僕は哲学ゾンビだった。
枝戸 葉
第1話
電話越しのTは酔っているのか、饒舌だった。
「俺はのぉ、3年間お前がキャッチボールの相手やったけん、野球を続けられたんや」
あはは、と僕は軽い笑い声でその彼の物語を混濁させ、曖昧にお茶を濁した。
10年も昔に遡ることになるが、僕は野球をやっていた。いわゆる高校野球という奴だ。そのくらいの事はいくら記憶力が薄弱な僕でも覚えている。僕は小学校の中学年から野球を始め、結局他に何の選択肢も選ぶことなくそのままエスカレーター式に繰り上がっていくかのように、高校の3年まで野球を続けた。
Tが言う。
「俺らの学年はよぉけ辞めた奴が居る。それでも俺が野球を続けられたんは、お前がおったけんや。お前が俺のキャッチボールの相手やったけんや」
丁度、僕が高校で野球をやっていた頃には体罰などが大きく問題になっていた時期だった。同じく先輩の後輩に対する恐喝的な〈S合〉と呼ばれる下級生にとっての恐怖の通過儀礼の時間が僕にもあった。その結果、僕らの学年のメンバーの実に三分の一が部を辞めた。それでも僕は残った。Tと一緒に。
何故か? はっきり言って僕自身にも理解できない。全く思い出すことができない。それだけではない。最後の大会の内容も、練習の時に繰り返した反復練習も、先輩のしごきそのものも、ほとんど何も僕は覚えていない。
勿論、それがあった事自体は間違いがない。当時のTを含めた全員がそう証言しているし、辞めた仲間の内には小学校からの付き合いのあった奴もいた。それでも僕は、その時の具体的な内容の記憶を個人的体験として思い出す事がどうしてもできないのだ。
結局、それは当時僕が何も考えていなかったからに過ぎない、何も意識していなかったからに過ぎない、もっと言えば僕は生きながらに意識を失い、薄い意識の中ただ漠然とした反応と反射によって生きていたに過ぎないと言うことが分かったのは、それから数年経った後の事だった。
「ねぇ、哲学(フィロソフィカル)ゾンビって知ってる?」
彼女が僕を挑発的に見つめたその真っ黒で大きな瞳を、僕ははっきりと思い出す事が出来る。
「人間にはクオリアと呼ばれるものがある。意識とも、魂とも言える。しかし哲学ゾンビはそれを持たない。ただ物理的化学的電気的反応として、人間のように振舞っているに過ぎないの。そういう風に仮定された存在」
包み隠さずに正直に言えば、頭の悪い僕には当時彼女の言う事の半分すら理解不能だった。ただそんな事はどうでも良くって、彼女がそんな僕に対して様々な知識を披露し、満足気に笑うその少女の様な笑顔を見るだけで、僕は十分に満たされていた。
地元である香川県から出て、東京の大学に進学したのはやはり地元に居場所が無かったからだと思う。漫然と反応と反射で繰り返される日々に、嫌気がさしていたのかもしれない。全てをリセットしたいと思っていたのかもしれない。もしかしたら意識の芽生えば、僕にとってはそこから始まったのかもしれない。そのストレスこそが、僕の意識の始まりと言えるのかもしれない。
東京に出たばかりの僕は、大学で出会った彼女と恋に落ちた。彼女は知的で、奔放で、そして移り気だった。
「ねぇ、知ってる?」
無機物的な有機物の支配する夕暮れの川辺の公園で、整備され支配され尽くした自然の真っ只中で、彼女は僕を振り返る。いつものごとく挑発的に、いつものごとく僕を見下して。
「世界は等しく素粒子で出来ている」
逆光の夕日が世界を覆い、僕の視覚野の彼女を赤に色付ける。
「物理的化学的電気的素粒子の反応こそが世界の根源。だったら私の、この私っていう存在は、一体何なんだろう?」
赤に色づいた彼女の微笑が、影の濃淡で揺らいで儚く瞬いた。まるで量子の見る夢の様に。
「私、昔の記憶が曖昧なの。記憶力がないの。どんどん消えていく。どんどん無くなっていく。今この瞬間すらも10年後には思い出す事さえできないかもしれない」
その声すらも僕の記憶は赤を想起させる。赤が記憶と彼女をシナプスの電気信号で複雑怪奇に結びつけ、1つの具体的なイメージを僕にもたらす。
「私の意識は実在するのかな。私は今、実在してるよね? でも10年後に今の私は実在しないかもしれない。消えて無くなっているのかもしれない。」
僕が覚えてる。僕はそう言った。僕が覚えている限り、彼女は実在する。僕が覚えている限り、彼女の物語は失われない。僕はそう彼女に伝えた。しかし、彼女は僕を再び笑い、
「そう言う事じゃないの。そうじゃないの。私の物語が私の中から消えていく。それだけが問題なの」
今にして思えば、彼女は不安だったのだろう。僕と同じ様に単身北海道から進学してきた彼女もまた、周囲と相対的に孤独だった。
物語が好きで、しかしものを書く事に慣れない僕は、単なる偶然で映画研究部へと入る事になった。同じくそこに所属していた彼女もまた、僕と似た人種だったと言う事だろう。
しかし僕と彼女が決定的に違っていたのは、その勤勉さだった。彼女は独学で様々な事を吸収し、僕にぶつけた。僕はぶつけられるがままにそれに反応し、反射し、必然として吸収する事となった。
彼女と僕は映画を撮っていた。語弊があってはいけないのできちんと説明するが、これは彼女が監督・脚本・撮影・編集・主演という名の主犯で、僕がその共犯者だ。今見ると恥ずかしさで死にそうになる、ある男女の恋の物語だ。
映画にはモンタージュと呼ばれる技法がある。モンタージュとは乱暴に説明するならば、全く違う2つの映像を並べた時に、人間の意識が勝手にそこから物語を読み取ってしまう現象の事だ。人間が驚いた顔のクローズアップの後に誕生ケーキの映像を見せられれば、プレゼントに驚いた人間の喜びの物語がそこに描き出される。そこに拳銃が描かれれば、脅迫や殺人の物語が描き出される、と言った具合だ。
物語は意識が必然として生み出す生産物に過ぎない。人間の意識はどんな出来事にも物語を想起する。面白いかつまらないかは別として、どんな文字列にも、映像の並びにも物語を紡ぎ出す。意識は物語としてしか世界を捉えることが出来ない。そう言った装置であることすら、当時の僕は理解していなかった。
そして、今まさに物語が失われていくこの現在という自らの意識の在り処を、客観的に理解する事も出来なかった。
そのデジタルの映像によって紡ぎ出された映像の物語に音はなかった。
「サイレント映画こそ、純然たる映画だわ」
彼女はそう言って映画に音を導入する事を 忌諱した。
「サイレント映画に音は無いわ。でも言葉はある。あの映像と映像の間に立ち現れる黒をバックにした白い言葉が、私はたまらなく好きなの」
そして彼女の言葉が指し示す通り、彼女はその映画から色も捨て去った。もっとも、フィルムなどという懐古的な撮影システムはとっくの昔に伝統芸能となり、今や僕たち一般人にはとてもじゃないが手を出すことが出来ない。彼女は苦渋の選択だと言いながら、デジタルの映像素材から色と音を消し去ったに過ぎない。
「映画を撮るのは、記録する為」
彼女はまるで呪文のようにそれを唱えていた。
「今、私の意識を、心を、思考を記録するの。忘れてしまわないように。そこに余計な情報はいらないわ。動作と言葉でしか人間は意識を表現出来ないもの。魂を記録出来ないもの」
彼女と僕の映画はいわば私小説のようなものだった。彼女と僕を記録した、彼女と僕だけの物語。
言うまでもなく、映画研究部内での上映による評判は史上稀に見る最悪だった。
Tからある写真が送られてきたのは、唐突な出来事だった。
それは1本のバットの写真だった。木製の、試合では金属を使うために使われない、非常に重く作られた、素振り用の使い込まれたバットの写真。そしてその写真を見た僕の脳裏に思い出されたのは、自分自身の使っていた古い木製バットの存在。やはり僕にはそれを使って素振りをした具体的なイメージとしての記憶など、ほとんどない。あっても1つ2つ程度のイメージでしかない。しかし確かに僕はそれを使って素振りをしていた。何千回、何万回と素振りをしたはずだ。何も考えず、無心に、一心不乱にただ振った。
こう話すと良いことのように聞こえるかもしれないが、実際上手くなる選手というものは一振りごとにきちんと思考するものだ。小学生くらいまでならばただフォームの形を整えるためだけに無心で振るのも良いかもしれないが、それ以降となるとそうも言っていられない。特に僕のような運動センスに著しく劣るような人間であれば尚更だ。フォーム、力の入り具合、スイングの軌道、様々な事を意識的に、そしてそれを次第に無意識的にできるようになる為に、素振りというものはある。少なくとも僕の理解ではそうだ。
そしてこの無意識という奴が厄介だ。無意識の記憶は意識の長期記憶にはなかなか残らない。無意識で活動する自分自身の身体動作、例えば朝の出勤の時の動きなんかはそのほとんどを脳の無意識が勝手に行っている。わざわざあっちの道をこう行って、などと意識が思考せずともまるで身体が覚えているかのように半自動で道を進むことが出来る。素振りもそうだ。今僕が行っている文字を打つという動作だってそうだ。
意識には覚醒時間が存在する。今僕が目覚めてこれを書いているように見えて、その動作のほとんどを無意識が行なっている。思考と言葉のみが僕の意識の証明だ。
当時の僕の素振りに思考が全くなかった訳ではない。しかし圧倒的に少なかった僕の素振りに記憶が薄いのも納得できる。
僕にはほとんど意識が無かったのだ。僕はまるで哲学ゾンビのごとく学校へ行き、部活へ行き、家に帰ってご飯を食べて寝る。
Tは結局センターでレギュラーを取った。僕は万年ベンチで1塁のランナーコーチだった。その差は歴然だ。結局ゾンビは人間には勝てないという、お決まりの物語という訳だ。
彼女との別れは、あっさりと訪れた。大学4年の卒業を機に、彼女は北海道へと帰った。そして僕はなんの故あってか、こうして文章を書き、未だずるずるとその意識の在り処を東京に求めるかのごとくアルバイトをして暮らしている。
「意識の証明のために、私は記録するの」
彼女のその言葉を借りれば、僕は僕の意識の証明の為に、この文章を今まさに書いている。彼女は今も北海道の大地でカメラを回し続けているのだろうか。
先日、Aさんという女性と知り合った。新しいアルバイトの子で、明るく、親しみ易く、とても元気な女性だった。
ある時、ふと気がつくとアルバイト先のロッカーでAさんが背後に立って笑っていた。
「あなたの意識は、今ありますか?」
僕は度肝を抜かれてAさんを振り返った。
Aさんは笑みを顔に張り付かせたまま、こう言った。
「大丈夫、何も心配しなくていいんです。何も考えずに私について来てください。そうすればあなたの潜在意識は昇華され、新たな魂へと生まれ変わるでしょう」
なるほど、と僕は頷いた。
意識が働く。思考し、結論し、僕は告げる。
「ツボは買いませんよ」
僕の意識の証明、一時的に終わり。
僕は哲学ゾンビだった。 枝戸 葉 @naoshi0814
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