのところに置いてね」
マックはそういうなり沈黙する。ついでにチーズをかじる。そしてビールを飲み、なにか言いかけたが、言葉が出なくて肩をすくめた。
「……それだけだ」
マックは最後にやっとそれだけ言った。
👆
「……エレインにそんなことがあったのか」
僕はエレインの手相を見たときのことを思い出す。
見えたのは不幸だった幼少期から子供時代、混乱していた十代後半の線。
エレインの手の中に見た悲しい過去はどうやらこのことだったらしい。
「エレインはまったくその話をしないし、したくないと思う。もちろんみんな過去のことだし、おれは何も気にしてない」
それを証明するようにマックはクシャッと空き缶をつぶし、すべてを吐き出すように短く息を吐くいた。
「これから結婚式だしさ、一茶とは家族みたいなものになるから、一応話しておいた方がいいと思ってな」
マックは立ち上がり、ニッコリと笑った。
話は全て終わった。この話はそのまま土の中にでも埋めてしまえばいい。
👆
僕も立ち上がる。
それはとうに終わった過去のこと。それだけのことだ。
ただエレインのことが少し理解できた気がした。
「ありがとう。話してくれて」
「まぁ、そういうことだ。俺、帰るわ」
マックはちょっとフラフラしながら部屋を出ていった。
👆
かわいそうなエレイン。
母親に置いていかれた女の子。
僕にはその気持ちがよくわかる。
僕も母親に置いていかれたから。
誰もが傷を抱えている。
それはもう過去のことだというのに、その傷は今も血を流し続けている。
過去はいつだって未来を飲み込もうと待ちかまえている。
何度でも容赦なく引きずり戻し、古傷に血をにじませる。
たぶんマックはそういうものと戦う決意をしたのだろう。
だからそれを僕に話したのだ。
👆
僕だってそう。
新しい未来を手に入れた。
それを守りたいなら戦わなくてはならない。
たとえどんなに体が傷ついたとしても。
どんなに感覚を奪われたとしても。
僕には守るべき家族ができたのだから。
👆
そろそろ自分の運命を知るときだ。
僕はなんとなくそう思った。
僕の両手にはすべてを見通す力があった。
未来は僕の手の中にあった。
👆
ちなみに、僕は自分自身の占いをすでにしてあった。
賢者の手を授かるもっと前の話。
先生から占いを習っていた頃の話。
僕は自分の手相の中に未来を見てきた。
何度も何度も繰り返して見てきた。
それによれば、
👆
僕はあまり長生きできない。
病気はしないだろうけど、いろんなトラブルにつきまとわれる。
仕事は長続きせず、成功することはない。
あらゆる恋は成就しない。
当然結婚にも縁がない。
だが子供の存在は見える。
それも二人。
うーん……我が手相、我が人生ながらよく分からない。
先生の言っていた相の混乱の意味だけは実感していた。
とにかく人生はいつも厳しい。
それだけは身に沁みてよく分かっていた。
👆
しかし手相占いはあくまで占い。
外れることもある。
だが僕が今手にしている能力は、正確無比だ。本当の未来を予測できる。
手にしてみればあなたにも分かる。
これは怖ろしい能力だ。
僕はこの時になって、僕に占いを頼んできた人たちの気持ちを理解した。
みんなもきっと怖かったに違いない。
それでもみんな、どうしても未来をのぞいてみたかったのだ。
👆
さて、そろそろはじめよう。
ここらで自分の未来を見てみよう。
と、思ったところで、僕は両手がギプスに覆われていることに気がついた。
たしかギプスがとれるのは、ハワイへ出発する前日の予定。
もちろんこの状態では手を合わせられない。
つまりは、また今度、ということだ。
👆
僕はなんだか少しほっとして、ストローからビールを飲んだ。
ストローでビールを飲むと酔いが回りやすいのは本当らしい。
僕はいつものように羊を数えて眠った。
~ つづく ~
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