One For All ~勇者へ繋ぐ世界のどこかで~

ヒダカカケル

Prologue ~一兵卒、帰還せり~

 夕刻を過ぎた砦は、今日も襲撃を撃退した。

 幾度もの襲撃を助けられ、奮い立ち、運の良さにも拾われながら一人の若い新兵は疲れ切って壁に身を預けていた。

 物見櫓ものみやぐらから見下ろした中庭には、死が満ちていた。

 死んだ兵士の骸は、埋葬する事もできていない。

 一ヵ所に集めて布をかぶせておくだけが精一杯で、それすらも今日の昼には行き届かなくなってしまった。

 城門には……奇妙なほど大きな、まるで巨木のような腕が垂れさがっており、たった今……ずるりと落ちて轟音を立てた。


「……ざまぁねぇよ、畜生」

「強くなったな、新入りくん。ここに来たばっかの時は、グールにすらクソ漏らして震えてたのにさ」

「漏らしてませんよ。ションベンです」

「そりゃ、失敬」


 物見櫓の対面に座る先輩兵士が、新兵の成長を、さして良かったとも思っていない様子で褒めた。

 クロスボウのボルトの残り本数を数えながら、顎髭をたたえた“色男”の先輩兵士は続ける。


「でも、まぁ……次は、勝てないだろうね。もう……城門も、きっともたない」


 そう言われて、新兵は中庭の向こうにある城門を見た。

 先ほどの巨大な腕を持つ魔物――――“巨人”に幾度も叩かれ、閂が壊れかかっていた。

 それだけではなく城門自体も凹み、穴が空き、あと一撃で破られてしまうだろう。


「集合! 集合! 生存している兵士は、全員兵舎へ来い!」


 部隊長の号令がかかる。

 砦を守る兵士の点呼を取るためと――――恐らく今日が最後になる、晩餐のためだ。


「隊長、生きてたんですね。てっきりもう死んだかと思いました」

「奇遇だね、俺もそう思ってたよ」


 ぼろぼろの砦に夕日が投げかけられる。

 新兵は、それを――――悔しくも、美しいと思ってしまった。


 明日には蹂躙され更地にされる、この砦を。



*****


 先輩兵士と新兵が兵舎の詰め所へ入ると、今日の朝には百人以上いた兵士は――――全員で、たったの六名しか、いない。

 今日の“魔王軍”の攻勢にかかり、もはや軍団どころか、部隊としての有り様すら保てなくなった。


「よぅ、フリード。生き延びてたか」

「隊長もね。さっきこいつ、“あのジジィ生きてたのか”って言ってましたよ?」

「いや、そこまでは言ってないですよ!」

「本当かよ。別に言ってたって構わないんだぜ、セオ」


 刈り込んだ茶髪、熊の体毛のようにごわごわの髭を蓄えた歴戦の壮年兵士……“隊長”は、そう言って乱暴に新兵セオの頭を撫でた。


「んで、……酷いっすね。こんなのもう無理じゃないすか」

「うるせぇよ、皆まで言うな。ほら、座れ。とりあえず乾杯でもしようじゃねぇか」


 先輩兵士フリードの不平も一蹴し、長テーブルへの着座を促す。

 今朝までは一列三十人の兵士が座っていたのに……今では端のテーブル一区切り、六人だけ。

 杯の数も、六人分。

 セオが生き残りのメンバーを確かめる。

 隊長とフリードを除いて、長剣兵士が二人と、弓兵が一人。

 眼光は鋭いながらも疲弊して、口を開く事すら彼らはできない。


「それでは、お前ら――――杯の用意はいいな。本日も、魔王の軍団を退けた事を祝って……乾杯!」


 号令があっても、高く掲げる事ができたのは隊長だけだった。



*****


 世界に、魔王が現れた。

 どこかに出現した魔王城、世界のあちこちに作り出された、魔界と人界を繋ぐゲート。

 元から存在していた低級のモンスター達は彼らの同胞となり、ダークエルフやオーガを初めとする闇の種族もまた同様。

 そして世界は今、魔王との戦いを始めたばかりだ。


 新兵セオが部隊に配属され、向かわされたのがこの砦だった。

 千人規模の軍団が砦の外にまで野営していたのは、ほんの一週間前の話だ。

 最初の魔王軍の襲撃で、半数が死亡。

 翌日の襲撃で、更に半分に。

 翌日には更に六割が殺された。

 兵員の補充も行われはしたが、焼け石に水だった。

 毎日のように見た事も無い魔物が襲ってきて、正体すら分からない敵の攻撃に晒され続け、この砦はもう、明日には陥落する。

 接収される事すらなく、ただ踏み潰される。

 人間がアリの巣を“使う”事など、ないように。



*****


 もとより酒に弱く、そもそも覚えたてのセオでも、どうしてもその日は酔えなかった。

 明日、死ぬ。

 そのプレッシャーのせいで、どれだけ飲んでも眠れなかった。

 故郷に残してきた父母と姉、訓練時代、たまに外出していた先、広場の果物売りの娘の顔が、どうしても離れてくれない。

 今もまだ誰一人眠っていない酒宴の、隊長と先輩兵士フリードの声が耳に入らない。

 それ以外の三人の辛気臭いぼそぼそ声も、気にならない。


「セオ」


 隊長の声が呼び止めても。

 果物売りの娘に投げかけられた気まぐれな微笑みが、離れてくれない。

 もう一度――――見たい、と。


「セオドア!」

「!」


 一喝され、ようやく彼女の微笑みが消え――――殺気走った隊長の顔へ、弾かれるように視線を向けた。


「は、はい? 隊長……?」

「さっきから訊いているだろう。答えろ」

「えっと……すみません、何ですか……?」

「お前――――女を抱いた事はあるのか?」

「は……?」

「俺にはカミさんと三人のガキがいる。フリードにはいないが、女はあちこちにいる。そっちの三人も全員ガキがいる。お前は……まぁガキがいないのは分かる。カミさんも。だから訊いてんだ。女を抱いた事は?」

「えっと……あの、フリ……」

「いいから答えなよ、セオ。これは真面目な話なんだよ?」

「……わ、分かりました……」


 いきなりの、突拍子もない質問と……隊長の剣幕、取り巻く異様な空気にせき立てられてセオは、大真面目に……顔を染める事もなく、むしろ青ざめながら答えた。


「お、俺は……無い、です……その……」

「…………セオ、お前、トシいくつだったか? 前に訊いてたんなら悪ィな」

「えっと……今年、いや来月で……十九です」

「……くはっ」


 フリードの噴き出す声、一瞬遅れて――――セオを除いた五人の、割れるような爆笑の渦が兵舎へ響き渡った。

 先ほどまで沈んでいた三人の兵士までも、目じりに涙を浮かべ、酒を気管へ入らせてしまい激しく咳き込む。

 中でも隊長の笑い声が別格で……何人分もあるような笑い声が、他の四人を合わせてもなお敵わない。

 一しきり笑ったあとで――――ようやくセオは、笑われたのだと気付いて、抗議の声を上げた。


「いけませんか、隊長! だいたいそういうのって、嫁さんとしか……!」

「や、やめてよセオ! くぷ、はははははっ!! 死、ぬっ……死んじゃう、って……!」


 何を言っても、笑われる。

 セオがふくれて杯に口をつけ――――さらに五分ほどして、ようやく彼らの笑いは収まった。


「いや、すまんすまん。……笑う、だけのつもりは……ごほっ。ともかく、俺達で今……話し合って決めた事があるんだ」

「何ですか、隊長。今度こそ真面目な話じゃなかったら、俺はもう寝ますよ」

「悪かったっつの。……裏のうまやに、一頭だけ……馬が残っているんだ」

「は……?」

「そしてお前に、託したい。これは……俺達の、家族への手紙だ。字が書けねぇ奴は、フリードに代筆してもらってた」


 隊長がテーブルの下から出したのは、カバンいっぱいに詰められた、手紙だ。

 この場に居る五人の分だけではない事は明白だった。


「そして、俺からはコレも頼むよ。……現れた魔物のスケッチが数枚と、手帳。俺が奴らを……魔王軍を見ていて気付いた事を、片っ端から書き留めた」


 フリードが、懐から……羊皮紙のスケッチと、綴じた手帳をテーブルに載せた。


「これは……俺達から、だ。魔物の羽根やら爪と、斬り落とした手。奴らの正体を、弱点を……宮廷魔導士や、魔導士ギルドの連中ならきっと……解き明かせる筈だ」


 長剣兵士が出したのは、現れた未知のモンスターの部位の瓶詰め。


「え……?」

「お前の使命だ。お前は、これを……届けろ。世界の、ためにな」

「そんなっ! 俺も戦います!」

「ダメだ。お前はカミさんもいねぇ。ガキも作ってねぇ……いや、まだガキだ。そんなお前がここで戦って死んでも、無駄死になんだよ」

「隊長!」

「うるせぇ、命令だ! セオドア……今すぐ出発しろ。一秒でも早く、こいつを都へ持っていけ。一秒でも早く、皆に伝えるんだ!」


 隊長の説得は、更に続く。


「これがお前の役目だ、命令だ、セオドア・ハクスリー! お前は、ここで起こった事を伝えるんだ! ここで戦った魔物どもについて、伝えろ! 分かったか! ……お前が……、お前しか、いないんだ」


 新兵セオは……それ以上、何も言えなかった。

 ただ、黙って立ち上がり……テーブルの上に広げられた、彼らの意思をひとまとめに引き寄せて、兵舎の扉へと向かった。

 その目には、涙が浮かぶ。


「……ご武運を!」


 扉を出る前に、兵舎へ残される五人へ向き直り、敬礼を送る。

 隊長、フリード、三人の兵士。

 彼らもまた、立ち上がり、敬礼を返し……人類の時を一秒でも稼ぐ“伝令”を、見送った。



*****


 翌朝、魔王の軍勢は砦へ攻め寄せてきた。

 奇妙な肌の色を持つ魔界の兵士、混じる巨人、見るもおぞましい姿を持つ魔物。

 彼らを迎え撃つのは、たった五人の兵士。

 砦のあちこちに、自爆用の爆薬の樽を仕込んである。

 倒せるだけ倒したら……点火し、可能な限りの魔物を地獄へ送り込むためだ。


「……フリード。お前も……カミさんなんていないんだろう。何故、残った?」


 櫓の上に共に並ぶ弓兵が、クロスボウで座射ざしゃの構えを取るフリードへ訊ねた。


「あぁ、いや……確かに嫁さんはいないけどさ。子供なら、あちこちに……六人ぐらいはいるからね」

「……お前は、違う意味で死んだ方がいいな。最低だ」

「まぁね。……だからさ、顔も知らない子供らだけど……彼らのために、六体ぐらいは倒しておきたいと思うわけよ。死んで詫びるさ」

「ムカつく野郎だ。まぁいい、一緒に死んでやるよ、クソ野郎」


 すぐに破られるだろう城門の前には、隊長を先頭に二人の長剣兵士。

 隊長は剣と盾を携え、二つ目の城門のように佇む。

 その後ろで兵士二人は、左前腕を支えに右手を引き、長剣の切っ先を突き出す構え。

 最速で敵の頭蓋を貫くためだ。


「さぁ、行くぜ。……魔王と、戦ってやろうじゃねぇか!」


 やがて、城門が呆気なく破られ――――魔王の軍勢が、砦へとなだれ込んできた。


「思い知りやがれ! このクソどもが!」



*****


 一兵卒セオドア・ハクスリーは、遠く離れた丘から――――馬上で、砦の爆発を見た。

 それを見て、ついに……堪えていた涙が、溢れた。

 哀しみ、怒り、そして――――どこまでもの、悔しさ。


「どうし、て……どうして、俺達は……!」


 歯ぎしり、手綱とともに握り締めた拳、涙で滲む視界。

 それは……決意だ。

 世界を、人々を思い、魔王の侵略を憎み、抗うという決意。


「倒して、やる」


 任されたカバンの重さは、人類の時間を少しでも稼ぐために。


「負けて、たまるか……! 必ず、思い知らせて、やる……! 俺達の……力を……!!」


 彼は、選ばれる事は無い。

 “魔王”を討ち果たす“勇者”の力は、無い。

 それでも、誓った。

 決して……魔王に屈しはしない、と。


 そして、彼は……ただ一人の、生還者となった。


*****


 世界に、いまだ勇者は不在。

 それでも――――戦う者達はいた。


 聖なる森で、いつか訪れる勇者のために聖剣を守るエルフ。

 世界にたった一体、孤独に残されたドラゴン。

 黒死の旗を掲げて大海原を走る老海賊。

 熱砂の嵐吹き荒れる中を旅する、戦士の部族。

 戦地を繋ぎ、同胞の戦いを支える輸送隊。

 城塞都市の守備を任された、高潔の女騎士。

 金のために雇われ、魔王の一団と戦う孤高の傭兵。

 魔王の砦、その城壁を夜毎に叩く百獣の拳王。

 腐敗しきった王政の闇を暴く、盗賊。


 ――――いつか現れる勇者と出会う宿命を持つ、三人の仲間。


 これは、魔王が現れ世界の終わりを控えた時。

 彼らが……“勇者”ではない者達が世界の破滅へ立ち向かい、世界の時を永らえるために報いた、“一矢”の物語。





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